新年法要での挨拶

2015.01.01

皆さん、新年を迎え、おめでとうございます。新年法要にようこそお参りいただきました。旧年中は本学の諸事業に対しまして、ご尽力、ご協力を賜り、第5次長期計画の折り返しの前の年として、諸事業も充実して展開することができました。学内外からも本学の諸事業に対して一定の評価もいただいています。ありがとうございました。

私たちの大学は1639年に本願寺の教育機関「学寮」を開設以来、今年で376年目を迎えます。親鸞聖人の精神を建学の精神としている本学ですので、新年を迎えると言いましても、一般の社会での新年の迎え方とは大きな違いがございます。端的に申しあげれば、一般社会的には新年を迎えるにあたって、多くの人たちが初詣という形で神社仏閣等々にお参りされることが多いかと思います。一般的には向こう側の神仏に対して、自分たちの思い、考え方、また自分たちの一方的な利益・仕合わせ、そういったものを願い奉っていくような姿勢・態度・スタイルで、自己・家族や集団などの利益・仕合わせの保全・実現を求めることが基本的な基調になっている、ということが一般的な初詣の風景であろうかと思います。そこには祈願祈禱型ともいうべき宗教的意識というものが長年の日本社会にあり、広く言えばそのような文化というものも確かにあろうかと思います。

しかしながら、私たちの大学の精神から言うならば、新年にあたり、あらためて阿弥陀仏の働きが既に私たちに無量光、無量寿としての働きとして至り届いていることに気づき、目覚めて、自分のありよう、いわば自己中心的な欲望、願望、あるいはエゴイズムを根源的に問い直して、迷いから悟りへの世界に転じていきたいという思いを再認識して、今年のスタートにしていきたいと思うことであります。私たちは、阿弥陀仏の智慧・慈悲の働きによってエゴイズムを超えてすべての人びとと同様にいのち恵まれた存在としての本質的立場に立ちながら、多くの人びとと「友同朋」の関係を拓き、そのようなコミュニティを持続的に形成していきたいという深い願いを共有したいと考えています。一人ひとりが根本的に自分のありようを問い正していくということを中心にしながら、人びとや社会との間で対話を重ね、より望ましい社会を求め続けていくところに、困難を伴いながらも進取と伝統を尊ぶ本学の歩んできた道があろうかと思います。

昨年の12月21日に開催されました成人のつどいでも少し紹介したことでもあるのですが、NHKの朝の連続テレビ小説『マッサン』というドラマが放映されております。これはニッカウヰスキーを創業した竹鶴政孝さんという方の生涯、その奥さんのリタと共に様々な新たな挑戦をして人生を切り拓く姿をモデルに描いたドラマで、主人公の「マッサン」は、今は鴨居商店で勤めているわけですが、そこから独立をして本場のスコッチウィスキーを造り上げたいという熱い思いの下で人生を、未来を切り拓くというドラマであります。主人公の奥さんのエリーは、言葉や文化の違い、生活習慣・習俗などの違いを乗り越えながら、「マッサン」を支えていくのです。そこでは愛のある家庭が語られています。多くの皆さん方も愛のある家庭を築かれているかと思いますが、『マッサン』の主題歌を中島みゆきさんが歌っていらっしゃいます。中島みゆきさんのCDは私も1枚だけ持っていますけれども、中島さんはパンチのきいた歌唱力をもった歌手ですが、その主題歌である『麦の唄』を、成人のつどいでは2番の歌詞を紹介しました。本日は1番の歌詞を紹介したいと思います。

なつかしい人々  なつかしい風景
その総てと離れても あなたと歩きたい
 嵐吹く大地も 嵐吹く時代も
陽射しを見上げるように あなたを見つめたい
 麦に翼はなくても  歌に翼があるのなら
 伝えておくれ故郷へ ここで生きてゆくと
麦は泣き 麦は咲き 明日(あした)へ育ってゆく

こういった歌詞です。困難に直面しても夫婦がともに自立的に人生を、未来を切り拓いていく道を、麦が明日へ向かって育ってゆくことのなかで歌われています。

私たちの大学も2015年4月には、瀬田キャンパスに新たに農学部を開設いたします。また、1996年以来、瀬田キャンパスで展開した国際文化学部も国際学部へと改組して、新たな2学科体制で深草キャンパスで展開します。さらに翌年の2016年には、文学部の歴史学科の中に文化遺産学専攻もできましょうし、また瀬田キャンパスでも、社会学部の社会福祉の二学科体制を一本化して現代福祉学科となり、新たな教学再編をすることになっています。そして、既に開設をして教学展開しております政策学部も完成年度を迎えて、さらに一層の充実が期待されるという時期を迎えております。本学もこの時代社会に向かい合いながら、構成員の皆さん方がしっかりと横断的な連携等々をとっていただいて、より一層の大学全体の質向上、充実に向けてスタートをしたいと思います。2015年は第5次長期計画の6年目を迎える年として、私たちにとって大事な年となります。日本社会の、あるいは国際社会の動向というものも決して私たちと無関係ではございません。政治動向、社会動向、経済動向も私たちの大学にも押し寄せていることは確かなことでもございますので、しっかりと事業の推進に取り組んで行きたいと思います。

ところで、年末に、皆さんも鈴木大拙さんをご存じだと思いますが、『日本的霊性』を読んでおりました。鈴木大拙さんは、昭和19年、1944年の戦時下の中で『日本的霊性』を刊行していらっしゃいます。戦時期は、「日本精神」ということが画一的に語られて、日本社会を覆った時代です。「日本精神」という言葉自体は古い言葉ではなく、刊行物の題名として上がったのは、大正13年に大川周明という方の『日本精神研究第1、横井小楠の思想及び信仰』という著書の中で使われたのが最初だそうです。鈴木大拙さんがなぜ『日本的霊性』という言葉を使われたかと言うと、「日本精神」というものをファシズム下で一元化・画一化される中で、日本的霊性という中に、仏教の精神というものが、物質と精神という二元的な対立関係で見て、一方の日本精神のみを強調していくような時代の風潮に対して、二元的な、二分的な対立構造の中で物事を思惟することではなく、もう少し深めたところでの思惟、考えとしての仏教というものがあり、人間には物質精神という二元化して、物質をとるのか、精神をとるのかという単純な選択思考ではなく、もう少し深いところでの仏教の思惟、考え方があるとして、精神という言葉を使わずに、霊性という言葉を使い、そういったことを語ろうとしたものが鈴木大拙さんの次のような文章から理解することができます。「精神と物質との裏に、今一つ何かを見なければならぬのである。・・なにか二つのものを包んで、二つのものが畢竟するに二つでなくて一つであり、又一つであってそのまま二つであると云うことを見るものがなくてはならぬ。これが霊性である。今までの二元的世界が相剋し相殺しないで、互譲し、互驩し、相即相入するようになるには、人間霊性の覚醒にまつより外ないのである。」仏教的思惟、考えが、二元的思考、二分法の陥穽を的確に顕在化し、智慧をもって社会と対話する道を拓くことを示唆しています。

私たちの生きている状況を見ると、「美しい国」「強い日本を取り戻そう」などを散見しますが、そこに一元的な国家主義を含んだ国体主義というのが垣間見られるのではないかと思います。しかし、私たちの大学が日本社会で豊かな人間性を醸成し、広く深みのある文化の形成・定着に貢献し、さらに学術の領域においても広く貢献してきた認識に立つ時、それはひとえに建学の精神の多様な具現化に外ならなかったからです。仏教の考え方には、精神と物質といった二項対立的な、二分的な思考よりももう少し深いところでの立場に立ち、智慧を引き出して、人間のあり方を開き、文化を形成し、社会を拓くところに意義があり、今日的には多文化共生の社会を構想し、形成していくことが大切であると思います。私たちはそういったことを念頭におきながら、大学創造に向けて、精一杯の努力をしながら私立大学としての存立を、また発展をはかってまいりたいと考えております。

今日は皆さん方と新年の法要にお参りさせていただきました。何かと慌ただしい中ではありますけれども、大学の諸事業も積極的に、また熟慮して智慧を引き出しながら取り組まなければなりません。皆さん方にはご負担をかけることが多くあろうかと思いますが、恵まれているいのちとの間に不協和音が生じないようにご健康にもご留意いただいて、諸事業にご協力賜わればと思っております。私も与えられた職責を全うするように精一杯の努力をさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申しあげます。

新年の京都は、61年ぶりと言われる大雪が降りました。私は宇陀市の山里で新年を迎えましたが、15センチ程度の積雪があり、新年の挨拶に来られる方の足もとを開くため久しぶりに雪かきをいたしました。雪かきをしておりますと、近所の方に「先生ご苦労様ですね。大学でもそんなことされているのですか。」と冷やかされたことでした。本学は、根っこは一切の人びとが恵まれたいのちの働きをいただいている尊厳性、一人ひとりの尊さに立った関係を創り上げていき、意見の違い等あっても人として尊び、対話と温もりのある大学であり続けたいという思いで新年を迎えさせていただきたいと思いますので、よろしくお願い申しあげます。

新年を迎え、一言ご挨拶させていただきました。ようこそお参りいただきました。

龍谷大学学長 赤松 徹眞

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