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2023.01.06

連続ワークショップ『性なる仏教』第4回「ルッキズムな仏教」を開催【ジェンダーと宗教研究センター】

仏教史上において外見至上主義はどのように醸成されてきたのか

現在、ジェンダーと宗教研究センターでは、2022年9月から2023年2月にかけて全6回の連続ワークショップ『性なる仏教』を開催中。毎回さまざまな登壇者が集い、これまで男性主体で語られがちだった仏教史上のマイノリティにスポットを当て、研究発表や座談会を行っています。
2022年12月10日(土)には第4回「ルッキズムな仏教」をハイブリッド形式で開催し、約90名が参加(対面:11人・オンライン:77人)。美しい僧侶とは何か?仏教における美とは何か?ルッキズム=外見至上主義と仏教の関係について、史料をまじえながら考察が進められました。
【イベント概要】https://grrc.ryukoku.ac.jp/news/news-203/
【プレスリリース】https://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-11689.html


【発表者】
●河上 麻由子 氏(大阪大学大学院 人文学研究科 准教授)
●大谷 由香 氏(本学 文学部 特任准教授、ジェンダーと宗教研究センター 副センター長)
●大島 幸代 氏(中之島香雪美術館 学芸員)


はじめに、大谷由香准教授(本学 文学部)が、連続ワークショップの趣旨を改めて共有しました。そして第4回目のテーマについて、説話で「美坊主」の存在が散見される点や、仏教における「美」とは何かについてその意味を検討したい、と狙いを述べました。

河上 麻由子准教授(大阪大学大学院 人文学研究科 准教授)は「歴史史料にみる、美男子と仏教」をテーマに発表しました。
河上准教授はまず、ホモソーシャル(同性間の社会的なつながり)な場では容姿や振る舞い、所持品といった符号が各人の立ち位置を決定づけると前提を置き、古来、ソーシャル内で理想の立ち位置に近い人物こそが「美」と表現される傾向にあると指摘しました。
一例として14世紀に書かれた「三国志演義」を示し、美男子と記される登場人物が多く、特に体格の良さや造作を褒める表現が頻出すると紹介。中でも主人公の劉備(りゅうび)は「三国志演義」では美丈夫とされながら、その千年以上前に書かれた「三国志」では美の描写がない点に言及しました。その考察として『物語を楽しむ人々の期待に応える形で、カリスマ性の表現のために美の要素が加えられたのだろう。特に当時の読み手は男性が圧倒的。美の要素には、当時の男性のホモソーシャルにおける「男が惚れる男」の理想が込められたはず』と述べました。

また、社会によって理想像=美が変化する例として南北朝時代の史料を提示。武将中心の文化だった北朝では体格の良さや腹回りの大きさが美とされる一方、貴族中心の社会だった南朝では肌のなめらかさや所作を美と取り上げる記述が多いことを加えました。


そして今回のテーマ「ルッキズムな仏教」に絡め、僧侶の世界もホモソーシャルな世界である点に着目。『美しい僧侶が登場する史料、その圧倒的多数が男性によって書かれたものだ。つまり、僧侶の美を議論してきたのは男性だったと考えられる』と述べました。
ここで「高僧伝」「続高僧伝」といった史料を挙げ、5~6世紀における中国の文献を分析。美しさで称賛・重用される僧侶、かたや美しくないがゆえに冷遇される僧侶の記述が見られる点を紹介し、『少なくとも当時の中国において、僧侶に美貌や貴族的素養が求められていたことは確かだ』と明らかにしました。


河上准教授は締めくくりとして、なぜ僧侶に美貌や挙措の美しさが求められるようになったのか、に言及。『新たな文化が社会に受け入れられる過程では、その社会や階層が求める規範に沿うよう変化することはままあり、これを仏教に鑑みると偽経の誕生や神仏習合が思い当たる。同じようなファクターの一つとして「美」があったのではないだろうか』という考察で発表を終えました。
 

大谷 由香特任准教授(本学 文学部、ジェンダーと宗教研究センター 副センター長)は「僧侶の美醜」をテーマに発表。美しい僧侶(美坊主)を紹介しながら、仏教の世界で語られる美の概念に迫りました。
まず有名な美坊主として挙がったのは3名。仏十大弟子の一人であり、その美しさから「見る者の心眼を歓喜させる」と歓喜を意味する名が付けられた阿難陀(あなんだ)。さまざまな史料で「絶世の美女なのに美への執着を捨て出家した」「美しさゆえの災難に遭った」と美にまつわるエピソードが語られる蓮華色比丘尼(れんげじきびくに)(※)。そして、あまりの美しさに惚れ込んだ女性が龍へと変化したという逸話をもつ華厳宗の祖・義湘(ぎしょう)です。各僧侶のエピソードに触れた後、見た目の良し悪しによって師匠に気に入られた/嫌われた僧侶の存在を紹介しました。

続いて『そもそも仏教では美しさに執着することはNGのはずが、美を肯定する側面も見られる』と述べ、美を肯定する具体例に迫ります。ここで提示されたのは、律蔵で定められた資質について。比丘尼に説法する比丘(※)として選ばれるには十の資質を兼ね備える必要があり、資質には戒律の遵守や勤勉さなどと並んで「容貌の美しさ」がある点を取り上げ、『仏教の大元で美が活用されている点は着目すべきポイントだ』と強調しました。

※ 比丘尼:女性の僧侶、比丘:男性の僧侶



そして話題は「仏教における美とは何か」へ移ります。大谷特任准教授は、さまざまな経典で「前世を含む自身の行為」「怒らずにいること」「心が善であること」これらの要素が美しさに影響すると説いていることから、美とは内面の反映を前提としていると考察。その上で、仏教の「色即是空:あらゆるものは空(くう)である」という教義に立てば仏も菩薩も美醜にはこだわらないのだと再確認し、『仏教は、教義の面では「美に執着すると不幸を招く」といった建前が多く見受けられるものの、仏教が人々の中に浸透していくためには世間で重要な美を肯定するという、相反する価値観を内包している』と指摘しました。
 

大島 幸代氏(中之島香雪美術館 学芸員)は、中国・日本の仏教美術史を研究する立場から「玄奘イメージの系譜」というテーマで発表を行いました。玄奘は唐時代の僧であり、「西遊記」に登場する三蔵法師のモデルとなった人物です。功績を称える数多の玄奘像(肖像画や文献)の分析から3つの系譜を洗い出し、現代人が思い描く美しい三蔵法師像への変遷に迫りました。
はじめに『美術とはそもそもルッキズムなものである』と前提を共有した上で、その表現には大きさや色、形といった「見え方の記号」が活用されると解説。特に仏教美術では美醜を越えた次元での強固な記号ルールが存在すると添えました。


大島氏より玄奘イメージの系譜①として挙がったのが、経典を入れる箱・梵篋(ぼんきょう)を持つ玄奘であり、玄奘像として日本で有名な「玄奘三蔵像」(奈良国立博物館所蔵)もその一つ。この玄奘像では書物「玄奘伝」に記されていた眉目疎朗(すっきり目元)、身赤白色(血色感のある肌)といった要素を色濃く反映しており、まさに玄奘イメージが記号化されたていると示しました。

続いて系譜②として、経典を求めて旅する笈(おい)を背負った玄奘イメージを提示。笈を背負う行脚僧の肖像「虎をつれた行脚僧図」に触れつつ、先行研究を引用し『経典を積んだ笈を背負う行脚僧像は当時連綿と描き継がれており、後世、取経僧の代表格だった玄奘の影像に影響したことは必然的だった』という考察を支持しました。さらに、こと日本では「玄奘像=笈を背負う」という表現が強い記号になっていると解説しました。


系譜③として示されたのは、馬を連れた玄奘イメージです。大島氏は、影像で玄奘を構成する重要な要素は猴(サル)の行者と馬の存在であり、平安時代に描かれた聖衆来迎寺伝来(東京国立博物館所蔵)の十六羅漢像(第五尊者)をはじめ、羅漢像では馬と鬼神(または胡人)を従えていることが多い点を指摘。この共通点について『笈と同じように旅する僧のイメージとして馬と異形の従者が定着しており、西遊記の成立が近づくにつれ、玄奘像の記号と化したのではないか』と仮説を提示しました。

大島氏はまとめとして、『影像をたどることで見える玄奘の美しさの記号とは「若々しさ・血色のよい白肌・頭の丸さ」に」集約される』と述べ、さらに『作品の中で対立する記号「老い・色白でない・頭が不定形で凹凸がある」をもつ存在が配されることで美はより浮き彫りになる』と加えました。
 

三者三様の発表が行われた後、参加者からの質問を交えたトークセッションが行われました。本レポートでは、主に発表者3名のやり取りを抜粋して紹介します。

河上氏:文字史料でも影像史料でも、美の表現に目元や肌の色を用いる点が共通していることが興味深かったですね。
大谷氏:文献と影像、どちらの表現が先かというのは傾向があるのでしょうか?
大島氏:ケースバイケースでしょうが、河上先生の発表にもあったように、美を称賛する文字表現には頻出の定型句があります。それを考えると、言葉が先行することの方が多かったと考えられます。


大谷氏:参加者の方から『河上先生の発表に関連して、当時の中国の美への価値観は、日本にどのように影響を与えたとお考えですか?日本の歴史物語でも色白でふっくらした男性貴族の美しさが描かれていますが、これは中国の影響でしょうか?』という質問が出ています。
河上氏:本日の発表で取り扱ったのは、日本の貴族社会成立よりもかなり前の時代の文献なので、直接的な関係は言及しにくいです。ただし、日本の貴族たちが読んだ史料にはそういった記述があったはずですから、影響を及ぼした面もあると推察します。
大谷氏:美しさという概念はさまざまですよね。史料では声や立ち振る舞いの美しさを褒める表現も多いようです。仏教では何をもって美とするのか、また美しさをどう捉えているかといった点について、本日は新たな視点を提示できたのではないかと思います。