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2025.03.07

政策実践・探究演習(海外)台湾PBL 現地レポート(2)【政策学部】

2025年3月1日〜8日、台湾・国立政治大学との国際交流プログラムに、台湾PBLの受講生19名(大学院生、留学生含む)と金紅実准教授、櫻井あかね実践型教育助手が参加しました。滞在中のレポートをお伝えします。

3月3日(月)

午前は、深抗地域にある国立中学校のコミュニティルームにて、華梵大学林正雄教授から、深抗地域の歴史、茶産業の発展と衰退、古い街並み再生の取り組みについて話を聞きました。

深抗地域はその昔、山に暮らす茶農家が歩いて茶葉を持ってくる交易所であり、ここで船に乗せ換えて川を下り淡水港まで運んでいました。近年は茶飲料に押されて茶葉の消費量が減り、台湾の茶産業は厳しい状況に置かれています。

また、中国からこの地に渡ってきた漢民族は風水を重んじる文化があり、住宅や町の造り方に影響を与えてきました。日本統治時代に道路の拡幅が行われた際、風水を壊すという観点から反対を唱える住民もいました。そのため、比較的古い建物が残されたエリアです。

林先生は建築の専門家として12年間、深抗老街の再生に関わってきました。古い煉瓦造りの街並みを残すよう商店街を改修し、そのレトロな街並みが人気を呼んで多くの人が訪れる観光地になっています。


林先生の講義


深抗老街の町歩き


午後は、国立政治大学の学生と昼食を食べたあと、70年ほど前に建てられた大学の教職員住宅地の再生について話を聞きながら、煉瓦造りの住宅が並ぶエリアを歩きました。


以下、受講生の報告です。


〈午前〉
国立中学校で講義を受け、都市計画や伝統文化の継承について学びました。深坑地域には約50種類の鳥が生息しています。コミュニティ活動が盛んで、私たちが話を聞いた部屋は、政府の支援を受けて教室を増築し、地域住民が集まる場として活用されています。また、窯を使ってパンを焼き、その売上を地域に寄付するなど、コミュニティの維持・発展に力を入れています。

この地域は台湾全体の茶産業を支える拠点でもあり、交流を深める場として機能しています。かつては米やサトウキビの生産が主流でしたが、農業収入を超えるほど茶産業が発展したため、現在は茶の生産が中心となっています。

茶産業の発展には、かつての交通路も大きく関係しています。台北から宜蘭(ぎらん)へ向かう道の途中に位置するため、多くの人が宿泊し、休息を取る場所として利用されてきました。その結果、茶の栽培が広まり、現在の茶産業の基盤が築かれました。

一方で、環境負荷の問題もあります。茶の栽培には大量の水を必要とし、農薬を使用すると水源に影響が及ぶため、無農薬栽培が求められています。しかし、無農薬栽培にはコストがかかるため、伝統的な栽培を続ける茶産業は減少しつつあります。近年は、茶飲料の需要が増加し、コストの低い商品が市場を占めるようになったことで、伝統的な茶文化を残すことが課題となっています。

深抗地域には、風水の考え方を取り入れた建築が多く見られます。日本統治時代(明治期)には、西洋建築のデザインを取り入れつつ、細部に中国風や和風の要素を残した独特な「和洋折衷」の建物が形成されました。

深抗地域には昔、政府に対して自らの考えを訴えた将軍がいました。彼は近代化に反対して地域独自の価値観を守ろうとしたことで英雄視されています。今でも政府と市民の関係は必ずしも良好ではなく、市民の信頼を得るために、仲介役として活動するグループも存在しています。かつて、高速道路の建設によって風水の影響が失われることに対し、住民の間で反対運動が起こったこともあります。

現在も、風水を意識したレストランなどが残されており、地域の人々の風水に対する愛着が感じられます。風水や伝統文化を活かしながら、地域の景観や建築を守ることが、今後の発展に重要となるでしょう。


林先生の話を聞く学生の様子


国立中学校の前で集合写真


〈午後〉
午後は、深坑(しんこう)老街を訪れ、地域の歴史や風水の影響、建築の特徴などについて学びました。

深坑老街と呼ばれる商店街には、風水の考え方を反映した場所が一部残っており、水の流れを考慮した仕組みも見られます。しかし近年の建物の多くは、通りに面する部分が大きな壁で区切られ、風水の考えが十分に生かされていません。かつての古い街並みを残す修復工事が行われた際、電気や水道、インターネットなどのメーターを地下や建物の内部に配置することで、景観を保全しました。

この地域の建物は奥行きが長く、かつては川に面する側が正面でした。しかし現在は、商店街側を正面とする形に変わり、前面は店舗として活用され、奥の部分に高齢者が住んでいるケースが多いです。商店街の通りは、背の低い人でも見渡せるように設計されており、2階以上の部分は個人所有のため、建物ごとに異なる構造になっている点が、修復の難しさにつながっています。本来の正面だった川側の場所は修復が進んでおらず、かつての街並みの面影を残しています。

さらに、中国から渡ってきた人々が集順廟を建設し、地域の文化に根付いています。集順廟には名物の豆腐があり、深坑老街では様々な種類の臭豆腐が提供され、焼いて食べることも多いそうです。

深坑老街の入口に大きな木々が残されており、神聖なものとして考えられています。そのため、木を切り倒さずに深坑老街の道を曲げるなどの工夫が施されています。以前とは大きく異なる形になっていますが、この土地ならではの商売を生かす工夫が見られます。また、この商店街は夜市と異なり終日営業しており、朝市として利用されることが多いのも特徴です。


深坑老街の建物1


深坑老街の建物2


深坑老街での講義の様子


(政策学部 2回生 劉子寧)


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