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Ryukoku Extension Center
龍谷エクステンションセンター(REC)

特別講演
地球環境と仏教

入澤 崇 龍谷大学学長

現在、地球温暖化、気候変動、温室効果ガス問題、森林減少、海洋汚染など、地球環境問題は深刻の度合いを強めています。これらの問題を、仏教の立場から見たらどう映るのか、そしてSDGsと仏教を連結させる「仏教SDGs」という考え方について、入澤崇 龍谷大学学長が講演しました。

SDGsと仏教の共通点は「誰ひとり取り残さない」

SDGsという発想が出てきた時、想いおこしたことが2つあります。1つ目は、1960年台に出版された『宇宙船地球号 操縦マニュアル』という書物です。著者は、アメリカの思想家でありデザイナーであり建築家のバックミンスター・フラー。彼は地球をひとつの宇宙船に見立て、宇宙船地球号の運行が危うくなってきたので、知性の働きに重きをおいた操縦マニュアルを確立する必要があると訴えました。様々な観点から環境問題に警鐘を鳴らした名著で、現在は文庫(ちくま学芸文庫)で出版されています。

2つ目は、滋賀県ゆかりの「近江商人」です。近江商人を特色づける言葉としてよく知られているのが「売り手よし、買い手よし、世間よし」いわゆる「三方よし」です。この中の「世間よし」こそがSDGsに通じる発想であり、「世間よし」は仏教に由来します。近江商人の多くが浄土真宗のご門徒であったことはよく知られていますが、近江商人を源流とする伊藤忠商事の創業者伊藤忠兵衛は「商売は菩薩の業。商売道の尊さは、売り買い何をも益し、世の不足を平らかとし、御仏の心にかなうもの」と言いきっています。

「世間よし」の「世間」は、もとは仏教用語です。仏教はふたつの「世間」を想定します。すなわち、「衆生世間」と「器世間(きせけん)」です。「衆生世間」とは生きとし生けるものの世間、「器世間」とは人間を含めた生きとし生けるものの器(うつわ)、つまり環境のことをいいます。今や「世間よし」が現代社会に痛切に求められているのです。

SDGsが掲げるメッセージは「地球上の誰ひとり取り残さない」ですが、これはまさしく仏教の慈悲の精神に通じるものです。阿弥陀如来の誓願は「すべての者をおさめとって見捨てない」(摂取不捨)というもので、その誓願にかなった生き方を指向し、他者のいたみに感応する人格の形成に力を注ぐのが本学の特色です。SDGsは仏教そして本学の建学の精神に親和性があることを強く感じています。しかし、一方でSDGsの「誰ひとり取り残さない」が掛け声倒れに終わることを危惧しています。問われているのは私たち一人ひとりの活動です。

地球環境の劣化を招いたのは「人間の活動」であることを強く自覚せねばなりません。経済成長をひたすら追い求めると環境に異変をもたらすのです。人類はこれまで「人間と環境」との関係を軽んじてきたように思います。仏教は言うまでもなく、「関係性」(縁起)に視座を据えます。「関係性」に重きをおく考え方は近年、量子力学の方からも強く打ち出されてきています(カルロ・ロヴェッリ『世界は「関係」でできている』)。

脱成長に大きく舵をきらないとSDGsは「大衆のアヘン」になると現状のSDGsに警鐘を鳴らすのは大阪市立大学大学院准教授の斉藤幸平氏です(『人新世の資本論』)。人間の意識と行動が変わらない限り、SDGsの達成はあり得ないと私も考えています。人間の意識と行動の変容を促すもの、それが仏教です。仏教とSDGsを結びつける「仏教SDGs」構想の根はここにあります。斎藤幸平氏が本学卒業生の取り組みに注目するのは極めて示唆的です(毎日新聞2021年2月7日「斎藤幸平の分岐点ニッポン」)。

ユヌス博士が呼びかける「3つのゼロの世界」

創立380年にあたる2019年、本学はムハマド・ユヌス博士を本学にお招きし、RECのもとに「ユヌスソーシャルビジネスリサーチセンター」を設立しました。ムハマド・ユヌス博士はバングラデシュの経済学者・実業家であり、ノーベル平和賞を受賞された方です。

ユヌス博士は「ソーシャル・ビジネス」「金融システムの再設計」に注力され、貧困ゼロ・失業ゼロ・CO2排出ゼロの「3つのゼロの世界」を呼びかけています。

ユヌス博士は、本学でも「3 ZERO Club」を提唱することを勧められました。12歳から35歳までの5人の若者で構成されるクラブで、世界中の誰と繋がってもよく、他のクラブと連携してネットワークを構築し、「3つのゼロの世界」を目指すというものです。SDGsの達成には、若者たちの活動こそが生命線です。未来を担う若者たちが社会課題を自分ごととしてとらえる動きが広がることを期待しています。

比叡山から広まった「草木成仏思想」

もう一度繰り返しますが、環境問題を引き起こすのは人間です。日々の「人間の営み」を検証することが必要です。住民の生活環境を破壊した水俣病の事例は環境問題を扱うときに必ず立ち戻るべきと考えます。

今ではすっかり市民権を得た「持続可能性」という言葉は英語のサスティナビリティ(Sustainability)の訳語です。サスティナビリティ、これはもとを辿ればドイツの林業界が強く打ち出したことは記憶に留めておくべきです。ドイツ語の「ナッハハルティヒカイト(Nachhaltigkeit)」がもとで、日本では明治時代に「保続(性)」と訳されました。自然の開発や自然を征服するという発想が強い西欧で、人間と自然との関係を重視する考え方は生まれていたのです。

日本で最初に大規模な環境破壊が起こった場所は、瀬田キャンパスの南側にある田上山(たなかみやま)と言われています。良質のヒノキが採れるため、6世紀末~7世紀には藤原京や平城京の造営、その後東大寺、石山寺、延暦寺の大寺院建設で大量の木材が使われました。当時はそれが環境破壊に繋がるとは考えられていなかったのでしょう。江戸時代には「田上の禿(はげ)」として知られるハゲ山となりました。その結果、荒廃した山の土砂が流出し、度重なる洪水の原因となりました。明治時代から苗木の植栽が行われるようになり、現在では緑が蘇っています。瀬田は環境問題を考えることに適した地域です。

叡山仏教、つまり天台宗には「草木成仏」という思想があります。草や木を仏さまと見るというもので、もともとのインド仏教にはなく、中国で生まれた思想です。滋賀県には、自然環境を大切にしようという気持ちが根付いているのは、こうした思想が行き渡っていたからかもしれません。いま若い人たちの間で環境問題に高い関心が寄せられつつあります。瀬田キャンパスから、大津市から、滋賀県から、そして日本から、若者たちの見出す叡智や新たな活動を世界に発信できればと考えております。

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