学長法話

12月の法話 2011年12月9日(金)/大宮学舎・本館講堂


皆さんおはようございます。

12月に入り、年内もあと20日ばかりを残すことになりました。今年は特に3月11日の東日本大震災があり、その後も9月の台風等でずいぶん日本各地で大きな被害をもたらしました。世界的な政治社会の大きな変動という状況をふり返ってみましても、アラブ地域ではチュニジア、エジプト、リビアで長きにわたる専制政治が転換して、新たなさまざまな政治変革、政治変動が今も進行しています。シリアでは、今なお市民への過酷な圧殺、弾圧が続いています。さらに、夏頃からメディアなどで取り上げられているように、ギリシャやスペインでの財政危機が顕在化して、EUのいわゆる経済危機が深刻化しており、現在、ドイツの国債価格も下げて、日本経済への波及も懸念されています。日本社会の自然災害等々だけにとどまらずに、東京電力の福島原発事故にみられる放射能汚染は、いままで築いてきたものの価値観とか、ある想定された認識のしかたとか、私たちの普段の暮らしのあり方というものを含めて、パラダイムシフトの転換ということが大きな課題と指摘されています。

私たちの大学がかかげております「建学の精神」というものと、できるだけ近づけて考えていけば、一つは私たちの戦後の歩み、あるいは暮らしの歩みも「右肩上がりの時代」のなかでこの50年間は歩んできたことだと思います。私たちの大学にとって深草にキャンパスを開き、経済学部を開設したのがちょうど50年前でありました。右肩上がりの「とば口」の頃であったと思います。その後、日本社会は70年代の初めにはGNP(国民総生産)から言えば世界第二位の経済大国にのしあがってきたました。しかし、1990年代の初めにバブルが崩壊して今年でほぼ20年近くなると思います。日本社会の右肩上がりという時代での躓きが、すでに20年前から指摘されてきたことでありますが、特に今年の東日本大震災ということを通して、文明的転換といもいえるさらに踏み込んだ問題があろうかと思います。

右肩上がりというのはある種、人間のさまざまな抱える欲望を経済システムとして広告媒体などを介在し、誘導しながら大量生産、大量消費、そして大量消費するサイクルを築き上げて消費社会を形成してきました。部分的にはリサイクルという考え方も技術も広がりつつありますけれども、やはり欲望の底なしを充足していくという潮流はこの間続いてきました。したがって「経済成長」願望を相対化することが困難となっています。しかし、右肩下がりという時代がすでに明らかになっておりますし、大学にとっては少子化ということがひたひたと押し寄せていることであります。そういうことを含めて「建学の精神」ということを考えれば、私たちが普段何気なくこの龍谷大学というキャンパスの中で生活をして、そしてさまざまなところで宗教行事等についても足を運んで釈尊や親鸞聖人の教えを聞かせてもらい、学ばせていただく機会があるのですが、ただそのことが自らの外にある知識のように受け取ることであるならば、自分のあり方とか自分の生き方に関わることと受け取ることとは質が違うと思います。したがって建学の精神が親鸞聖人の精神だと語って、さまざまなパンフレット等々で記載しても、それは大学の経営側が言っているにすぎないのではないかと、このように受け取る向きがあるならば、建学の精神が生かされていないことになります。

親鸞聖人の精神、阿弥陀仏に帰依する精神の骨格の一つは、阿弥陀仏という量ることのできない光といのちのはたらきに私たちがうなずく、気づいていく。それは同時に私たちのありようを深く見直すことでもあります。親鸞聖人は「慚愧」という言葉で表現されています。あるいは私たち自身を「煩悩具足の凡夫」と認識することも、阿弥陀仏のはたらきの中で受け取る言葉と考えます。私たちも建学の精神に触れることによって、大きな構造としてある消費社会に関わりながらも、そうした動向を相対化し、時には順応せずに踏み止まるところに人間のあり方というものが開いていくことを志向したいと思います。

私は日本仏教史を専門分野としていますが、いろんな分野の本を繙きますが、山本義隆さんが8月にみすず書房から『福島の原発事故をめぐって』を発刊されました。山本さんは40年前、1970年当初の東大全共闘の議長をされた方で、その後物理学の専門領域で優れた研究成果である大著を発行されております。山本さんは、近代の科学史を踏まえながら3月11日の震災のことに触れて、次のように述べておられます。

3月11日の東日本震災と、東北地方の大津波、福島原発の大事故は、自然に対して人間が上位に立ったという、ガリレオやベーコンやデカルトの増長、そして科学技術は万能という19世紀の幻想を打ち砕いた。今回、東北地方を襲った大津波に対して最も有効な対抗手段が、ともかく高所へ逃げろという先人の教えであったということは教訓的である。私たちは古来人類が有していた自然に対する恐れの感覚をもう一度取り戻すべきであろう。自然にはまず起こることのない、核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ、自然界にはほとんど存在しなかったプルトニウムのような猛毒物質を人間の手で作り出すようなことは、本来人間のキャパシティを超えることであり、許されるべきではないことを思い知るべきであろう。

ここには、近代の科学技術に対する根本的な認識のしかた、つまり、人間がいうならば自然に対して上位に立ったという思いあがりということと、科学技術の進展ということと、さらにまた、自然界に存在しなかったようなプルトニウムのような猛毒物質を人間自身が作り出してしまっているということが指摘されています。

非常に重要な私たちが深く考えるべき内容を指摘されているのではないかと思います。それを私たちが科学技術の中でより詳細に緻密に分析し、それを技術化していますが、一方で、仏教というものを、人間を、いのちを深く考えていけば、一転して人智を越えた不可思議なはたらき、思議を超えたはたらきというものに対する覚醒、目覚め、気づきというのが仏教の智慧であり、それに私たちが目覚めていく、気づいていく世界であります。したがって、私たちも建学の精神というものに触れていくならば、自己にとらわれ、自己を中心とした人間関係、価値観などを当然視しがちでありますが、そのことを根底から問いかけて、転じていく自らのあり方の中で仕事をする、あるいは人間や社会関係を形成していくところに大きな意味なり意義があると考えます。

年がだんだん押し迫っておりますけれども、今年の大きな出来事、世界各地で専制的な政治が次々と打ち破られていく現象も、その人たちにおける専制的な政治の思い上がり、傲慢さというのが民衆の多くの人たちの期待に、要求に、願いに応じていない政治の必然的な現象として変動が起こっていることだと、さらに言うならば経済的なシステムの大きな危機というものについても同様のこととして見直すことが大切なことだと思います。

私たちにとって政治社会というものの変動が、私たちの建学の精神とは全く無関係ではなくて、建学の精神を学びながら私たちの見方、考え方、生き方というものを培っていこうというのが長い歴史の伝統であり、私たちの372年という年月を辿ってきた歴史の中で、多くの方々がその一端を学びながら、時代を過ごしてこられたのではないかと重ね合わせて考えることでもございます。

私は奈良の山間地に住んでいるのですが、その郷里の宇陀市大宇陀の万葉の丘というところに柿本人麻呂の歌碑が建っていますが、『万葉集』に柿本人麻呂のよく知られた歌がおさめられています。

東の 野に炎の 立つ見えて かえり見すれば 月傾きぬ

『万葉集』の48巻目のところにおさめられている歌です。毎年12月11日に「かぎろを観る会」という会が随分長く行われています。非常に冬の寒い時期に、朝方、好天であれば東の方から日が立ち昇るところで、山際のところが非常に色鮮やかに景色を見せながら日が昇っていく。一方で、ふり返って西の方をみれば月が落ちていくというような対称的な自然現象を詠っています。旧暦では11月17日がその日なのですが、今年は12月11日の日曜日がその日にあたります。天候が恵まれるのは10年に1回といわれていますので、ほとんどその日に行ってもその現象を見ることが難しいのです。見ようと思えばその前後の天候の良い、冷え込んだ朝4時30分頃に行って、じっと待ち続けると自然現象がうみだす鮮やかな彩りを見ることができます。私の家から東のかなたの山並みを見れば、その景色を見ることができますので、立ち寄って頂ければと思います。自然と人間のありかたの一端を考えるヒントも体験することもできます。

今日は仕事前、授業の前にお参り頂けたことをお礼申しあげます。

ようこそお参りくださいました。

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