学長法話

10月の法話 2012年10月11日(木)/深草学舎・顕真館


おはようございます。後期の授業も始まり10月、仲秋の良い季候を迎えました。講義の前、仕事前に皆さんようこそお参りいただきました。

今日お話しをしようと思っていますのは、本学の建学の精神は浄土真宗の精神、親鸞聖人の精神と環境に関わる側面についてのことです。

私たちは今の時代のテーマとの関連で考えていかなければならないのですが、その出発点は皆さんがご存知のとおり古代の末から中世に入る転換期に親鸞聖人は浄土真宗というみ教えを開かれました。古代から中世への転換期でありましたので政治支配における政権は、公家勢力が影響力を持ちながらも武士層が本格的に台頭してきました。仏教勢力につきましても奈良から平安期にかけて展開した南都の諸宗、天台宗、真言宗が時代のうねりに対応し、自らの存立として王法仏法相依論を全面的に展開しながら仏教の再興の道を開き、同時にいわゆる荘園制という新たな土地開墾を進めて社会を形成するという転換期であったわけです。朝廷にしても、武家勢力にしても、寺院としても積極的に荘園を経営する方向をとりました。当時仏教界では、戒律復興論を展開して仏教界の再興を模索していたわけですが、仏教には基本的な五戒というものがあります。その五戒の中で最初に不殺生戒(生き物を殺さない)というものがあげられます。当時の仏教界は不殺生戒というものを高くかかげながら一方では荘園の領主としての経営をしていく。荘園を経営していくと土地を開墾したり、山の木の伐採をしたり、さまざまな開拓・開発事業を行っております。その際に不殺生戒というものを一方で掲げて殺生をすることについての「悪行」というものを指摘しながら、また「悪人」は地獄に堕ちるという論理をかかげながらです。一方ではその人たちに善きこと、善行をすべきこと、善きことをしてこそ成仏の道が開かれていく。成仏できる、善行、善根をしなさいという、このセットでつながれていたのが当時の仏教界の支配的な考え方であり、当時の幕府もあるいは朝廷関係もそういう考え方でいましたので、寺院にはさまざまな寄付行為、保護行為をいたします。

当時よく言われたのは(現代社会でもときどき)仏教思想と環境に関わった考え方として、“山川草木悉皆成仏”“山川草木悉有仏性”、山とか川とかすべてのものが仏になっていける、あるいは仏性を有しているのだという考え方が“天台本覚”で論じられていたわけです。この天台本覚は、荘園領主の殺生禁断イデオロギーを裏付けるものでありました。

しかし親鸞聖人らの専修念仏の集団は幕府、朝廷からそして当時の仏教界から厳しい弾圧を受け、法然聖人の門弟は流罪の身となるのですが、親鸞聖人は浄土真宗のみ教えを開かれました。戒律というもの、不殺生戒という戒は、親鸞聖人にとって、そして専修念仏に帰依した人びとが通常の生活をし、生業をしていく上で、戒を破らざるを得ないという内実をともなって展開をしている。荘園内での田畑、山などの開墾するにしても、その地中の生き物として虫がおり、樹木があり、河川での魚がおり、さらに山での炭焼きなどもあり、それらにすべてにわたって不殺生という戒の網がかけられている。それらを悪行として不殺生戒を破る者、堕地獄に行く者とされていく。一方で善行、善根功徳が勧められる。にもかかわらず多くの人たちが山林、土地を開発・開墾して生業をしながら生活をする。そうすると、そこで大事なことは私たちは、殺生禁断のイデオロギーに絡め取られ、善根功徳を修める善人、賢人として仏教界が主張した仏教思想ではなく、悪というもの、あるいは罪というものとの関わりの中で私たちの生業あるいは生活というものが成立しており、そのような私たちを阿弥陀仏の本願のはたらきによって浄土に生まれることができる。このような教えが浄土真宗の教えであるわけです。それゆえにいわゆる顕密仏教から専修念仏は厳しい批判にさらされ、長きにわたって弾圧、抑圧を受けることになりまります。

そのことを私たちは日本の仏教思想を学んでいく上においても、大切にしなければなりません。当時、中世の仏教思想を学ぶ中で、なぜ浄土真宗という親鸞聖人が開いた教えでなければ往生浄土の道は開かれないのかを深く学ぶことが大切です。私たちが日常の生活を行い、何らかの生業をしながら家庭生活、社会生活を営み、あるいは学生諸君も何らかの生活をしていくうえにおいて、私たちは自己中心的に自らの利益を追求し、自らの願望を満たすということと避けがたく存在していますが、浄土真宗の精神は、そのような私に「真実を求め、真実に生き、真実を顕す」人間となるようにはたらいています。そこで気づかされる私たちのありようは罪と悪というものと不可分に歩んでいるということを深く見つめることが大切です。いわゆる賢人・善人のイデオロギーから解放されることでもあります。

大学の大きな使命は教育、研究でありますが、とりわけ本学の歴史というのは人を育成していく、浄土真宗の精神・教えというものを十分に学び取っていただくような人を育てていきたいというのが開学1639年以来の長い伝統だと思います。その考え方は日本という領域内だけに閉じたものではなく、日本を含んだ国内外に開かれた人としての成長、普遍的な人間社会を切り拓いていこうというのが本学の使命だと私は考えております。

ちなみに本願寺境内に学寮として開学した1639(寛永16)年は、幕府が寛永の鎖国令を出した年です。幕府は政治的に、体制的には鎖国という閉じた体制を築きましたけれども、学寮では仏教という普遍的な教えが、思想が講じられ始めたわけです。そこで学ぶ教え、思想は、インドから中央アジア、中国、朝鮮半島、そして日本に至る歴史文化、人物、言語などを学ぶことにもなります。学寮は僧侶を養成する機関ですが、その人たちも日本国内だけの知識を持っているわけではなく、今でいうグローバルな、あるいは国際的な知識文化、歴史を学び、そして地方に行って、地方の多くの人たちに仏教、浄土真宗の教えのみならず幅広い教養を教授する役割を担っていました。各地方でそのような僧侶に教授された人たちは、私という殻、枠の閉鎖性に埋没するのではなく、普遍的な人間のあり方を模索して開かれた生き方を生み出し、豊かな仏教文化を地域に定着したのです。

浄土真宗のみ教えを受けた人びとは、非難されることとして、「門徒もの知らず」とか「物忌み」をしないなどと言われました。それは加持祈祷、祈願祈祷をしないという姿勢、生活態度への非難でありました。ちなみにスポーツの勝負事があってもいわゆる「必勝祈願」というようなあり方、生活態度として持たないというのが浄土真宗に関わって継承し、定着してきた日本の中での一つの伝統、文化の形成でありました。そのような非呪術的な文化的伝統の形成拠点が本学龍谷大学が歩んできた歴史の一側面と言って良いと思います。

私たちも現代社会を凝視した場合に、仏教思想を一元的に語ることも多いかもしれません。しかし、私たちの大学が長年培ってきた仏教精神、浄土真宗の精神ということをいった場合に、どういうあり方が開かれていくのか、どういう考え方で現代社会と向き合っていかなければならないのかということをよく考え抜いていかないといけないのではないかと思います。私たちは建学の精神、浄土真宗のみ教えに学び、それを自らの生き方の拠り所、立脚地として生きようとする人を育てていくというのが大きな使命だと思います。

学生諸君も職場の皆さんも、さまざまな悩みをかかえ、ある時には錯綜する利害の対立の中で争いが生じたり、広く社会の諸関係性に規定された困難さがあるにしても、本学が依るべき浄土真宗の精神に学びながら、本質に立って物事を考え、そしてそのことを社会的に発信をしていく、取り組んでいくということが求められていると思います。

今日皆さんとともにお念仏を申しました1984年に建てられたこの顕真館、いつも申し上げていますとおり、正面には親鸞聖人が84歳の時にしたためられた「南無阿弥陀仏」という名号が刻まれております。

この名号は我々から見れば向こう側に刻まれた名号ですけれども、本質的にはその名号は私たちがいる場ですでに私を“必ず摂め取って捨てない”と、浄土に生まれせしめたい、あるいは一人ひとりが何よりもかけがえのない、無量のいのちを恵まれたものとしての存在であるということに深く目覚めてほしい、気付いてほしいというはたらきをしてくださっている。この正面に刻まれている「南無阿弥陀仏」の名号の意味、そしてはたらきをともどもに感じさせていただきながら、今日の法話とさせていただきます。

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