学長法話

11月の法話 2012年11月6日(火)/瀬田学舎・樹心館


おはようございます。皆さんようこそお参りくださいました。

瀬田キャンパスでは第90回の龍谷祭と第41回の学術文化祭が10月27日(土)、28日(日)に開催されました。深草ではご案内のように11月2日、3日、4日に同じように龍谷祭、学術文化祭が開かれました。私は27日の開会式の後、理工学部の研究室がオープンされていましたので、いくつかの研究室にお邪魔しました。各研究室毎にいろいろと特色のある研究分野で、特に大学院生を中心にして作られた技術を生かしたものが展示されていました。高校生にもオープンにしていたこともあり高校生も研究室を訪ねていました。私も普段理工学部の科学技術分野を直接目の当たりにすることは少なく、理工学部の堤先生の研究室に行きますと、4本足で走るロボットを作っている女性の大学院修士1回生がいました。できるだけスピードのある技術開発を今後一層進めていきたいという話をしていました。研究室の中で比較的短い距離でしたが、かなり力強く走っている姿を見て、できるだけ早くスピードを上げる技術開発を進めていった暁には瀬田のグランドで私と100メートル競走をしようという話を堤先生としていました。10メートル程度なら私の方が優位だと思うのですが、100メートルなら私は50メートルぐらいでギブアップして後から追い上げてくるロボットの方が先にゴールするだろうと冗談を言いながら研究室をあとにしたことでありました。

11月4日、深草でも池坊の立華、陶芸などいくつかのサークル展示を見ました。アコースティックギター部の教室に行きますとどこかで見た学生だと思ったら、(私は奈良の山里住まいなのですが)隣の家の息子さんがそのギター部に入っていました。小さい頃から親しくしていますので大ちゃん(新大輝と言います)何してるのと聞くと、これから出演すると言っていました。このような学生と接する機会があって非常に楽しい一時を学園祭の中で過ごさせて頂きました。教職員の方々が龍谷祭や学術文化祭などで学生が日頃の成果を発表している現場に出向くことは少ないように思います。教員は学生と教室等で接しますが、学生生活全体の中でサークル活動などがどのように行われているのかもできるだけ現場に立ち会って見ることが学生を理解し、学生と交流するうえで、教育の場では非常に大切なことではないかと思います。

ところで、昨年の3月11日の東日本大震災から1年9ヶ月近くが経ちますが、時間の経過とともに現地に身を運んでいないと、被災者、被災地との距離が遠くなり私たちは自らの身の回りの事柄に、近距離に視線を限りがちになって、今なお被災者の現状がどういう状況なのか、被災地の人たちの悩み、苦悩がどういうものなのかについて関心が徐々に薄くなって、日常生活を過ごしがちなところがあります。本学では今年もボランティア活動で学生が被災地に行っていますけれども、学生以外の私たちもできるだけ機会を作って東北の被災地の現実、現状というものに自分の身を置いていくということも、同じ時代を生きる者としては大切なことではないかと思います。

大震災の後、山折哲雄さんという宗教学者・哲学者が、寺田寅彦さん(戦前の物理学者)の書物(講談社学術文庫『天災と国防』)を引用して、寺田さんの識見を紹介しております。寺田さんが昭和9年、1934年に書かれた文章ですが、私も読んでみますと、今なお的確な指摘をされています。時間の都合で少しだけ紹介します。「悪い年回りはむしろいつかは回ってくるのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りのあいだに充分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである。もっともこれを忘れているおかげで今日を楽しむことができるのだという人があるかもしれないのであるが、それは個人めいめいの哲学に任せるとして、少なくとも一国の為政の枢軸に参与する人々だけはこの健忘症に対する診療を常々怠らないようにしてもらいたいと思う次第である。」という文章です。

私たちにはいろいろな自然の鉄則があって、自然災害などが回ってきますけれども、しかしながらそういうことは、必ず事前にこういう良い年回りであってもどういうことが生じるのか用意しておかなければならないのですが、しかしながらこれほど忘れがちなものはないということを指摘しています。同時に文明の進んできた時代というのは、人間は自然を征服しようという野心を抱いており、その中で自然と接するために必ずしも自然を操作したり征服したりすることができない事柄についてやはり考えが及ばないということを指摘されています。私たちの社会も日本社会であるならばいわゆる工業化社会が特に高度成長の中で築き上げられてきて日本の中では今は「ポスト工業化社会」という言い方がされます。1990年代の前半期で日本社会も「ポスト工業化社会」という言い方をして、アメリカなどは1960年代後半の段階ですでに「ポスト工業化社会」に入っていると指摘されています。工業化社会というのは要するに物事を作ってすべてに操作可能な部品の積み重ねた社会構造であるかのように社会を考えていくわけですから、社会にいろいろ問題が生ずればパーツの部分を取り換えていけばその社会は改善されていくのではないか、取り換え可能な社会ということを工業化社会といっているわけです。しかしながら、人間と自然との関係とか人間そのものという存在から言えば、やはり工業化社会がもたらした弊害もありましょうし、逆に言うと、パーツで私たちの人間社会が必ずしも交代できない者として、全体として人間社会というのを考えないといけない。こういう指摘があるわけです。本学の建学の精神は浄土真宗の精神あるいは親鸞聖人の精神といいますが、とりわけ阿弥陀仏のはたらきの中でよく言われるひとつのフレーズとしては、“生かされたいのちを生きる”という表現をします。そのときの“生かされたいのち”といういのちは自分たちの操作可能な、あるいは人為的にはたらいているようないのちとしてそれを考えずに、量ることのできない無量の智慧と慈悲のはたらきの中で私たちのいのちが、あるいは、私たち自身が仏になっていける道が開かれていく。それはパーツとしての人間の部品を取り換えたら済むというわけではないものを私たちは見抜いていかないといけないのではないかと思います。私たちの高等教育機関としての大学において、多くの学ぶ側の学生の皆さんにとっては20才前後の時期というのは人間の成長する過程の中で大きく成長でき、さまざまなことを吸収できる時期だと思います。その際には、人間の真剣度とか本気度とか、全力投球するという言葉があるように、集中して物事に取り組む中でなにかそこで培われた潜在的なものが顕在化して、次の段階に成長していけることが経験、体感できるのだと思います。一方ではその時期はその時期としてありながらも、人間というのは老いというものも生じてくるわけですけれども、特に学生の皆さんは、全力投球して集中していくと今まで自分の中に気付かなかった潜在的なものが顕在化してより物事に積極的に取り組み何らかの目標にも到達できる、そういうものを体感し、そのことに自らの可能性を見いだす経験をすることがあると思います。それは私たちにとっては謙虚さであったり、自分のありようを見つめる中で取り組んでいけるものがある。大学の中ではそれぞれの分野の中にそれぞれの仕事があったとしても、本学では阿弥陀仏という仏さまのはたらきのなかで見つめ直すことによって、傲慢さ、驕慢さ、うぬぼれとかが砕かれるはたらきの中で私がある。一方では物事に真摯に全力で取り組むことがまた新たな発見であったり、新たな目覚め、気づきが私の中に生まれてくる育てられる面も出てくるのではないかと思います。

私たちは変貌する社会の中のまっただ中にありますので、一人ひとりが量ることのできないいのちを恵まれたものとしてお互いが“われら”という関係の中で連帯をしていく、つながっていくことが求められています。工業化社会はどこかで部品化され、人間社会に亀裂が生じていく社会という面もありますので、自分たちの拠り処あるいは自分の存在の意義が失われていく、稀薄になってしまうという社会の流れもあります。しかしながら一方では私たちは自分たちの拠り処を求めることによって“われら”という連帯をできる人間の関係を培っていく土壌というのが私たちの大学の中から、そして大学に関係する私どもも、大学以外の人達との間柄も、“われら”という間への拡がりを持って考えていくことが大事なことではないかと考えさせて頂くことであります。

今日、学園祭が終わって学生諸君もいよいよ日々の勉強とかサークル等々がありますので、時間の過ごし方、集中の仕方の中に建学の精神ということも十分意識して大学生活を送ってもらいたいと思います。教職員の私たちもそういうことを意識しながらしっかりと仕事をさせて頂きたい。このように思うことであります。

ようこそお参り下さいました。

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