学長法話

5月の法話 2015年5月29日(金)/大宮本館講堂


お早うございます。5月の学長法話ということで、日頃より少し早く本館へお参りをいただきました。本当に月日の経つのは早いもので、今日は5月29日ですので、来週の月曜日からはもう6月を迎えることになります。

大学の方も5月の初めは連休が数日続きましたけれども、その後も、学生の皆さんにとっては、講義を中心にして、さまざまな課外活動でも忙しいことであろうかと思います。


大学は、今年4月から瀬田キャンパスに農学部を開設しました。そして5月13日には最初の田植えをしました。瀬田キャンパスから車で10分ほど離れた上田上(かみたなかみ)という所に、農場実習のために2町7反ほどの田んぼを借りて、その一部で私どもも田植えをさせていただきました。教員と、そして農学部の学生さん50人ほどが参加しました。参加申込みが多かったそうで、そこから選ばれて約50人の学生が田に入りました。

私は奈良の山里で生まれ育ちましたので、当然、畑や田んぼがあって、小学校の高学年ぐらいまでは田んぼに入ったこともありましたが、中学生になってからは、ほとんど田んぼに入ることはないような生活を過ごしましたので、50年以上前に経験した田んぼの感覚を思い出しました。

「感覚」と言いましても、今回はきちんとした長靴を履いて、またヤンマーから借りた作業服を着ましたので、小学生の頃のように、裸足で田んぼに入って泥んこになるようなこともありませんでしたが、ただ、随分うまく耕してあったので、ひと脚、ひと脚が膝の辺り深く潜ってしまって、次の脚をどのように出すかが難しくて、ヨタヨタしました。これは、「ふぁーむ牧」という農業法人に手伝っていただいておりまして、近所の70代くらいの女性に絣の作業着を着ていただいて、昔ながらの早乙女姿で手伝ってもいただきました。約50数年ぶりに非常に新鮮な感覚を味わいました。9月には稲刈りがありますので、それも楽しみにしたいと思います。

日本各地に田植え歌というものがあります。私たち浄土真宗の、み教えの長い歴史の中では、関東に、真宗のみ教えを通した田植え歌が長く今日まで伝承されているものがあります。来年5月頃の田植えには、龍谷大学らしい田植え歌を作ってもらったらいいのではないかと、今、申しています。誰かが作ってくれるのではないかなと思ったりして、来年を楽しみにしています。来年は、田植え歌を歌いながら田植えをしたいと思っています。


ところで、私たちの大学では建学の精神を掲げています。学生手帳などに建学の精神の趣旨が示されています。文章の最初には、「龍谷大学の『建学の精神』は『浄土真宗の精神』です。浄土真宗の精神とは、生きとし生けるもの全てを、迷いから悟りへ転換させたいという阿弥陀仏の誓願に他なりません」と謳ってあります。「誓願」とは誓いです。

その後の所でも「阿弥陀仏の願いに照らされ、自らの自己中心性が顕わにされることにおいて、初めて自己の思想・観点・価値観等を絶対視する硬直した視点から解放され、広く柔らかな視野を獲得することができるのです」と示されています。

ですから、私たちも阿弥陀仏という仏さまの誓い、智慧の光への出遇い、ご縁、そういうことがあったならば、同時に自分のあり方の一番の中心としては、自己を据えてしまって、絶対なもの、あるいは実体として〈私〉があり続けるというような、ある種の執われ、計らい、固定した考え方を見直すことを通して、今まで持っていた価値観、見方、ものの受け取り方を、大きく転換できて、そういったことに伴った悩みから解放されていく――。柔軟な、柔らかな生き方が開かれていって、自己と他者との共に開かれた、言うならば、改めて、友だち、輩(ともがら)というような関係を開いていけるような人間になっていく――。そこに私たちの大学の建学の精神をもって、大学という場所で育っていける大きな意義があるのではないかと、このように考えたりもします。


親鸞聖人が書かれた「御消息」という手紙があります。直筆の手紙も残されていますし、写しとして残されている手紙もあります。その「御消息」のうちのある所に、建学の精神として紹介したことと少し重なるものとして、次のような文章があります。

「まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひ(誓い)をもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもきき(聞き)はじめておはします身にて候ふなり。……」(『末燈鈔』20/『浄土真宗聖典―註釈版―』739頁)

一人ひとりが、昔は阿弥陀仏の誓いがどういうものなのかも知らない――これは、今の時代においても、釈尊がどうだ、親鸞聖人の教えがどうだと、こういうことも知らないというか、触れないことも多くあるわけです。だから「阿弥陀仏をも申さない」――南無阿弥陀仏という名号を称えることもしていなかった。しかしながら、お釈迦さまとか阿弥陀さまのご方便に催されて、今、弥陀の誓いを聞くような身になっている――。

「……もとは無明(むみょう)の酒に酔ひて、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三毒をのみ好みめし(召し)あうて候ひつるに……」(同前)

光――照らし出されるもの、気づかされるものとの出遇いがない以前は、無明の酒に酔って、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒だけをほしいままに好んできた――。感情的なすれ違いがあるならば、その感情の行き違いをそのまま表わして怒り出してみるという動きに身を任せていく。欲望のままに、それがそのまま満たされることを求めて、しかしながら現実には、必ずしも充分に満たし得ない現実があるならば、そのことの中に怒り出してみたり、いろいろな感情、思いが募ってくる……。

しかし、
「……仏のちかひ(誓い)をきき(聞き)はじめしより、無明の酔ひもやうやう(漸う)すこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。……」(同前)

今は、仏さまの誓いを聞いていくにしたがって、無明の酔いも、だんだんと少しずつさめてきて、三毒をも少しずつ好まないようになって、阿弥陀仏の薬をつねに好んでいくような身となっていった――。

私たちの大学も、学生には「仏教の思想」という必修科目を通して、釈尊のみ教えの一端、ご生涯の一端を、そして親鸞聖人のご生涯の一端、あるいは思想、み教えを学ぶ、そういったことをきっかけにして、ひとえに阿弥陀仏の薬を好むような身になっていく。それはまた自らのありようを照らしだされるような身になっていく。そこに、自分の身のありよう、そこには悲しむべきこともあろうし、痛ましいものをもっている〈私〉でもあると同時に、一方では、阿弥陀仏の光に照らされたいのちとして、どのように現実を生き抜いていくのか――と。そういうことに向けての確かな道を開かせていただく、人生を開いていくところに、大きな教えの導きがあるのではないかと、このように考えたりします。

現実はそれぞれの力を持っているなかにおいても、そういった眼差し、受け取り方が大事だということに気づかせていただこう、と思うことでもあります。


つい先日、5月3日に、評論家であり、児童文学者であり、詩人であり、たくさんの翻訳もされている長田弘(おさだひろし)さんという方が75歳で亡くなりました。この方は、福島市のご出身で、2011年3月11日の東日本大震災以降、震災をめぐって多くの詩を書かれています。先日、この方が書いている詩を改めて読んでみたものの中に、こういう詩がありました。

『死者の贈り物』(みすず書房)という詩集の中の詩で、「イツカ、向こうで」というタイトルがついています。ご紹介します。


人生は長いと、ずっと思っていた。
間違っていた。愕(おどろ)くほど短かった。
きみは、そのことに気づいていたか?

なせばなると、ずっと思っていた。
間違っていた。なしとげたものなんかない。
きみは、そのことに気づいていたか?

わかってくれるはずと、思っていた。
間違っていた。誰も何もわかってくれない。
きみは、そのことに気づいていたか?

ほんとうは、新しい定義が必要だったのだ。
生きること、楽しむこと、そして歳をとることの。
きみは、そのことに気づいていたか?

まっすぐに生きるべきだと、思っていた。
間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。
きみは、そのことに気づいていたか?

サヨナラ、友ヨ、イツカ、向コウデ会オウ。


こういう詩です。この中に「ほんとうは新しい定義が必要だったのだ」という件りがあります。私たちも、この詩の前半にあるように、人生は長いとか、先に先にと考える傾向というか常識があるわけですけれども、生きることについて、楽しむことについても、そして歳をとることについても、新しい定義が必要だったのではないか。

これは、先ほどの建学の精神からいうと、私たちは迷いの中にあっても、悟りへと向かっていく新たな出発というものを私たちの新たな定義として、私たちにとっては、阿弥陀仏のはたらきとの出遇いというものを出発点とした、新たな生き方、自分の生きる道というものを探り当てていくことが大切ではないか。このように思ったりもします。

「人生は長いと、ずっと思っていた」――。私たちのような年金世代に入って、ほぼ同じ年格好の友人などに会うと、最近はよく「もう先は短いな」と言います。10年ほどあるかどうか、です。その10年とか20年を計算するなかに、大きな落とし穴があるのではないか。

それは、私たちはそういう齢になったことを前提にして、先をみて「あと10年」「あと20年」と言ってしまうわけですけれども、そういうことの間違いに気づかせてもらうものがあります。

そこで新しい定義は、いかに60歳を過ごしていようと、20代の学生の人であろうと、何が共通なのかということだと思います。20代と60代という齢の違いはあるにしても、どのような根本的な共通性があるのか――。

お互いが、生かされたいのちを今、生きていることにおいては、共通する面があるわけです。あるいは、恵まれたいのちをこの身に生きている者においては、共通のはたらきがある。そうすると、20代の人も生かされたいのちを今生きるものとして、やはりいのちを大切に過ごしていかなければ、隣に80歳の人を見ても、その人と同じ齢まで、この身がそのまま到り届くかどうかは、必ずしも定かではない。これを定かであると思い込んでしまうと、そこに若さの自惚れが、あるいは驕りがあって、ちょっとしたきっかけでいのちを失ってしまうかもわからないものである。

このように考えて、あるいはそういうところに思いを致して、学生諸君にとっては今後、結果としては長い人生があるかもわかりませんけれども、それをしっかりと見つめるような人生を歩んでいただきたい。

それが私たちの大学の大きな願い、建学の精神ではないだろうかと、このように味わうことでもございます。


今日、皆さまと共に5月のお勤めをさせていただいて、改めて私たちの大学の建学の精神のなかで願っている事柄について思いを寄せ、また先ほどご紹介をした、長田弘さんの詩の一節を味わいながら、「新たな定義」ということも考えて、「向コウデ会オウ」というのは長田さんの表現ですけれども、私たち浄土真宗の教えでは、浄土に生まれていくということですから、浄土に生まれる身となって、どんなに辛い悲しい別れであろうと、必ず浄土で会える世界がある――。このように表現していくものだと思ったりもいたします。


皆さんとともにお参りをさせていただいたことに感謝を申しあげて、法話を終わらせていただきます。

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