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2019.02.09

「宗教教誨活動」をテーマに矯正宗教学ユニット公開研究会を開催【犯罪学研究センター】

教誨活動の歴史と現状から、宗教と社会のあり方を検討

2019年1月30日、犯罪学研究センター矯正宗教学ユニット」では、公開研究会を本学大宮キャンパス 南黌で開催し、教誨や宗教に関わる実務者、研究者を中心に、約10名の方が参加しました。
【イベント概要>>】https://www.ryukoku.ac.jp/nc/event/entry-3093.html

今回の研究会では、網代豊和氏(浄土真宗本願寺派・西照寺 副住職)、アダム・ライオンズ氏(京都アメリカ大学コンソーシアム・ポストドクター)を講師に迎え、教誨活動の歴史と現状をテーマに発表いただきました。



「教誨師(きょうかいし)」という存在をご存知でしょうか?教誨とは、教え諭すこと。そして教誨師とは、受刑者に寄り添い、心の救済に努める宗教者です。本学には、戦前から続いている浄土真宗本願寺派の宗教教誨を基盤にした矯正・保護の教育プログラムがあります。しかし、受刑者の宗教的欲求に応じて面接指導を行なう教誨活動や教誨師について、社会的認知度はそれほど高くありません。

研究会前半では、現在教誨師として活動されている網代豊和氏より「教誨師活動の現場~被収容者への支援のあり方~」をテーマに発表いただきました。宗派内の推薦から、2010年に教誨師に着任された網代氏は、他宗派の教誨師と共に、川越少年刑務所での教誨活動を続けています。川越少年刑務所の被収容者は約1,000名で、JA(少年院への収容を必要としない少年で、犯罪傾向の進んでいない者)・YA(可塑性に期待した矯正処遇を重点的に行うことが相当と認められる26歳未満の成人で、犯罪傾向の進んでいない者)という指標に分類されます。また、同刑務所内での網代氏の教誨活動は、「グループ教誨(宗教教誨)」・「個人教誨」・「出所前指導」の3種があり、「グループ教誨」・「個人教誨」では宗派の教義に基づいた話を行う“宗教教誨”が、「出所前指導」では出所が確定した被収容者へ一般的な道徳の話を行う“一般教誨”がなされています。


網代豊和氏(浄土真宗本願寺派・西照寺 副住職)

網代豊和氏(浄土真宗本願寺派・西照寺 副住職)


網代氏が教誨師に着任した当初、宗教教誨では始めに勤行を行い、余った時間で法話を行っていましたが、しだいに「被収容者との会話(言葉のキャッチボール)の時間」を増やすようにしたそうです。ある時、網代氏が被収容者に「私の話は理解できるか?」と尋ねたところ、「視野が広がります」と返答があり、被収容者への宗教の必要性を実感する契機になりました。「ただし、こちらが伝えたいことと、向こうが欲しい情報とが乖離している場合もある。だから時折尋ねることで、自分の話が一方通行にならないように心がけている」と網代氏は活動を振りかえります。
そして、網代氏は教誨活動を通じて、特別なルールで規制・管理される刑務所で「孤独性を抱えている被収容者が多いのではないか」と感じるようになりました。「宗教教誨は、社会と隔絶された刑務所という空間で、社会とのつながりを得られる特別な時間でもある」。そうした信念のもと、被収容者との言葉のキャッチボールを続けてきました。

出所前指導の際、網代氏は「宗教的発露と反省の心がつながる時はあるのか?」と自問自答するような場面に遭遇しました。ある被収容者から「反省とはなにか? たしかに、自分がおかした事件について半分は自分が悪いと反省しているが、それでも半分は生きていくために仕方がなかったと思う」という問いを受けたのです。そこで、網代氏は釈迦の教えである「天上天下唯我独尊(我々人間の命に差はなく、みなが平等に尊い)」をもとに、「自分が一番だと思っているように、相手もそう思っている。だから自分がして欲しくないことを、相手にしないようにする。被害者への行為は、自分がして欲しい行為だったのでしょうか?」と指摘。すると、指導教室に臨席した被収容者たちが、「なるほど。それを教えて欲しかった」との声をもらしたそうです。
社会復帰という真の意味での「立ち直り」を考える上で、宗教者だからこそ被収容者の心に寄り添い、そして導くことのできる、宗教教誨の可能性を感じる出来事です。


アダム・ライオンズ氏(京都アメリカ大学コンソーシアム・ポストドクター)

アダム・ライオンズ氏(京都アメリカ大学コンソーシアム・ポストドクター)


研究会後半では、教誨マニュアル編纂委員会や教誨師研修会への参加等を通じて研究活動を行うアダム・ライオンズ氏より「浦上四番崩れと浄土真宗の護法運動:廃仏毀釈と教誨の始まり」をテーマに発表いただきました。

はじめに、ライオンズ氏は、「犯罪は個人の心の問題から始まるが、同時に犯罪には社会の問題でもある。言いかえれば、犯罪者は事件の加害者であると同時に社会の被害者でもある」とし、「宗教教誨の問題点は、心の領域(=私的領域)にとどめている点にあるのではないか。また、いまの日本における宗教は私的なものでもありながら公的な働きを求められるという、難しい矛盾を抱えているのではないか」と、疑問を呈しました。

近代日本において、宗教には社会貢献が求められてきました。明治初期の1870年〜1873年に浦上村(現在の長崎市)で起きた「浦上四番崩れ」は、大規模なキリスト教徒への弾圧です。なんと全村移送という規模で、配流先では仏教徒が教誨を担当したという仏教側、キリスト教側それぞれの史料があります。これは違法のキリスト教徒を改心させることによって、江戸時代の寺と政府の密接的な関係を存続させる戦略だったとも言えます。

「浦上四番崩れ」は、神道色の強い明治政府において、仏教と新政府とのつながりを見出すことになった事件です。すなわち、「刑罰と教誨のつながり」がここから生まれたのです。
ライオンズ氏は、「教誨師は、国家と宗教の狭間に立たされている存在ではないか。近代国家において、宗教が犯罪・再犯の抑止にどのように貢献できるのか? というのが重要なポイントです」と発表を終えました。


井上善幸(本学法学部教授・犯罪学研究センター「矯正宗教学」ユニット長)

井上善幸(本学法学部教授・犯罪学研究センター「矯正宗教学」ユニット長)


さいごに、今回の研究会を企画した犯罪学研究センター矯正宗教学ユニット」長の井上善幸(本学法学部教授)は、「宗教教誨を心の問題とするか社会の問題とするかという二者択一ではなく、犯罪をふくめて社会現象を相対化させて捉えなおす時に宗教という軸の役割があるのではないか」と締めくくりました。

同ユニットでは、民間や行政、宗教・宗派の枠を超えて連携し、お互いを支えあう接し方や社会のあり方を目指して、引き続き、研究活動を進めていきます。

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「教誨師~その知られざる職業~受刑者に寄り添い、心の救済に努める「教誨師」とは何か
https://www.ryukoku.ac.jp/news/detail/en2614/newsletter.pdf