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2020.10.20

【新型コロナ現象について語る犯罪学者のフォーラム】犯罪学と感染症3 〜日本社会と社会的距離〜

日本社会と社会的距離

犯罪学は、あらゆる社会現象を研究の対象としています。今回の「新型コロナ現象」は、個人と国家の関係やわたしたちの社会の在り方自体に、大きな問いを投げかけています。そこで、「新型コロナ現象について語る犯罪学者のフォーラム」を通じて多くの方と「いのちの大切さ」について共に考えたいと思います。

今回は、浜井 浩一教授(本学法学部・犯罪学研究センター 国際部門長)のコラムを紹介します。本稿は、『季刊刑事弁護』104号(現代人文社より2020年10月刊行予定)にに寄稿した『犯罪学者が見た新型コロナパンデミック(下)』の番外編として執筆されたものです。全編は本誌にてご覧ください。
※コラム『犯罪学と感染症1 〜パンデミックと犯罪動向〜』『犯罪学と感染症2 〜パンデミックと刑事施設〜』とあわせてご覧ください。

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犯罪学と感染症3
日本社会と社会的距離


 コロナは、人を媒介して感染していく。だからコロナに対する感染予防策として最も重要な概念として「social distancing(社会的距離をとる)」という対策が世界中で叫ばれている。本稿では社会的距離と訳してきたが、実は、私たち日本人には「social distancing」といわれてもピンとこないところがある。厚生労働省のHPを見ると感染症対策としての「新しい生活様式」の中で「social distancing」については、身体的距離の確保、人との間隔はできるだけ2メートルあけることと説明してある。つまり、「社会的距離(social distance)=物理的な対人距離」だと解されているのである。
 欧米社会では、ビジネスなどにおいて人と人との親しい関係性は握手から始まる。イタリアなどの南欧では、親しさを示すためにハグをした上で左右の頬にキスをするのが一般的なあいさつである。そして、相手の目をしっかり見ながら、自分の言葉でコミュニケーションをとることで関係性が作られていく。「social distancing」というのは、こうした対人場面における社会的な関係のあり方をパンデミックの間は諦めようというメッセージでもある。「social distancing」には、周囲の人とどのように接するのかという社会的関係性のあり方が含まれているのだ。
 これに対して、日本では、ビジネスなどの人間関係は、名刺交換をして机を挟んで形式的な会話をすることから始まる。ビジネスでも根回しが重視され、重要なことは事前に電話やメールで打ち合わせされ、直接対面で本題に入ることはそれほど多くない。街で知り合いに出会っても、無理に会話をする必要はなくお辞儀をする程度で済ますことも少なくない。満員電車の中では、人と人との間に物理的な距離をとることは不可能だが、会話はほとんどない。他人と目を合わせず、目をつむっていたりスマホをいじっていたりと、社会的にはそれぞれの人が独自の空間(パーソナルスペース)に存在しており、実は 
「social distancing」は保たれているともいえるのである。現実に、満員電車でのクラスター発生は今のところ報告されていない。
 緊急事態宣言解除後に、欧米先進国と比較して日本の感染者数や死亡者数が少ないことが話題となり、その理由がファクターXとして話題となった。様々な要因が考えられるが、その一つは、日本社会がもともと「social distancing」に適した社会であったことも影響しているものと思われる。少なくとも三密環境の日本の刑務所において受刑者に感染が広がっていないのは、刑務官と受刑者との間において、この「social distancing」が保たれているからに他ならない。
 また、刑務所に限らず世界で最も高齢化が進んでいる日本においてコロナ感染による死亡者数が抑えられているのは、高齢者の感染が抑えられているからである。その背景の一つに最近社会問題となっている高齢者の社会的孤立が存在する。近時、日本の刑事政策では、高齢犯罪者の増加と高齢者を狙った特殊詐欺が問題となっている。そして、その背景には、社会的孤立が存在する。高齢者は心配してくれる人も頼る人もない状況の中で、孤独や将来への不安、自尊感情の低下から万引きを繰り返すことがある。特殊詐欺の被害に遭うのも、周囲に相談できる人や気に留めてくれる人がいない高齢者が多い。そして、多くの高齢者が特殊詐欺等の犯罪被害に遭わないように、他人との接触をできるだけ避け自宅に閉じこもるようになってきた。『平成23年版高齢社会白書』が高齢者の生活についての国際比較調査の結果を掲載しているが、「近所の人たちとの挨拶以外の会話の頻度」を見てみると、日本、韓国、アメリカ、ドイツ、スウェーデンの5カ国中、「ほとんどない」の割合は日本が3割を超え最も多くなっている。「同居の家族以外で困ったときに頼れる人の有無」における近所の人の割合も日本が最も低く2割を切っている。「家族以外で相談し合ったり、世話をし合ったりする親しい友人の有無」についても、「いずれもない」の割合は日本が3割弱と韓国に次いで多くなっている。
 犯罪学者のハーシー(Travis Hirschi)は、どのような人でも社会的な統制が弱まった時に逸脱した行動に至るという前提にもとづいて犯罪や非行の抑止要因を研究し、社会的絆理論(ソーシャル・ボンド理論)を提唱した。この理論では、まっとうな社会ときちんとつながって、社会的な関係性の中で生きている人は犯罪をしない。つまり、高齢者の社会的孤立は、社会的なつながりが切れるという意味で犯罪加害や被害の要因となるのである。しかし、コロナに関しては、社会的に孤立しているということは「social distancing」が保たれ、感染リスクが低減することを意味する。社会とつながり、社会的な役割を持ち、そこに生きがいを感じている人は、犯罪をおかす必然性はなく、また、特殊詐欺からも守られやすい。しかし、残念ながら今回のパンデミックに関しては、家族や親しい友人が多く、社交的な人ほどコロナに感染しやすい。皮肉なことに、社会的に孤立している人であるほど感染リスクが低いということでもある。日本における高齢者の社会的孤立が彼らをコロナから守っているというのは実に悲しいことである。しかし、社会的孤立はコロナに感染して死亡するリスクを低減させるかもしれないが、認知症の進行を早めたり、身体的・心理的な健康を損なったりするリスクを持っている。そして何より幸福感が低下する。
 

加害者を作り出す社会
 犯罪とは自明の存在ではなく、社会や法律が作り出したものである。覚せい剤の使用も、覚せい剤取締法があるから犯罪となるのであり、法律ができるまでは薬局で購入することができた。そして、犯罪者(加害者)を作り出すのも社会である。
 パンデミックも感染そのものは物理的な現象であるが、感染した人を社会的にどのように意味づけるかは社会的現象である。感染させた者を加害者、させられた者を被害者のように扱うのも社会である。それが、日本では「自粛警察」なるものを生み出した*1。首都圏など感染多発地域からの帰省者に対する嫌がらせも社会問題となっている。
 感染も犯罪も人々に大きな不安や恐怖を与える。そして、両者ともに他人との接触によって発生する。怖いのはウイルスであって人ではないはずだが、ウイルスは目に見えないので、それを運ぶ人が恐怖の対象となる。コロナに感染し隔離のためホテルで療養している者や入院している者が無断で外出すると、マスコミは刑務所からの逃走者のように報道する。
 このような加害者の構築のメカニズムを分析したのが、ベッカー(Howard S. Becker)らによって提唱されたラベリング論である。ラベリング論は、それまでの逸脱や犯罪を単なる社会病理現象として扱ってきたアプローチとは一線を画し、逸脱や犯罪というのは、行為者の内的な属性ではなく、周囲からのラベリングによって生み出されると考える*2。コロナに感染した者を危険な加害者として非難するプロセスはまさにラベリングそのものである。加害者というラベルは、スティグマとなって感染者の心を侵食し自尊感情を大きく低下させる。そして、このスティグマが、犯罪にせよ、感染にせよ、その人の社会復帰を大きく阻害するのである。最近、コロナ感染者の回復後の後遺症が問題となっているが、不定愁訴を含む心理的な後遺症の多くはこのスティグマが原因かもしれない。
 同じ現象はインフルエンザでは起きない。前編に記したようにインフルエンザもコロナと同様に目に見えないウイルスによる人から人への感染症であり、流行期には日本でも週に400人以上が死亡する。少なくとも現時点では。コロナ感染による死亡者数よりもインフルエンザによる死亡者数が圧倒的に多い。それにもかかわらず、インフルエンザが蔓延しても自粛警察は出現しない。そこには、コロナほどの恐怖がないから感染してもお互い様という意識があるからである。
未知のウイルスへの恐怖に対して、人々は恐怖の対象を可視化しようとして加害者を作り出し、彼らを排除することで安心を得ようとする。そして、その排除を正義だと勘違いして「自粛警察」が生まれる。しかし、真の敵はウイルスであり、感染した人は皆被害者である。コロナに感染するリスクは誰にでも存在する。犯罪と同様に加害者を生み出し続ける行動は、いずれ自分たちをも加害者にしてしまう。三浦麻子らが3月下旬から4月中旬にかけて5カ国(日米英伊中)で行った一般市民調査によると、「感染する人は自業自得だと思う」と回答した人の割合は、アメリカの10倍となる11.5%で、日本が断トツで1位になったという*3
 イスラエルの歴史学者ハラリ(Yuval Noah Harari)氏は朝日新聞のインタビューでパンデミックが社会に与える影響について次のように答えている*4。「悪い変化も起きます。我々にとって最大の敵はウイルスではない。敵は心の中にある悪魔です。憎しみ、強欲さ、無知。この悪魔に心を乗っ取られると、人々は互いを憎み合い、感染をめぐって外国人や少数者を非難し始める」。
そして、ハラリ氏は次のようにも話している。「我々はそれを防ぐことができます。この危機のさなか、憎しみより連帯を示すのです。強欲に金儲けをするのではなく、寛大に人を助ける。陰謀論を信じ込むのではなく、科学や責任あるメディアへの信頼を高める。それが実現できれば、危機を乗り越えらえれるだけでなく、その後の正解をよりよいものにすることができるでしょう。我々はいま、その分岐点の手前に立っているのです」。
 感染も犯罪も、私たち一人ひとりが事実を正しく理解して、正しく恐れることが不可欠なのである。
 

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【補注】
*1 Wikipediaによると「新型インフルエンザ等対策特別措置法第32条に基づく緊急事態宣言に伴う行政による外出や営業などの自粛要請 に応じない個人や商店などに対して、偏った正義感や嫉妬心、不安感などから私的に取り締まりや攻撃を行う一般市民やその行為・風潮を指す俗語・インターネットスラングである」。
*2 Becker, H. (1963). Outsiders: Studies in the sociology of deviance. New York: Free Press(ハワード・S・ベッカー[村上直之訳] 『完訳アウトサイダーズーラベリング理論再考」現代人文社、2011年))。
*3 津田大介「オピニオン」朝日新聞朝刊 (2020年7月30日)。
*4 ユヴァル・ノア・ハラリ「オピニオン」朝日新聞朝刊 (2020年4月15日)。


浜井 浩一教授(本学法学部・犯罪学研究センター 国際部門長)

浜井 浩一教授(本学法学部・犯罪学研究センター 国際部門長)


浜井 浩一(はまい こういち)
本学法学部教授・犯罪学研究センター 国際部門長・「政策評価」ユニット長、矯正・保護総合センター長
<プロフィール>
法務省時代に矯正機関などで勤務。法務総合研究所や国連地域間犯罪司法研究所(UNICRI)の研究員も務め、国内外の犯罪や刑事政策に精通。犯罪統計や科学的根拠に基づいて犯罪学を研究中。
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【特集ページ】新型コロナ現象について語る犯罪学者のフォーラム
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