11月の法話 2011年11月8日(火)/深草学舎・顕真館
おはようございます。 ようこそお参りいただきました。
去る11月6日(日)に第89回龍谷祭と第40回学術文化祭が終わりました。6日は、午前10時から戦没者追悼法要が顕真館で修行され、150名を超える戦没学徒のご縁あるご遺族をはじめとする皆さんがお参り下さいました。その後、懇親会も開かれて、当時をふりかえられて、亡くなられた方々を思い出して語られたり、出征学生をおくる大学の様子などが披露されて、参会者は涙しながら、平和への思いを深くされました。当日は、370周年記念として企画し、調査された『戦没者名簿』を配布し、併せて大宮学舎清和館で展観「戦争と龍谷大学」が開催されました。301人の『戦没者名簿』は、10月31日に刷り上がり、当日午後3時から京都大学にある大学記者クラブで記者発表を行いました。翌日の『京都新聞』や『朝日新聞』、その後『毎日新聞』などでも大きく取り上げられました。私は、31日に帰宅して、『戦没者名簿』を一頁ごとめくりながらお一人ごとの証を読みながら、一夜を過ごしたことでした。6日は、その後龍谷賞の贈呈式があり、15時から深草学舎開設及び経済学部創設50周年記念式典、祝賀会、そして、第89回龍谷祭、第40回学術文化祭の閉会式と続きました。それぞれごとに挨拶をさせていただきましたが、今年は、龍谷大学の歴史にとって意義深い年であると、改めて深く受け止めたことです。
ことに50年前の深草学舎の開設と経済学部創設は、それまでの文系を中心とした320年ばかりの歩みから総合大学への第一歩を踏み出す画期となりました。当時の大学への進学率は10パーセントを超えるほどであった思いますが、産業社会への転換のなかで本学が建学の精神に学び基礎的な専門性を有し、幅広い教養を修得した学生を育て、広く社会に輩出する総合大学へのスタートとなりました。
私は、4月の学長職就任以来、私大連盟の総会や学長会に出席したり、京都経済同友会の月例会や委員会にも時間の許す限り出席していますが、その際に大学関係者や企業経営者、マスコミ関係者などから本学に寄せられる期待を聞くことが多くあります。それは、時代状況もある思いますが、とりわけ3月11日の東日本大震災は、甚大な被害をもたらし、多くの人々のいのちを奪い、深い悲しみをもたらしました。東京電力の福島原子力発電所の事故は、「安全神話」を打ち砕き、放射能汚染の深刻な事態をもたらすことになりました。このたびの震災は、日本社会のありようを見直すことを厳しく迫るものです。特に人間の個々のあり方と人間の連帯性、共同性についての考え方であろうかと思います。日本社会の過剰とも言える競争的な人間観や社会観が跋扈し、肥大化し、底なしの欲望を満たすことを至上としてきたありようが、大震災というものから人間の共同性、ここしばらく使っている言葉としては「絆」という人間のありようというものが求められている。このことを強く突きつけられたのが大震災ではなかったんだろうかと思います。そのような観点から本学の親鸞聖人の精神、浄土真宗の教えに基づいた人間教育を考えれば、利己的な自己のありようを改めていくことを基本にしています。ひとり一人が代え難い、大学の人事の際に使用される言葉としては「余人に代え難い」という言い方がありますが、まさにひとり一人は余人に代え難い尊い存在であるという深い原点に立って相互の人間関係を豊かにして社会に貢献していく上においては、本学の建学の精神を具現化して学生を育て、社会人として輩出していくことが、多くの人々から期待されているのではないかと思います。底なしの欲望を満たそうとする人間のありようを深く見直そうとすることを建学の精神とする本学への期待は、このような文脈から期待されているのではと思います。
さらに申しあげれば、最近、集英社新書として発刊された中沢新一さんの『日本の大転換』には興味深いことが述べられています。今年の6月から7月にかけて集英社が発行しています『すばる』という雑誌に連載していたものをとりまとめて8月に新書版として発行したものです。中沢さんはチベット仏教など研究された宗教学者でありますが、3月11日の大震災を受けて、特に地震に伴う津波、東京電力福島発電所の放射能漏れ汚染事故を通して、科学技術というものが推進してきた近代の思惟方式、考える方式の基本的背景には、ヨーロッパを中心とするキリスト教の一神教的な背景があり、そのもとで科学技術が進んできたこと。そして原子力にかかせない核物質とその使用ということに、生態圏を逸脱した大きな落とし穴があることを鋭く指摘しています。そこで新たに見出さなければならない考えとして仏教の考え方、思惟方式があるのではないかと。いかなる科学技術に携わっていようとも根源的な考え方、世界観として、私たちは私がここにいて向こう側に絶対なる神が存在しているという関係性ではなく、私がここにいるという存在それ自体に仏教の基本としては我ではない働きにおいて我と称して存在している。非我とか無我と表現するところに私を単純に肯定し絶対化しない考え方の基本というものがあり、浄土真宗の教えでは阿弥陀仏の他力の働きにおいて、いかされたいのちであることに目覚める。そのような豊かな人間の成立を育むことを本学の歴史の根幹に据えてきたと思います。したがって、21世紀の今日においてもなお、そのような人間課題を継承し持続しながら時代に向き合えば、大震災を転機とした日本社会のありように本学の教育研究の取り組みが積極的に貢献できるのではないかと気づかされことであります。
中沢さんの新書を手にする少し前に千葉大学の廣井良典さんのちくま新書『創造的福祉社会』を読んでいました。中沢さんと同じような文脈で日本社会の現実を省察しているのですが、日本あるいは世界の経済成長、その拡大という路線の考え方自体がもはや時代としては終わっていると明確に述べられています。したがって経済成長後に実現すべき社会がどのような社会であるべきなのかという課題に積極的に提言しているものです。その際に重要なことは、目先のことではなく、私たちが今どのような場所に立っているか、そして、現在の日本、世界がその数百年にわたる時間軸のなかで大きな曲がり角にさしかかっているという認識を示されて提言しています。
私たちにとっても、単純な歴史発展史観の中で見がちな歴史観、あるいは歴史感覚、時間感覚がありますが、仏教という考え方に基づいて歴史社会をどのように把握していくのか、今の段階をどのような位置として認識すべきなのか。私たちは龍谷大学に身を置くものとして今後の大学のあり方、方向性を深く考えていかなければと思ったことです。
折しも一昨日、6日に経済学部50周年記念式典に際して講演に来られた中谷巌さんは三菱UFJリサーチ&コンサルティング(株)の理事長で、以前は一橋大学教授や多摩大学の学長も歴任されていますが、講演題目は「世界史の中の日本-直面している課題と対応-」でした。中谷さんはミクロ経済学の専門家でありますが、当日の講演は、きわめて長期的な歴史観に基づいて現代社会のあり方、そして日本の立ち位置というものを具体性をもって語られ、示唆に富む内容を鳥瞰的に講演されました。
私たちは目前にあることに速やかに取り組まないといけないことも当然のこととしてありますが、私たちの今の時代が、どういう位置としてあるのか、そして個々の人間として限られた人生、限られたなかでの職場、限られた勤務の年数がありながらも、龍谷大学で自らの立ち位置をどのように考え、それぞれの能力をどのように発揮しながら職務にあたるのかということも、真摯に考えなくてはならないことだと思います。
機会ある毎にふれていますが、この顕真館の正面に刻まれてある「南無阿弥陀仏」という名号を拝し、念仏を称えながら、阿弥陀仏のはたらきに帰依する、うなづくということは、自己のありようへの慚愧、悲しみ、傷みを内在しながら、すべての生きとし生けるものを必ず等しく浄土に往き生まれさせたいという願い、本願の働きを受け止めて、御同朋という人間社会を開いて行くことであります。
日本の社会の過酷な現実として、年間3万数千といいわれる自らいのちをたつ自死者がいます。日本の社会の極めて深刻な現状を示唆する課題があります。私たちは、さまざまな悩みを抱えながら私という囲いのなかで課題の解決を図ろうとした時、時にはとても私という世界では解決不可能な課題もあります。その際に大切なのは私たちにはたらいているいのちをどのように受けとめているかという問題です。私たちは、生かされたいのち、無量寿・無量光の阿弥陀仏のはたらきのなかでのいのちに目覚め、気づいて、私たちが複雑に交差する苦悩を見つめ、ほぐして、超えていかなければならないと思います。
先日の学園祭、そして4月以来大学の関係者、経済界の方々から本学に寄せられている大いなる期待などの一端を紹介させていただき、さらに中沢新一さんや廣井良典さんや中谷巌さんについて少しご紹介いたしました。今、まさにパラダイム転換のまっただ中です。それに真摯に向き会わなければなりません。本学は、第5次長期計画の2年目の後半期にすでに入っています。全体のグランドデザインが公表され、アクションプランも提示され、優先事項を見定めながらの審議を速やかに進め、政策の実行に取りくまなければなりません。私たちは龍谷大学の歴史を担い、それを作りあげて行かなければなりません。他に任せる、誰かがしてくれというのではなく、ひとり一人が主体的に、それぞれの能力を発揮しながら、連結、連携、ハイブリッドな組織的人間的関係を保ちながら大学を作りあげていくことに全力を注ぐ必要があります。
本学の建学精神、親鸞聖人の精神をより一層具現化して、私たちが生きる意味を再確認しながら、本学に在職するものとして役割、使命を担っていこうという思いを共にさせていただければと思います。
朝早くからようこそお参りくださいました。