学長法話

5月の法話 2014年5月7日(水) 8:30/深草学舎顕真館


おはようございます。ようこそお参りいただきました。
新学期の授業が始まり、1カ月が経過します。連休が続きましたが、皆さまはいかがお過ごしでしたでしょうか。私は、奈良の自宅、山間部なのですが、田舎で過ごしていまして、周りに田圃がありますので、ちょうど田植えが始まりました。田に水を張りますと、夕方からカエルの合唱でとても賑やかになりました。朝方は裏山から小鳥のさえずり、キジの鳴き声が聞こえて、季節を移ろい、旬を感じ入ったことでした。

ところで、本学は、私立大学としての建学の精神をかかげています。親鸞聖人の精神、浄土真宗のみ教えを建学の精神とし、寄附行為にも記しています。現代社会には広い選択肢がありますが、そのなかで自らの選択意志を働かして、本学を学びの場所として、あるいは職場として皆さんは選ばれたと思います。学生や教職員の皆さんには、ぜひ本学の建学の精神を主体的に学んでいただいて、社会の諸条件の変化、比較のみならず、普遍的であり根源的でもある人間としてのありようを深く見つめ、その見直しを含めた問いを立てながら、「真実を求め、真実に生き、真実を顕すことのできる」人間として歩みを開いていただきたいと願っています。

つまり、本学のかかげる建学の精神について、新たな学びとしていただき、釈尊の生涯から仏教、親鸞聖人の生涯を通して浄土真宗のみ教えについての学びを通して幅広い知識を得て、同時進行的に自らを主体的に問い、仏教の思想の中心である、「非我」「無我」とは何か、何に目覚めることなのか。あるいは、浄土真宗の阿弥陀仏の本願、「他力」とはいかなるはたらきなのか。私をどのような人間たらしめるのかについて、徹底して思索、思惟を深めることが大切です。私たちはそうした問い・思惟の徹底から、我をこえた、分析的な思索をこえたはたらき、不可思議なはたらきに気づき、目覚めて、そのような立場に立って、人間社会のあり方を実践的に問いながら、恵まれたいのちを共に生き抜く歩みをしたいと思います。

本学は、1639年、寛永16年の西本願寺境内で設けられた教育機関「学寮」以来、375年目を迎えます。親鸞聖人が、52歳の時、主著『顕浄土真実教行証文類』、通称『教行信証』の草稿本を著述された1224年、元仁元年以来290年目となり、また、流罪地越後から東国、常陸の国へ出向かれた1214年、建保2年から800年となります。今年が、関東伝道800年であることを再認識することであります。

親鸞聖人は35歳の建永2年、1207年に越後に流罪となって、1211年、建暦元年、39歳の時に赦免となり、3年間越後に滞在後に常陸の国に出向き、東国での伝道を約20年間に渡り行われます。関東への移動を示す史料は、奥様である惠信尼様が書かれた手紙があり、それを『惠信尼消息』といいますが、その3通目(『浄土真宗聖典』「註釈版」816頁)に、上野国佐貫、現在の群馬県邑楽郡明和町大佐貫ですが、浄土三部経を千部読誦することが書かれています。何のためかというと、「すぞう(衆生)利益のため」と書かれています。経典を読誦して、その功徳によって、人びとに利益を与えたいと思い立って読まれたのです。この年は、全国的には雨が少なく、干ばつで飢饉に見舞われ、人びとが生存することが脅かされ、悩み苦しむそうした人びとの現状を目の当たりにして、思い立たれたことでした。しかし、読み始めて「四五日ばかりありて、思ひかへして、よませたまはで、常陸へはおはしまして候ひしなり」。と記していますが、また、「これはなにごとぞ、<自信教人信、難中転更難>(礼讃676)とて、みづから信じ、人を教へて信ぜしむること、まことの仏恩を報ひたてまつるものと信じながら、名号のほかにはなにごとの不足にて、かならず経をよまんとするやと思ひかへして、よまざりしことの、さればなほもすこし残るところのありけるや。人の執心、自力のしんは、よくよく思慮あるべしとおもひなしてのちは、経をよむことはとどまりぬ。」と述べられています。経典読誦による功徳、利益の思いの中に「人の執心」「自力のしん」のあること、すなわち「名号のほかにはなにごとの不足にて、かならず経をよまんするやと思ひかへして」、読誦を止めたと記している。親鸞聖人は、1201年、「建仁辛鳥の暦、雑行を棄てて本願に帰す。」(「註釈版」472頁) と告げ、阿弥陀仏の本願に帰す、すなわち「他力」の教えに入る、信心を獲たのですが、「自力のしん」に改めて気づかされてのことでした。そこに親鸞聖人の衆生利益への願い、悩み苦しむ人々への眼差しがそそがれていたのですが、「自信教人信」の立場から衆生利益の歩みを生涯にわたって貫かれることとなります。幾度もの専修念仏集団への弾圧にともなう困難に向き合いながらも、阿弥陀仏の本願力に出逢えた慶びをともなった親鸞聖人のご生涯でありました。

そして、当時、幕府が身分に関わる新たな政治秩序、社会秩序を形成するなかで、身分、職種、諸条件にもかかわらず、武士や農民、商人、山の民、湖沼・海の民などさまざま人びとがまさに「とも同朋」として集う場を造られ、親鸞聖人に「面授口決」した門弟が各地で多くの門徒をもち、念仏の教えを伝え、「とも同朋」の集いが開かれたのでした。  さて、現代社会は、さまざま専門性に細分化され、幾層もの資格によって階層化しながら、複雑に組み合わせ、マネージメントしている組織化された社会で、ややもすれば各組織が煙突型、あるいは蛸壺型になっており、人びとの水平的関係、横断的関係が寸断されていると指摘されています。本学の建学の精神が社会に広がり、多く人が、恵まれたいのちを生きる人として、自らの邪見、驕慢を見直し、謙虚さや優しさ、人の痛みが解る人として、「とも同朋」の関係を拓いていく努力、工夫を進めていくことを自らの生き方として、主体化する時、当該社会のあり方への実践的な批判性を持ちながら、創造的的な営み、関係の創出を課題としていかねばならないと思うことであります。そのことの普遍的かつ根源的な価値は、現代社会のなかでも輝きを放つことになります。

さらに、『教行信証』の草稿本が書かれて790年を迎える意義についても、改めて認識することも重要であります。元仁元年の五月に比叡山延暦寺が朝廷に専修念仏の禁止を訴え、10月には専修念仏禁止が朝廷から出されます。また、法然上人の著書『選択本願念仏集』の版木が焼かれる事態が起こります。そのような状況下で、親鸞聖人は専修念仏の教えの体系をまとめられたのです。時間上、詳しく申しあげられませんが、阿弥陀仏の誓願、名号の真理(まこと)を明らかにされたのです。

私たちは、2010年から始まった第5次長期計画の中期計画第1期の5年目を迎え、事業を間断なく、適切に推進していかなくてはなりません。さらに中期計画第2期にむけての取り組みの検討・審議を果敢に進めていかなくてはなりません。皆さんとともに、「知性と活気溢れる」大学づくりに、自らを深く顧みる世界をもちながら、「対話のある大学運営」、相互の信頼を醸成しながら、着実に前進したいと思うことであります。
ようこそ、お参り下さいました。

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