6月の法話 2014年6月3日(火)/瀬田学舎学長法話
皆さん、おはようございます。
6月に入り、しばらく35度を超える真夏日が続いています。しかし今朝瀬田キャンパスへ来てみると、新緑の木々の下、木の葉を揺らす風が吹いて、さわやかに感じられます。瀬田キャンパスは灼熱の暑さの街中と違って、とても良い環境だと思います。
先週の5月31日土曜日、京都駅八条口の龍谷大学響都ホールで龍谷大学と宮城県南三陸町との交流ジョイントコンサートが開催されました。本学からは「華舞龍」という一般同好会の演舞に始まり、宮城県南三陸町から「舞踊の会」の方々が10名ほど来られて演舞を披露され、そして学術文化局の吹奏楽部の演奏と続き(http://ryukoku-sports.jp/windmusic/?p=1328)、そしてコンサートの後、文学部の鍋島直樹先生がコーディネーターを務めてフォーラムが行われました。
2011年3月11日に大震災が起こり、その1年後の2012年3月4日に南三陸町の志津川中学校で本学吹奏楽部の演奏会が開かれました。中学の校庭には仮設住宅が建てられていたので、志津川町の町民や仮設住宅の方や中学校の生徒の皆さんがたくさん来られていました。被災地の皆さんに音楽の楽しみを味わっていただきたいということで、吹奏楽部の皆さんには随分ご尽力いただきました。そのご縁で今回のコンサートが実現したわけです。
その日は私も会場の志津川中学に赴いたのですが、志津川地区の丘の上にある中学校の校庭から港の方を見ると、町全体が大津波でほとんど根こそぎ流されて、ビルの鉄骨の恥部は残っていますけれども建物らしい建物はほとんどありませんでした。先日来られた皆さんの中にも家族4人を亡くされたりと、ご家族や親しい人を亡くされなかった方はいません。皆さんが震災の深い悲しみ、苦しみを背負った方々ばかりでありました。
「南三陸町舞踏の会」の皆さんは、それぞれ20年~30年と長年にわたって日本舞踊を続けられておられましたが震災によって1年近くは練習場もなく、踊りの衣装も流され、あるいは泥まみれになったりして、踊りを再開する気力がなかなか湧いてこなかったけれども、1年が過ぎてようやく踊りも始め、再び集まるようになってきたそうです。私たちはジョイントコンサートを通して、そうした被災地の方々との交流や出会いがありました。
本学でも、震災後は毎年2~3回、今年も8月、9月、11月の3回にわたってボランティアバスを出す予定をしていますが、300人を超える学生・教職員の皆さんが参加して、被災地の現場を体験し、被災された皆さんと交流して、3年経てもなおそれぞれの抱える悩みや苦悩を聴かせてもらっています。
京都から遠く1000キロほど離れていると思いますが、被災地から帰ってきた私たちの中にとどまること、それは現地に行って被災した皆さんと交流して、話を聴いて、そのことを私たち自身と「重ね描く」ーこの「重ね描く」という言葉は大森荘蔵(おおもり しょうぞう/1921~1997)という東大の哲学者が自らの哲学論において掲げているキーワードですが、そういう一見すれば他人事と思われるようなこと、自分自身とを重ね描くことによって、震災の出来事は決して私たちの外にあるわけではないということを受けとめつつ日常生活を見直してみる、家族とか地域のあり方を見直してみる機縁となることだと思います。
そういう意味で先日の交流において私自身も改めて3年前の大震災を思い出し、また2年目の3月4日に被災地を訪れたことを改めて記憶に刻ませていただいたことでもあります。私たちはそれぞれ生きる場所は違っても、そういう出会いが大切だと思います。
建学に精神と結びつけていくならば、瀬田キャンパスの樹心館はお木像のご本尊ですが、深草キャンパスの顕真館のご本尊は親鸞聖人が84歳の時にしたためられた「南無阿弥陀仏」のお名号が刻んであります。阿弥陀仏は、無量の智慧や慈悲をもって私たちへ既にはたらいておられる、その願いがはたらきとなって現れていらっしいます。この仏さまの方が「既に」というところが大切なのです。と言うのは、私たちは普通、私の方が先に存在して、向こう側に仏さまがおられるだろうと、一般的にかんがえられるのではないかと思います。このような、普通に考えるような形で対象化して考えてしまうと、つい、私たちが出会う悲しみや苦しみ、あるいは困難さを抱えた時にだけ、どうにかしてほしいとか、願いを叶えてほしいと仏さまの方へ祈っていくような、そういう態度とか振る舞いを宗教だと思ったりするのです。
スポーツ関係でも例えば神社などで「必勝祈願」ということも耳にされるかと思いますけれども、私たちの龍谷大学で培われるものは、そういう自分たちの願いや欲望をかなえてくれるような一方的な祈祷とか祈りをとしての宗教ではなく、既に一切の全ての人々は、等しく、例外なく、洩れなく恵まれたいのちをいただいているもので、誰も代わることのできないいのちをお互いが等しくいただいている身、存在であることに深く気づき、知らされていくことによって、私たちがお互いにいろいろな違いを持ちながらも本質的に等しい存在である、おなじ輩であるという横の繋がり、水平の関係というものへの目覚めというか、気づきということが建学の精神の目指すところであろうとも思います。同時に、私たちはそのことを通して、自身の驕慢さにも気づき、慚愧し、謙虚さということに思いを致すことの大切さも建学の精神から培われていくことではないかとも思うことです。
そういう意味で、私たちはそれぞれの時代ごとに必死の努力をしなければならないことがたくさんあるわけです。知らないこと、分からないことの方がむしろたくさんある、ということを知って、努力をしなければならないし、分からないからこそより努力を持続しなければならない。そういう意味では、何をしていても、どの段階であっても、生涯にわたって学び続ける課題はあり続けるていくということだろうと思います。課題があり続けるということを、しっかりと自分たち自身が受け止めて、懸命の努力を続けていくことだと思うことであります。
学生の課外活動関係の報告を聞きますと、柔道部、女子バレーボール部、バトミントン部などのすばらしい活躍を報告いただいていますが、最も近い所では、硬式野球部が関西六大学春季リーグで2年ぶりに優勝して、第63回全日本大学野球選手権大会に出場して、来週の6月11日朝9時から東京ドームで第1戦が行われます。試合には相手があり、さまざまな要因が絡んできますから、先ほど言ったように何かに祈願祈祷したから勝てる、勝利するということはありえません。日頃の努力をさまざな形で連携しながら発揮していく、ということだけでありましょう。そうして試合をした結果は、日頃の努力が現れた結果として受けとめていくということも大事だと思うのです。
建学の精神というものはいろなんところで我々自身が学び取っていかねばなりませんが、今日も皆さんとご一緒にお参りさせていただいて、手を合わせ、お念仏を称えています。こういうことも一つの作法、身に付いた振る舞いだと思うのです。その身に付いた作法として日常生活の中では、食事の時も手を合わせ「いただきます」といただく。これはさまざまな食材、いのちをいただいていることに対して自分自身が御礼をしていくことの振る舞いとして合掌をして「いただきます」と言う。そういうものを一つ一つ身につけていく、仏教徒として、仏教に出会ったものとしての振る舞いと思ったりいたします。
余談ですが、昨年9月から今年の3月までの半年間、NHKの連続テレビ小説で「ごちそうさん」というドラマが放映されました。大正から昭和の頃、「め以子」という東京の洋食屋の娘さんが大阪に嫁いで、夫、そして子を愛して強い母親に成長し、戦中・戦後の困難な時代を乗り越えていくという話です。その嫁入りした大阪の西門家の食卓を囲む部屋の奥の間にはお仏壇が見え、時にはお参りされている場面もありました。だから西門家は仏教徒なんだろうと思っていました。しかもその仏壇は中央に阿弥陀さま、そして脇に親鸞聖人と蓮如上人のご絵像を安置した本願寺派の仏壇だったと思います。
しかし主人公にしても、一見するとものすごく意地悪そうな「和枝さん」とい義理の姉さんにしても、皆さんがお念珠をもつこともなく、ある日の朝にはその義姉さんがお仏壇の前で手を合わしている場面もありましたが、お念珠を持って合掌する姿は見られませんでした。もちろんお念仏を称えているような台詞もないのです。主人公のめ以子も時々仏壇の前で手を合わせる姿はあるのですが、その台詞は、主人や息子を「助けほしい」と言っているのです。仏さまに向かって「ああしてほしい、こうしてほしい」と語るのが、ドラマの演出上の台詞であるし、食卓でも「いただきます」、「ごちそうまま」と言いながら、手を合わせる振る舞いをプロデユースしているわけではないのです。
ドラマの作り方にもいろいろあって、原作者の意図もあるでしょうが、やはり仏教的なものを描く場合には、その内容をある程度理解できないと、どういう台詞を書けばいいのか、どういう振る舞いをさせればいけないのかがはっきりしない、ということになります。私たちはそれぞれ大学で学んだり、職を得て仕事をしたりしていく中でも、どこかで一人一人が仏教の教えを学ぶとともに、そういった仏教に基づく振る舞いについても、自分自身の振るまいとして身につければ、外見からも「ああ、仏教徒だな」と見えてくるようになる。あるいはお念仏を称えることを通して、阿弥陀さまのはたらきを感じる、するとそこに阿弥陀さまのはたらきを日々感じながら、恵まれたいのちをこの身にいただいていかされていると感じて毎日を過ごすことができる。そこに我が人生を豊かに歩んでいける道が開かれてくるのではないか、このように思ったりもします。
学生の皆さんも、それぞれ4年間という時間の限りがあり、サークル活動もその限りある時間の中で練習や試合の日々がありますが、協力しながら、おのおの努力を重ねて、その結果を受け止めていくということではないかと思います。学びの方は、決して4年間で終わるものではありません。人生そのものに対しても生涯にわたる学びを継続していくということが大切であることを、私たちは建学の精神を通してしらされることでもあろうと思います。
朝の早い時間からの皆さまのお参りで、ここ樹心館は満席となりました。たくさんの皆さんがお参りいただきましたことに御礼を申しあげ、法話とさせていただきます。ようこそお参りいただきました。