9月の法話 2016年9月30日(金)/深草顕真館
皆さん、おはようございます。
唐突ですけれども、皆さんには「よき人」という人がいらっしゃるでしょうか? きっとそう思う人がおられるだろうと思います。では「よき人」とは、どういう人のことでしょうか? 私たちが通常いう意味での友人、夫、妻、あるいは恋人である場合もあるかも分かりませんが、今日は、親鸞聖人の弟子唯円という方が書いたとされる『歎異抄』の第2条に出てくる「よき人」という言葉についてお話ししたいと思います。
これはどういう文脈の中で出てくるのか、その一節を先に紹介いたします。
親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべしと、よき人の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。
親鸞聖人は9歳の時に比叡山に上られて、29歳の時に下りられました。その際、京都の烏丸六角にある六角堂(頂法寺)で百日間の参籠修行に入られて、九十五日目の暁(夜中)に夢の中に観音菩薩のお告げを見られました。そして東山の円山公園の山手の方にある吉水草庵に法然上人を訪ね、そこにもまた百日間、雨も風もいとわず通われて、法然上人の専修念仏の教え――ただ念仏して往生する――に出遇われて、親鸞聖人はその後、ただ念仏ひとつで浄土に往き生まれる道にその人生を歩まれていくのです。
その「ただ念仏して」という道に教え導いて下さったのが法然上人です。だから親鸞聖人にとって、「よき人」とは法然上人を指しています。それは親鸞聖人の生涯を決定づけるものでもありますし、法然上人と出会ったことは同時に、親鸞聖人にとって、新たな苦難の道が始まっていくという側面でもありました。
ご存じのように専修念仏はその後、延暦寺や奈良の興福寺からの非難が出て、朝廷から専修念仏停止(ちょうじ)の厳命が下り弾圧を受けます。法然上人は讃岐国(香川県)に流罪、親鸞聖人は越後国(新潟県)へ流罪に処され、そのほか主だった弟子もみな朝廷から処罰されました。
しかし親鸞聖人にとっては、この「よき人」との出会いなくしては、専修念仏の道――ただ念仏して往生するという道が開かれることはなかったのです。
親鸞聖人の代表的な、体系的なお考えを書きしたためられた『教行信証』(『顕浄土真実教行証文類』)という著作がありますが、その「後序」に、自らが法然上人の門下へ入られた時のことを「雑行(ぞうぎょう)を棄てて本願に帰す」と書かれています。難しい表現かも分かりませんが、数多の自力修行の道を退けて阿弥陀仏の本願に帰する――そういうところに自分の宗教的な立場を示されていると思います。
「本願に帰す」については、この顕真館の壇上左側に、仏の世界をわかりやすく、気づかせてもらうような表現で書いてあります(「目に見えない 仏の世界に 目を向けよう」)。生きとし生けるものすべてを浄土に往き生まれさせたいという阿弥陀仏の本願、根本的な願いのはたらき――それは私たち自身の中にすでにはたらいているものだと。そのはたらきに気づかしめられるところに、その人における阿弥陀仏との出遇いがある。
しかしこれは、さまざまな著書を読めばそのことが明らかになるかと言うと、そうではない。先にそういう教えに出遇った人の導きによって、その人との出会いによって、また、その人が阿弥陀仏のはたらきによってどのような人生を歩んでいるのかという、その人の人格、あり方との出会いによって、その教えの確かさを親鸞聖人も感じられたのです。
弾圧以後は、法然上人とお会いすることがなかったわけですけれども、親鸞聖人は生涯にわたって法然上人を師として仰いでおられたということだと思います。
翻って私たちはどうでしょうか。学生の皆さんも、できれば、在学中に「よき人」といわれるような人と出会ってほしい。本学では建学の精神をよく自分自身の身に受けとめた人、そういう人との出会いによって、私たちがどういう人生を歩んでいけばよいのか、導かれていくような「よき人」にぜひ出会ってほしいと願うところです。
教職員の皆さんも、本学に勤めていく中で、「よき人」と思える人との出会いがあるならば、私たちの建学の精神というものが、より具体的に、より私自身のこととして、受けとめられるのではないかと思います。
私自身も本学の卒業生であります。長く在学しておりました。私たちも幼稚園からスタートして、小学校6年間、その後、中学校3年間、高校3年間と学校に通いました。長い学校生活で、それぞれの学年ごと、教科ごとに、さまざまな先生方と出会ってきました。振り返ってみれば、あの時にこんな先生がおられて、こういうことを教えられた――などと思い出すことがあります。
そのことが直ちに、自分の人生において、自分の根本的ないのちを見つめていく上においての「よき人」であったかと言うと、そういう意味とは違います。
私たちも幸いにして、仏教について、浄土真宗の教えについて、本学の建学の精神に関わることについて、深く示唆され、教え導いていただいた「よき人」――恩師と言ってもよいのでしょうけれども、そういう人との出会いがありました。
私は今年で67歳です。その年齢を考えてみましても、そういう人と出会わせていただいたことが、私の人生にとってはたいへん意味のある大きな支えになった、あるいは大きな導きになったと言うことができます。
そういう意味で、それぞれがいろいろな理解であっても、今申し上げたように「よき人」――親鸞聖人にとっての法然上人のような――、皆さん方ご自身にとってはどういう人であるかは分かりませんが、本学にとっては、建学の精神をより自分のこととして受けとめた人との出会いがあるならば、その人自身、さまざまな悩みがあったり、苦難があったり、つまづきがあったり、喜びがあったりしていようとも、とりわけその悩み、苦難の中に沈みこむのではなくて、自分自身の存在が、何よりも阿弥陀仏のはたらきによって、生きとし生けるものが等しく尊い存在であるお互い同士である、同じ同朋(ともがら)であるということに立って、お互いの関係が拓かれていく道を探っていくのが、私たちの道ではないだろうかとも思います。
一般社会的に広く見れば、私たちもさまざまな場所に出かけることが多いわけですけれども、仏教を考えてみても、あるいは浄土真宗の教えについても、1冊2冊の本を読んだからと言って、直ちに浄土真宗のみ教えが解るわけがない。こういう教えなのだという知識は得られるとしても、それが解ったかと言えば、留保が要るだろうと思います。知識のレベルからさらに深いレベルの意味で考えないといけません。
それはやはり人格――一般的な言葉でいうと、宗教的人格をその人自身の中に培わなければならない。言わばダブルスタンダードのように言葉を操っていけばよいのかと言うと、その人自身の中に体得するものがなければ、嘘いつわりの中で宗教的言語を使ってしまう――そのようになってしまうところがあります。
そうではなくて、言語は言語として使いながら、その人自身の中に、阿弥陀仏の光に照らし出された我が身のすがたを知らなければならない。親鸞聖人はご自身をどう語られるのかと言えば、言葉に残されているのは「愚禿釋親鸞」と。「愚禿」――愚か者であると書いておられます。厖大な経典を読破して『教行信証』という体系を明らかにされるほどの幅広く深い理解に立ち、その教義の構造を詳細に体系的に示しながら、一方ではなぜ「愚禿」と名乗られたのか――。
そこにやはり阿弥陀仏の光に照らし出されたありのままの私のすがたが愚か者として見つめられるからこそ「愚禿」と名乗られたのだろうと思います。
私たちも、他人より知識の量が多ければ、それがあたかも能力が高いことだと思って自惚れてしまうことがありますが、そうではない。自惚れることが砕かれていく、驕ることが砕かれていく。その砕いて下さるはたらき、照らし出されるはたらきを阿弥陀仏といい、そこに照らし出される私こそ私の真のすがたなのだと受けとめさせていただくことが大事ではないかと思います。
私にとっても、そういう大きな意味を、『歎異抄』の一節を通してでありますけれども、考えます。自分の生涯はいつ閉じられるかも分かりませんが、いろいろな形で、一時、不安を覚えるようなこともあります。
瑣末な私事ですけれども、7月末に人間ドックに入りました。少し風邪気味でしたけれども、予約をしてあったので敢えて受診しました。その10日後くらいに検診結果が出てきました。すると白血球、免疫の数値が異常に高くて「これはとんでもない白血球数値だ」と。それ以外の数値も悪くて、自分の身体の中に何が生じているのかなと不安を覚えてしまいました。
その後2週間ほど経って、そのデータを持って診察に行きました。データだけを見ると、「もしかしたら」と考えてしまう――。これは私の中に生ずる、私の煩悩が起こしている不安感なのですけれども、どうなっているのだろうか……もしかしたら細胞的が傷んでいる可能性の現われとして異常な数値が出ているのではないか、と。そこから想定される身体の変化、想定される悪化の方向に向けての不安感がよぎりました。
その後もう一度検査をすると、検査時の発熱が白血球の数値を上げた要因だったと判りました。そうすると不安が解消されてまた平静に戻ってしまうのですが、私たちもちょっとしたことで不安感が募る。いのちに関わる不安感を煽っていく要素があるのではないでしょうか。誰もがそうなのかは分かりませんが、そういう不安を覚え、戦慄してしまうこともある、そういうこころの変化を知らされることでもあります。
皆さんもそれぞれ、一人ひとりにとっての「よき人」について改めて考えてみて下さい。学生の皆さんにとっては、在学中に先生との出会いがありましょう。課外のさまざまな活動をしている皆さんにとっては、よき指導者によってこそ、自分の潜在的な可能性を大きく拡げていただいた縁もあるでしょう。
そういう「よき人」との出会いがなければ、今の私はないのではないか――そのように思えるところもあろうと思います。
今日、皆さんとともに、「よき人」との出会い、またそういうことについて思いを致す一日とさせていただければということです。
皆さまには、朝早くからお参りいただきましたことに厚く御礼を申しあげて、法話とさせていただきます。