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2020.09.24

共に是れ凡夫ならくのみ 聖徳太子

共に是れ凡夫ならくのみ 聖徳太子

我必ず聖に非ず
彼必ず愚かに非ず
共に是れ凡夫ならくのみ
(聖徳太子 憲法十七条)


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聖徳太子は平和な国作りのために本格的に仏教を学び、仏教の精神によって国作りをされた方でした。親鸞聖人は聖徳太子を「日本におけるお釈迦さまのような方(和国の教主)である」と、大変尊敬されていました。
この法語が書かれている『憲法十七条』には
「国が平和であるためには、人々の心が平和でなければならない。」
という太子の願いが込められているように思われます。

以下に、『憲法十七条』の十条全文を意訳してみたいと思います。(元文は『浄土真宗聖典 註釈版』の1436頁)

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【憲法十七条・十条の意訳】

「自分と他人が違う意見を持っていたとしても、怒ったり、恐ろしい顔をするのはやめましょう。人はそれぞれに心があります。ですから、それぞれに譲れないこだわりだってあるのです。

相手が良いと思ったことでも、自分は気に入らなかったり、
自分が良いと思ったことでも、相手は気に入らなかったり、
きっと、そんなこともあるでしょう。

しかし、良く考えてみれば、
自分がいつでも正しいということでもないし、
相手がいつでも間違っているということでもない。
お互いに、わがままな心を捨てきれない人間同士です。

本当に正しいことや、本当に間違っていることなどは、そうそう簡単に定められるものではありません。
相手も自分も、正しかったり間違っていたりします。
どちらが正しい側で、どちらが間違った側なんてことは、決まっていません。

まるい輪っかに「ここが端っこだ」と定まったところが無いように、正しさも少し見方を変えれば間違いになり、間違いも少し見方を変えれば正しさになります。

もし、相手が怒っているなら、むしろ自分が間違っているかもしれないと、自らを省みることが大切なのではないでしょうか。

自分が正しいと思っているときでも、周りの人の意見をよく聞いて、尊重することが大切なのです。」

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大学の授業、友達や家庭、バイト先やその他様々なところで、私たちは沢山の人と関わりながら生きています。他者と意見を交わしながら、他者と関わりあっていく、ということが生きていくということなのかも知れません。
意見を交わすと言っても、いつでもすんなりと自分の意見が通るわけでもなく、時には意見と意見がぶつかり合ってしまうことだってあるでしょう。
そんな時に、是非この法語のことばを思い出してほしいと思います。

自分がいつでも正しいということでもないし、
相手がいつでも間違っているということでもない、
お互いに、わがままな心を捨てきれない人間同士です。

 意見がぶつかり合うということは、自分にはない見方とであうということなのかも知れません。お互いの多様性を認め合い、関わり合いながら生きていくことができたら、素敵なことですね。

(イラスト作成/解説・宗教部 保田正信)

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