2020.10.13
おとなは、だれも、はじめは子供だった 星の王子さま サン=テグジュペリ
おとなは、だれも、
はじめは子共だった。
(しかし、そのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない)
※1
『星の王子さま』は1943年に、フランス人の飛行士であり小説家であったサン=テグジュペリという人が書いた小説です。
この本の最初に書かれている献辞は
「レオン・ウェルトに」
という書き出しではじまります。
レオン・ウェルトは実在の人物で、サン=テグジュペリよりも20歳以上も年上の人物であり、彼の親友でした。
一見、子ども向きに見える本なのに、何故そんなに年上の親友のために書いたのでしょうか。
献辞にはその理由が色々と述べられます。
そして、最後に
「子どもだったころのレオン・ウェルトに」
と記され、献辞は終わっています。
●子どもの心を大切に
大学では沢山のことを学びます。
沢山学び、賢くなり、社会に役立つような立派な大人になるということが、大学生活の一つの意義であることは間違いないことでしょう。
しかし、その過程で、大切なことを忘れてしまうことってないでしょうか?
はじめてみるものに純粋に感動する心や、
知らないことを知ろうとする好奇心、
際限なく自由な想像力、
新しい世界へとを突き進めていこうとする探求心などなど…
これらは、誰もが子供の頃に持っていたものです。
学ぶことは素晴らしいことですが、学ぶことで子どもの心を塗りつぶしてしまったとしたら、それはとてももったいないことなのかもしれません…
●あるがままに物事を見る心
何も知らない子どもは、大人よりも見えるものが限られています。
しかし、その見える物事については「あるがまま」に見ます。
美しいものを美しい、
珍しいものを珍しい、
嫌いなものを嫌い、
好きなものを好き、
大人って、意外とコレが出来ません…
たとえば、綺麗な絵を見たとき。
子供なら、ただただ
「綺麗だなあ」
と純粋に、その美しさに胸打たれるでしょう。
でも、大人ってそれだけでは済みませんよね。
「この絵は〇〇が描いたもので、制作の背景に〇〇な物語があって、絵の価値が〇〇万円で、しばらく持っていたら価値が上がって〇百万円にはなるぞ…」
とか…
色んなことを知っているから、色んなことを考えてしまうのが大人というものです。
その見方は、多角的で深い見方だとも言えますから、一概に悪いわけではありません。しかし、自分のフィルターを通して勝手に色々な情報をくっつけて見るような「わがまま」な見方でもあるのではないでしょうか。
深く見たとしても、その奥には、ただ綺麗なものを見て「綺麗だなあ」と言える子供のような感性がある方が、本当に絵を楽しめるのではないでしょうか。
生活の全てに、そういう純粋な感性があれば、きっと生きていくことはワクワクしたものになるでしょう。
●大人は、だれも、はじめは子どもだった。
では、子どもが大人になり、子ども心をなくしてしまったなら、その心は二度と戻らないのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
大人は誰しもが昔は子どもだったのです。
大人の中には子ども頃の輝きが残っています。
この本の献辞が
「レオン・ウェルトに」から始まり
「子どもだったころのレオン・ウェルトに」で締めくくられている意味は、そこにあるのでしょう。
レオン・ウェルト以外にも、大人の誰しもが持っている子どもの心。子どもの頃には見えていた本当に大切なことは、大人の心の奥底に眠っているのです。
その心を大人たちに思い出させるのが、サン=テグジュペリがこの本を書いた意図だったのではないでしょうか。
●仏教は「あるがまま」の見方を学ぶもの
龍谷大学は仏教(浄土真宗)の精神を建学の精神とした大学です。
「仏教‼」という言葉には、何やら難しそうで、厳しそうな雰囲気を感じるかも知れません。
しかし、本当は、
仏教とは「あるがまま」の目線に気付いていく教えなのです。
龍谷大学にいる間に、ぜひ仏教・浄土真宗の「あるがまま」の世界に触れてみてくださいね。
そして何事にも
「有り難い」
と感じ、子供のように素直に感動できる心を持ってほしいと思います。
※1 『星の王子さま』オリジナル版 (サン=テグジュペリ作 内藤濯訳/岩波書店)
(解説・宗教部 保田正信)
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●一人で悩まないで
学内外に相談できるところは沢山あります。
一人で悩まず、相談してください。
龍谷大学 宗教部 オフィスアワー ~お坊さんと話してみませんか?~
龍谷大学 こころの相談室
厚生労働省 こころもメンテしよう ~若者を支えるメンタルヘルスサイト~
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