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2021.04.02

「みんなで話そう京都コングレス2021〜龍谷コングレスに向けて〜」第2部開催レポート【犯罪学研究センター】

国連犯罪防止刑事司法会議(コングレス)の歴史と開催意義を考える

2021年3月12日、犯罪学研究センター主催のシンポジウム「みんなで話そう京都コングレス2021〜龍谷コングレスに向けて〜」をオンライン上で開催し、約60名が参加しました。
【>>イベント概要】https://www.ryukoku.ac.jp/nc/event/entry-7969.html
【>>第1部開催レポート】https://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-8179.html
【>>第3部開催レポート】https://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-8181.html


第2部「コングレスの過去、現在、そして・・・」では、浜井浩一教授(本学法学部、犯罪学研究センター国際部門長)と、石塚伸一教授(本学法学部、犯罪学研究センター長)が、国連犯罪防止刑事司法会議(コングレス)の歴史や50年前に京都で開催されたときのインパクト・意義について述べました。


浜井浩一教授(本学法学部、犯罪学研究センター国際部門長)

浜井浩一教授(本学法学部、犯罪学研究センター国際部門長)


石塚伸一教授(本学法学部、犯罪学研究センター長)

石塚伸一教授(本学法学部、犯罪学研究センター長)

浜井教授は「UNコングレスの意義と役割の変化」と題し、コングレスの歴史的経緯を確認しつつ、国連と政策決定について報告しました。刑事司法における国際会議の歴史*1は、1846年に開催された国際監獄会議(International Penitentiary congress)まで遡ることができます。これは刑罰の中心である刑務所での処遇方法のあり方について話し合う会議でした*2。1948年に国連に社会防衛部(Section of Social Defence) が設けられことに伴い、同会議の役割も承継されることになり、1955年に第1回コングレスがジュネーブで開催されます。「第1回から第5回までは、国際監獄会議の流れを受け継ぎ、被拘禁者処遇最低基準規則を中心に、いろんな知見や問題意識を共有することに主眼がおかれ、本会議を除いて分科会においては政府代表だけでなく専門家など個人参加者にも投票権があるなど専門家会議の色彩が濃いのが特色だ」と浜井教授は指摘します。
1970年に日本で開催された第4回京都コングレスでは、「経済発展と犯罪抑制を両立する社会防衛」がテーマとなっており、数多の日本の刑事法の専門家や法務省幹部が出席する一大イベントでした。1980年第6回カラカスコングレスから「専門家会議」から「政策決議機関」へとコングレスの位置づけに変化が生じ、政府の代表者のみ本会議・分科会の投票権があり、その他の参加者はオブザーバーとなります*3。このような変化に加え、国際協力が強調されたことや、5年ごとではなく毎年政策会議を行うべきだという意見が多かったことなどが契機となり、1991年の国連総会において、コングレスとは別に国連犯罪防止司法委員会(コミッション)*4が設置されることになります。コミッションの設置以降、コングレスはコミッションに対する諮問機関となります*5。その結果、1995年の第9回カイロコングレスから「実務専門家会合的」な色彩に戻っていきました。2000年の第10回ウィーンコングレスからは、コングレスが諮問機関としての役割を担うために、会議の最後に政治宣言を採択してコミッションに提出することが決まります。大臣級政府関係者を含んだハイレベルな会合が行われるようになりました。ここにおいて、政策の包括的な大綱・方向性をコングレスで決定し、その具体化をコミッションで行うという現在の形に役割分担が確立しました。


浜井教授による報告のようす(コングレスとコミッションの役割)

浜井教授による報告のようす(コングレスとコミッションの役割)

浜井教授は、今回日本においてコングレスが開催された意義をつぎのようにまとめます。
 1. 実際の現状に左右されず、理想的な理論を展開することができること
 2. コングレスの政治宣言を利用してお墨付きを得ることで、その後の政策に対する外圧として各省庁の内部改革を進めやすくなること
 3. 国際経験を積むことで省庁の職員の視野を広くすることができること
 4. 国際司法分野での日本の存在感を高め、矯正・保護分野の重要性をアピールできること
今回のコングレスで採択された京都宣言*6については「犯罪原因への対応や、エビデンスに基づく犯罪防止、若者のエンパワーメントを強化する必要性、再犯防止に向けた取組等を盛り込めたことに一定の評価が与えられるのではないか」と述べ報告を終えました。



つづいて石塚教授から「50年前の京都コングレスとはなんだったのか」と題した報告が行われました。
石塚教授は「明治時代より日本が欧化政策をすすめる中で、いかに不平等条約を撤廃し、関税自主権や領事裁判権を獲得するかが課題であった。そのために国際監獄会議にも参加し、国内法を整備することで、世界に対し日本が欧米にも劣らない近代的な法制度を持つ国であることをアピールする必要があった。戦前に作られた刑法や監獄法はその成果を象徴するもののひとつであった」と述べ、国際会議が日本に及ぼしてきた影響について指摘します。戦後、敗戦国であった日本は、1954年国際人権規約の起草や1955年のコングレスで「被拘禁者処遇最低基準規則」が採択されたことを受け、「条約と違って法的拘束力がない国際準則であるものの*7、まだどこの国も成し遂げていない目標を達成するために、監獄法の改正を目指すことになった。戦前は監獄法を作ることで国際社会にアピールしたが、今度は改正によってアピールするという狙いだった。そのような気運のなかで1970年に開催された京都コングレスは日本の刑事政策の転換をうながす極めて重要な意義を持つ」と石塚教授は述べます。
1976年自由人権規約の効力発生を利用して、法務大臣は法制審議会に対して、日本の人権意識を国際準則に整合するものに変えることを目標に「監獄法改正」を諮問します。その時のスローガンが「法律化」「近代化」「国際化」でした。石塚教授は「国際化とは、国際人権規約に適合するもの、法律化は古い監獄法を廃し新しい行刑法を作ること、そして近代化とは人道化、人権を守る刑務所を作る。日本は『日本の刑務所は人権を守れていない』という謙虚な気持ちを持ち、監獄法改正へ向かっていたのだ」と述べます。しかし、法案を3回提出するも様々な事情により成立に至りませんでした*8。コングレスや条約の流れを汲んだ監獄法改正が実現しないのか危ぶまれたところ、2002年の名古屋刑務所事件を契機に、遂に監獄法改正が成し遂げられました。
石塚教授は「改正されたことには一定の評価が与えられるものの、監獄法改正の作業の問題を検討していた研究者グループは、戦後改革の一環としてはじめられた行刑の民主化の集大成という視点から検討しており、その点から見るとまだ課題が取り残されている」と指摘します。研究グループが議論の中心に据えるのは1980年に法制審で提出された「監獄法改正の骨子となる要綱」おいて平野龍一博士の示した3つの方向性でした。①「管理法から処遇法への転換」、②「権利設定法から権利制限法への基本的視点の転換」、③「自由制限根拠の明確化」です。これらは「被収容者の権利ないし自由の限界をはっきりさせようという点と社会復帰のための処遇をその任意性、自主性に基づいてやろうとした点に特徴があり、我々の目指したところは、刑罰内容は行動の自由の制約を限定しながら(自由刑の純化)、意欲のある人に対して人的・物的に支援する(社会復帰の支援)という理論枠組みの可能性を提示することにあった。その課題は犯罪学研究センターにも引き継がれている」と石塚教授は説明します。


石塚教授による報告のようす(法の支配か? 法による支配か?)

石塚教授による報告のようす(法の支配か? 法による支配か?)

さいごに、石塚教授は「処遇や再犯予防という題目をたてるだけでは受刑者および市民に対して強制することはできないし、強制であっては効果が望めない。このことはコングレスで出される政治宣言にも言える。国際会議の決定は、国家が市民社会に介入する時にどのようなことを述べるのかを決めたことである。大事なのは市民の側がそれに対してどのような反応をするかだ。一方通行ではなく、環状に双方向に意見を対比し合意を形成すること、それが真の意味での国際的同意につながるだろう。犯罪学研究センターは市民サイドに立ってどのようなことが言えるのかを考え、発信していきたい」と述べ報告を終えました。

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【補注】
*1 参考文献
森下忠「国際会議と矯正・保護」朝倉京一・佐藤司・佐藤春夫・森下忠・八木国之(編)『日本の矯正と保護第1巻行刑編』(有斐閣、1980年)345頁〜362頁
「国連犯罪防止刑事司法会議 65年のあゆみ」(国際連合広報センター)
https://unis.unvienna.org/pdf/2020/CrimeCongress/65-years-brochure_jp.pdf

*2 同会議はその後「国際刑法及び刑務会議(International Penal and Penitentiary Commission (IPPC)」と改称され、行刑だけでなく刑法問題も併せて議論された。1948年、国連に社会防衛部(section of Social Defence)が設けられたのに伴い、同会議の役割が国連に移管されることとなり、1950年に開催された第12回会議を最後に役目を終える。
https://www.unodc.org/congress/en/previous/previous-ippc.html

*3 1990年の第8回ハバナコングレスでは国際連合アジア極東犯罪防止研修所(United Nations Asia and Far East Institute for the Prevention of Crime and the Treatment of Offenders:UNAFEI)を中心に原案を策定した「非拘禁措置に関する国連最低基準規則(東京ルールズ)」が採択された。人道的・経済的効率を含意して社会内処遇を充実していこうという流れに。

*4 犯罪防止刑事司法委員会(Commission on Crime Prevention and Criminal Justice : CCPCJ)とは経済社会理事会の機能委員会の1つ。犯罪防止と刑事司法に関する国際的な政策を作成、活動を調整している。
https://www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/social_development/crime_drug_terrorism/crime_prevention/
https://www.unodc.org/unodc/en/commissions/CCPCJ/index.html


*5 国連薬物犯罪事務所(United Nations Office on Drugs and Crime : UNODC)は、国連総合事務局内に1997年に設立され、不正薬物と越境組織犯罪(人身売買、テロ、資金洗浄等)への対策のために各機関への助言や司法制度整備支援をはじめ、関連する調査や統計の分析等を行っている。コングレスの事務局も担当している。UNODCには日本の法務省からもスタッフ(主に検察官)が派遣されている。
https://www.unic.or.jp/info/un/unsystem/other_bodies/unodc/
https://www.unodc.org/

*6 今回のコングレスで採択された政治宣言「京都コングレス」は下記参照
http://www.moj.go.jp/KYOTOCONGRESS2020/programme/meetings.html

*7 1966年12月16日に「市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)」が採択され、1976年3月23日に効力発生。

*8  その後の大まかな流れ
- 1980年11月25日法制審議会「監獄法改正の骨子となる要綱」答申
- 1982年4月『刑事施設法案(昭和57年法案)』(拘禁2法)国会提出
- 1987年『刑事施設法案(昭和62年法案)』(拘禁関連4法)国会提出
- 1991年『刑事施設法案(平成3年法案)』国会提出
- 2002年「名古屋刑務所事件」
- 2003年12月22日「行刑改革会議提言」
- 2005年3月14日「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律案」国会提出
- 2005年5月18日「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」成立
- 2006年2月2日「未決拘禁者の処遇等に関する提言」
- 2006年6月2日「刑事施設及び受刑者等の処遇等に関する法律の一部を改正する法律」成立
 →「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」
- 2006年5月18日「刑事施設及び受刑者等の処遇等に関する法律の一部を改正する法律案」国会提出
 →2006年6月「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」成立。2007年6月施行。