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卒業式・入学式

2020年度(新2年生)入学式 式辞

先端理工学部、理工学研究科のみなさまへの式辞

新2回生の皆さん、昨年は入学式を挙行することができませんでした。大学入学という新たな門出を大学あげてお祝いできなかったことに対し、申し訳なく思っておりました。1年遅れとなりましたが、本日入学式を行ない、学長としてのメッセージを皆さんに届けたいと思います。

この一年、皆さんは本当によくがんばりました。辛い一年であったかと思います。しかし、このコロナが教えてくれたこともあったかと思います。「ありふれた日常」が「かけがえのない日常」であったということ。そしてまた、人間的交流、人とのふれあいというのがどれほど大事かということ。皆さん方は気づいたと思います。

皆さんはすでに昨年度、必修科目「仏教の思想」を習い、建学の精神についても説明を受けたかと思います。先端理工学部に入学した君たちにしてみれば、科学に関心を持って龍大に入ったのに、そこで仏教を学ばねばならない。抵抗感を覚えた人もいたかと思います。実は、仏教の教えというのは、いかに自分たちが硬直した心、硬直した見方で毎日を過ごしているか、自分たちの心のありようというもの、そこに眼を向けさせます。硬直した心、頑なな心。そのことに気づいていく。私たちは、自分の心が頑なになっている、硬直している、ということには日常気づきません。当たり前のこと、当たり前に生活していること、そこに尊さがあることに気づかないのは、私たちの心が非常に硬直しているからです。

学生諸君にとっては、当たり前のこととは「大学で学ぶ」ということです。しかし、学問をすることができるということがどれほど尊いか、というところにまではなかなか思いが至らない。なぜなら、心が硬直しているからです。

スポーツをしている方はよくご存知だと思いますが、練習に入る前には必ず柔軟体操をします。体が固ければ思うように動けない。時には怪我をすることもあります。そうならないためにも、まず体を柔らかくする。スポーツの基本です。とりわけ柔道の場合は、受け身を徹底してやります。受け身をやる。どんどん体が柔らかくなってくる。その受け身をやる過程で技を習得する。受け身がしっかりとできていないと、技を掛けることもできない。あの受け身というのは、地道な地味な行為です。けれども、その受け身がしっかりとできていなければ、柔道というものはできません。

心もそうなのです。心も「受け身」というものをしっかりしておかなければ、硬直したままになってしまいます。自分の見方、ものの考え方というものが、いかに硬直しているかということに気づかないまま過ごしてしまう。硬直した心というのは、硬直した考えにつながります。よく「発想の転換」ということが言われます。特に自然科学系の学問では、実験を繰り返しますが、なかなか思うような結果が出ない。けれども、発想を転換してみたら、思わぬ発見につながることがよくあります。仏教は、実は「究極の発想の転換」を教えてくれるものなのです。

皆さん、森政弘(もりまさひろ)さんをご存知でしょうか。この方はロボット工学の先駆者として名高い方です。東京工業大学の名誉教授です。ロボット博士として知られる方です。

学生諸君はテレビ等で知っているかもしれませんが、ロボコン、いわゆる「ロボットコンテスト」が何年か前に始まりました。これは、森政弘先生が始められた企画です。NHKのEテレの番組監修者でもあって、今なお、大学生、あるいは高校生が作ったロボットのコンテストを開いています。テレビで見たことのある人もおられるかと思います。

そこで試されるのは、まさに発想なのです。森政弘先生は早くにロボットに着眼して、ロボットを生みだすにあたって、非常に大きな貢献をされた方です。森先生は「ロボットを生みだすにあたって、発想の源は何かというと仏教であった」と公言しています。『ロボット工学と仏教』という著書もあります。森先生の『退歩を学べ』(アーユスの森新書)という本では、仏教について語っています。ロボット工学の最先端を行く科学者が、仏教について語られているのです。

以前、森政弘先生が、こんなことを語られていたのを思い出します。ロボットを作る。人間並みのロボットを作る。前へ歩かせるわけです。その時にわざと倒れることをプログラミングするそうです。前へ進むのですから、ロボットが倒れたら何にもならないわけです。けれども、人間の足というのは、膝のところで曲がる。まっすぐ突っ立って、足を伸ばしたまま歩くことはなかなか難しい。だから足自体が倒れることをプログラミングする。それで「く」の字になった足が前へ進むようになる。つまり、マイナスの要素をわざとそこに織り込んでいく。そうした発想を、森先生は仏教から学んだ、というのです。

仏教は、私たちの日常の考え方、見方、それを覆してくれます。仏教は、正しくものを見る、ということを教えます。私たちは思い込みや偏見でものをみて、日常生活を過ごしているのです。

森先生は「今の世界というのは、経済成長、進歩することを前提に物事を組み立てている、そして私たちはそのように考えている。ただ、進歩すること、経済成長をしていくことが、前提として誤っていたらどうなのか」と疑問を呈されます。

森先生は窓ガラスのハエの例を出してこう言われます。「窓ガラスにハエがとまっている。そのハエは、何度もガラスに当たってとまっている。外に出ようとしている。けれども、窓の端っこを見ると、開いている。そこから行けば、外に出ることができるのに、ハエはずっとその窓ガラスにとまったまま、そこをうろうろしている。一歩下がって全体を見たら、窓ガラスが開いているところが分かるのに、それをしようともしない。これは、今の現代社会に生きる私たちの姿ではないか」と言うのです。つまり、前に行くことしか考えない。少し下がって見る。つまり、進歩ではなくて退歩。退くことを学べ、というのです。

自動車はアクセルとブレーキから成っています。アクセルだけでも、ブレーキだけでも、車は成り立ちません。それと同じように、進歩あるいは経済成長ということ、それはアクセルだけなのです。だから、ブレーキをかけること、それから一歩後に退いて物事を見ていくことが大切だというわけです。

仏教は究極の発想の転換を教えてくれる、と先ほど申しました。とりわけ本学の建学の精神である浄土真宗という教えは、阿弥陀如来の誓願を中心にして物事を見ます。つまり、仏さまが中心です。私たちは、日常を、意識する・しないに拘らず自分を中心として物事を見て考えています。ところが「仏さまを中心にして見る」とはどういうことかと言うと、自意識というハードルを低くする。いかに自分が大切なことに気づいていないか、ということに気づかせてもらう。これぞ、究極の発想の転換なのです。仏さまの前で、いかに自分が至らない存在であるかということに気づいていく。

私たちは毎日毎日を、1秒1秒、1分1分、時間とともに生きているわけですけれども、その生きていることが、生活をしていることが、どれほど尊いことかということに、残念ながら気づいていない。だから目先のことに振り回され、そして嫌な思いをし、もっと別の所に自分の居場所があるんじゃないかなどということを、ついつい考えてしまうわけです。

いま、新型コロナウイルスによって人間社会に甚大な被害がもたらされています。当面はワクチンに頼らざるを得ませんが、こうした事態を招いたのは何が主たる要因だったのでしょうか。改めて考えてみなくてはなりません。

自然の奥地にいる野生動物の体を宿にしているウイルスがどうして人間に移ってくるのか。現在、鉱物採掘などのための森林伐採や食肉・ペット利用の野生生物の乱獲などが世界各地で行われています。こうした人間の活動と動物由来の感染症が無関係であるはずはありません。

自己利益を増大させようとする人間の精神性が人間社会に新型のウイルスを招き寄せている現実に目を向けない限り、今回のような感染拡大はこれからも繰り返されるでしょう。問題は、「人間」なのです。

紛争、経済格差、二酸化炭素排出など、いま社会課題となっているものは全て人間の行いです。そしていま、私たちは科学技術文明の中で生きています。しかし、現代の科学技術文明は森先生が言われるようにひたすら進歩・利便性を追求しています。地球規模の社会課題が置き去りにされています。生命誌研究者の中村桂子さんは次のように提言されています。「私たちは、問題だらけの科学技術文明を抜け出さねばなりません。科学・科学技術を捨てることなく、それを超えた新しい文明を作っていかねばなりません」(中村桂子『科学者が人間であること』岩波新書)。

私は先端理工学部・理工学研究科に入学された皆さんにぜひとも新たな文明を作る担い手になっていただきたいと切に願っています。

若々しい発想が社会を動かしていきます。仏教を単なる知識として、かったるいというような感じで遠ざけるのではなくて、自分の今のものの見方、考え方、果たして自分の人生はこれでいいのだろうかと、自分自身を省みる一つの大きなきっかけにしてほしいのです。そこに龍谷大学の学生の学びの大きな特質があると考えます。

一年遅れとなりましたが、あえて言わせてください。

ご入学まことにおめでとうございます。

2021(令和3)年4月3日

龍谷大学・龍谷大学短期大学部
学長  入澤 崇