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保健管理センター

健康情報シリーズ 7月号

自分たちの素直さに誇りを持て!

皆さんは「大学生として誇りを持っているか」と聞かれたら、ほとんどが「誇りなんてそんな、突然何をおかしなことを聞くのだ」といった回答になるかもしれない。大学生としての誇りという大上段からの視点が今の時代に合わない時代錯誤的な問いのようだからである。

30年前のわれわれの時代でも大学生としての誇りは何かという切り口で入ると、誰もが「そんなばかげた」とか「誇りを持つなどと言い出すのはおかしい輩だ」という、否定的な解釈をするのが普通の態度であった。しかし、それは自らを完全否定しているのではなく、自分の理想とする社会と現実とのギャップとを悲観的に捉え、理想論の中で自らの安住を求めていたのである。すると、眼前の現実社会にはネガティブな問題点ばかりが気になってくる。若き日々はそこに悩み、辛い日々の苦渋へのある種の誇りを感じるといった両価性に浸るのである。ゲーテの若きウェルテルの悩みはそうした現実への失望による挫折が描かれているが、われわれはそうした挫折にこそ美的な憧れを求め、現実社会への自らの適応や成長をパラドキシカルに敗北としていたのである。

最近の若者の理想は何か?情報の多様性と過多の社会の中でこうした一元的なテーゼは無意味かもしれない。しかし、われわれの世代から解釈するといったバイアスのかかった視点で捉えると、昔より現実指向性がかなり強くなっていることは確かであろう。それは現実社会への自らの適応や成長をポジティブにとらえる学生が多くなっているからである。物的に豊かになり、求めたいものを手に入れることが夢でなくなるような状況となると、実際には取得欲求は減退する。昔の学生の思い描いた、自家用車で彼女とスキーに出かけるなどの強い憧れのストーリーは、今の学生の中では価値は低い。近所のスーパーで買い物をし、同性の友人と家で料理をし、飲食しながら、ゲームをし、雑談をする。こうしたある種の「並」な過ごし方にこそ意義を求めているように映るのである。

瀬田キャンパスでの路線バスに乗ると、学生が降りる際に「ありがとうございました」と運転手に気軽に声をかけて降りていく。これはたまたまこのような礼節ある慣習が代々伝わっていったとも言われるが、感謝の言葉を抵抗なく使うことは、若者には難しい。感謝の言葉が素直に口にされるには、日常的に触れ合う対象に対して肯定的に捉えることが実践的に習得されて可能になるからである。では、どうしてこうした感謝の言葉の慣習がみられるのか。それは今の学生に現実への肯定感が高まっているからに違いない。これについて一般論的には、チャレンジ意欲が欠け、向上心が低いからだというネガティブ論が多いが、果たしてこれはネガティブなものだろうか。今の学生の人生の最優先課題が、実生活の安定と充実を求めるという現実指向性となっているからである。これを低く評価するのは昔の指向性からの判断であり、多様性から見ると別の価値観が生じてもおかしくはない。

こうした現実を肯定し、素直な気持ちで感謝の念を表出できるという今の学生の持つ素晴らしさは、それこそ社会に自立して行く上で誇りにできることである。今の現実指向性の求められる世の中にはこの誇りこそとても必要であり、そうした自分の持つ素直さの良さの再認識が次の成長につながるのである。

保健管理センター長
須賀 英道