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2023.09.22

言葉に姿があったなら 暗闇に立つきみに 届きはしないだろう

言葉に姿があったなら
暗闇に立つきみに
届きはしないだろう
(石田雨竜 / 『BLEACH』七二巻) 


【深草学舎東門掲示】

龍谷大学の建学の精神は浄土真宗の精神です。
そして、浄土真宗の本尊は阿弥陀如来(阿弥陀仏)です。

「本尊」という言葉を聞くと、多くの人は仏像を想像するでしょう。
仏像には、木や石や金属で造られたものがあります。また、本尊という言葉に、掛軸に絵で描かれた絵像を想像する人もいるのではないでしょうか。

では、そういった木や石や金属や絵が本当の仏さまなのかというと、当然ですがそうではありません。
礼拝の対象とするために、様々な物質によって仏さまを表現しているのです。

では本当のご本尊である阿弥陀仏そのものに、私たちは礼拝をしたり触れることができないのでしょうか?


浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、ご主著である『教行信証』に、

「わが弥陀は名をもって物を接したまふ。ここをもって耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入(らんにゅう)す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証(ぎゃくしょう)す。」
という言葉を引用されています。

「阿弥陀仏という仏さまは、南無阿弥陀仏という名前の仏さま(名号)になって、私たちをおさめ取ってくださっています。
南無阿弥陀仏は仏さまそのものなのですから、耳に聞き、口におとなえすれば、阿弥陀仏の限りない功徳が私の心に入り込んでくださって、私が成仏するためのたね(因)となってくださいます。そうすれば、たちまちに私が何十億年を超えて積み重ねてきた重い罪のはたらきは除かれ、この上ないさとりを得させていただけるのです。」(意訳)
というような意味です。

目に見えて触れられるような、姿のある物質は、目に見えて触れられる場所に限りがあります。また、目に見えて触れられる時間というのも、限られた時間になってしまうでしょう。

阿弥陀仏という仏さまは私たちに常にとどき、どんな場所でもどんな時でも私に寄り添うために、言葉の仏さま、声の仏さまになることを選んでくださいました。

人生は常にバラ色ではなく、時に暗く、暗闇に一人で立っているような時期があるものです。
そんな時には、「なんまんだぶ」とお念仏をし、お念仏を聞いてください。
お念仏の声は、暗闇に立つ私に届こうと、声の仏さまになってくださった阿弥陀仏そのものです。どんな時も、仏さまは寄り添ってくださっています。

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