| 号 | 発行 | ブックタイトル | 目次 | 著者 |
|---|---|---|---|---|
| 138 | 2024 | 今ここの苦によりそう | コロナ禍の中で | 福間義朝 |
| ブッダは人工妊娠中絶を責めるか | 大谷由香 | |||
| 杉岡先生を偲ぶ | 高田文英 | |||
| 中学生・高校生と仏教を学ぶ中で教えられたこと ~私の立脚地は何処か・共に苦悩し、問う~ | 近藤義行 | |||
| 仏教から結婚式の意味を問い直す 〜結婚式はもっと自由でいい〜 | 田坂亜紀子 | |||
| 仏教から読み解くアンパンマン 〜浄土真宗の視点を中心に〜 | 四夷法顕 | |||
| 多様性の中で生きる | 鷲尾龍華 | |||
| 137 | 2023 | うけつがれるもの | 浄土真宗の源流 | 佐々木義英 |
| 葬儀にお坊さんは要らない!? ─ 元葬儀スタッフ僧侶が語る裏話 ─ | 三ヶ本義唯 | |||
| 地上最大のロボットと阿弥陀仏 ~知り尽くすことと慈しむこと~ | 井上善幸 | |||
| 病院で活動する宗教者たち | 打本弘祐 | |||
| 「マトリックス」の世界 ─ 唯識無境について ─ | 早島慧 | |||
| 法然と親鸞:二人の功績を考える | 平岡聡 | |||
| 136 | 2022 | ともに生きる | 限りない愚かさ | 武田 晋 |
| 「これからの世界」を生きる皆さんが持続社会とダイバーシティにどう取り組むか | ウスビ・サコ | |||
| 人間は一本の管、だが苦悩する管である | 杉岡 孝紀 | |||
| 「ともに生きる」ということ | 内手 弘太 | |||
| 多様性と多声性:「ともにいる」ことを考える | 山田 容 | |||
| 仰げば尊し | 井上 見淳 | |||
| 135 | 2021 | そのままの救い | 浄土真宗はじめの一歩 | 能美 潤史 |
| ものみな金色に輝く | 徳永 一道(徳永 道雄) | |||
| 「仏教を理念とする社会実践」 ~自死・気候危機への対応 |
竹本 了悟 | |||
| 半身の死を生きる | 川添 泰信 | |||
| お釈迦さまからのメッセージ ─生きるということ─ |
内藤 昭文 | |||
| 唯信仏語 | 深川 宣暢 | |||
| 134 | 2020 | 「わたし」って何だろう? | 「カルト」の楽しさ、「自由」のしんどさ | 竹内 綱史 |
| 人に生まれて | 玉木 興慈 | |||
| 国際政治における仏教的視点 | 清水 耕介 | |||
| 他利と利他 -「自」とはだれか、「他」とは誰か- | 長谷川岳史 | |||
| 報じても報ずべきは大悲の仏恩 | 葛野 洋明 | |||
| 他者とは誰なのか | 杉岡 孝紀 | |||
| そらごと まこと | 高田 未明 | |||
| 摂取不捨 -No one will be left behind!- | 丘山 新 | |||
| 133 | 2019 | 大地の如し | 北関東の親鸞聖人 | 常磐井慈祥 |
| ことばと宗教 | 野村 伸夫 | |||
| いつか死ぬということ | 大谷 由香 | |||
| 煩悩のゆくえ | 清基 秀紀 | |||
| 「ギリシアの仏陀」と呼ばれる哲学者 -古代懐疑主義の祖ピュロンの思想と生活- | 田中 龍山 | |||
| 生と死の記録 -いのちの現場から- | 萩尾 信也 | |||
| 132 | 2018 | 疾風の如し | キクさんのお念仏 | 打本 弘祐 |
| 終わりに何を想う | 深川 宣暢 | |||
| アメリカの仏教と日本の仏教 | グランバック リサ | |||
| 医療現場で求められる仏教 | 田畑 正久 | |||
| 信仰と理性 | 山口 雅広 | |||
| 願いの中に生かされて | 玉井 鉄宗 | |||
| 世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ-愚かでいるほうがいい- | 小池 秀章 | |||
| 131 | 2017 | 海の如し | 現代を仏教的に生きるということの意味 | 佐々木 閑 |
| ビハーラという生き方 | 吾勝 常行 | |||
| 「恩返し」を考える | 殿内 恒 | |||
| インドの山奥で修行して | 井上 善幸 | |||
| 仏教って何か役に立ちますか? | 井上 見淳 | |||
| 美の法門 -柳宗悦の見た浄土- | 那須 英勝 | |||
| 沙羅双樹の花の色 | 楠 淳證 | |||
| 130 | 2016 | ひかりのかたち | 龍大はじめの一歩 -龍谷大学「建学の精神」- | 楠 淳證 |
| 龍谷大学『建学の精神」-「平等」ということ- | 道元 徹心 | |||
| 如来さまからの声 | 能美 潤史 | |||
| 願いに生かされて | 森田 眞円 | |||
| 分別の心と無分別の心 | 蜷川 祥美 | |||
| アフリカの小さな村から食と命を考える | 末原 達郎 | |||
| 人は何処から来て何処に行くのか | 能仁 正顕 | |||
| 四苦八苦の人生 | 青原 令知 | |||
| いのちの本当の姿-食と農を通して- | 玉井 鉄宗 | |||
| 宗教的プラス思考 | 久松 英二 | |||
| 129 | 2015 | 明闇 | 常識と非常識-ゆとりのある生活- | 藤丸 要 |
| 吉水入室 | 葛野 洋明 | |||
| 生死出づべき道へ | 神子上 惠群 | |||
| 「母子避難」という悲劇-「自立」理念の再考- | 丸山 徳次 | |||
| 世運の流れ 遷るとも | 市川 良文 | |||
| 128 | 2014 | 一々の花 | はじめに-沙羅双樹- | 楠 淳證 |
| 愚にかへる | 若原 雄昭 | |||
| 甘えてもだいじょうぶだよ“還る家” | 富田富士也 | |||
| 科学技術文明の真の礎-アミタクラシ- | 松田 正典 | |||
| 寺の門前を素通りする人へ-何をどう伝えるか | 菅 純和 | |||
| 聞ってなに?名ってなに? | 玉木 興慈 | |||
| 127 | 2014 | 群萌 | はじめに ―祇園精舎― | 楠 淳證 |
| 仏教徒の視点から ―現代人の宗教感覚を見つめる― | 天岸淨圓 | |||
| 遇うて空しく過ぐる者なし | 井上見淳 | |||
| 近代教育と浄土教 ―人間とは誰か― | 川村覚昭 | |||
| 聴 ―ゆるされてきく― | 吾勝常行 | |||
| 地球と人間が創る植物 | 田中 歩 | |||
| 126 | 2013 | 悲喜の涙 | はじめに | 林 智康 |
| この如来は光明なり | 藤田徹文 | |||
| 立ち止まって考える | 能仁正顕 | |||
| 有縁・無縁に生きる | 玉木興慈 | |||
| 叶わなかった夢の先に | やなせなな | |||
| 絶ゆることなき法の流れの中で | 青原令知 | |||
| 闇をひらく智慧 | 貴島信行 | |||
| 無常の上の慶び | 淺田正博 | |||
| 125 | 2012 | 仏力無窮 | はじめに | 林 智康 |
| 法を継ぐ者 | 若原雄昭 | |||
| 自我と無我 | 山田明爾 | |||
| 落語の中の日本仏教 | 釈 徹宗 | |||
| 百日の問い | 森田眞円 | |||
| 信心をいただくということ | 武田 晋 | |||
| 124 | 2011 | 知恩報徳 | はじめに ―沼田仏教講座― | 桂 紹隆 |
| 真実の私・私の真実 | 一郷正道 | |||
| 『歎異抄』と『沈黙』 | 徳永道雄 | |||
| 仏道と菩薩道 | 藤丸 要 | |||
| 「死ぬ権利」はない ―重病人・重度障碍者のケアを考える― | 小池清廉 | |||
| 歎異抄に現われた親鸞聖人 | 梯 實圓 | |||
| 123 | 2011 | 真実に生きん | はじめに ―おわりのはじまり― | 桂 紹隆 |
| 師主知識の恩徳 ―龍谷大学教員の資質― | 長谷川岳史 | |||
| 若い人の死に学ぶ | 清基秀紀 | |||
| 仏教を学ぶ人のために | 淺田正博 | |||
| 無人島に持って行く一冊の本 | 杉岡孝紀 | |||
| 共に生きる | 玉木興慈 | |||
| 122 | 2010 | その人を憶ひて | はじめに ―「ほとけなきくに」のぼさつたち― | 桂 紹隆 |
| 南無阿弥陀仏という仏さま | 葛野洋明 | |||
| 救われるということ | 藤 能成 | |||
| 医療と仏教の協力 | 田畑正久 | |||
| 安心のいのちを生きる | 宮崎幸枝 | |||
| われや先、人や先 | 井上善幸 | |||
| 諸行無常の響きあり | 楠 淳證 | |||
| 121 | 2010 | おかげさま | はじめに ―ほとけのなまえ、ほとけのちから― | 桂紹隆 |
| 如来われを離れず | 米田睦雄 | |||
| 親鸞聖人の姿勢に学ぶ | 武田達城 | |||
| やさしい真宗入門 | 大柳満之 | |||
| 仏道をならうということ | 深川宣暢 | |||
| 憲法とともに生きる | 元山健 | |||
| 二つのおかげさま | 松尾宣昭 | |||
| 120 | 2009 | 仏智に遇う | はじめに ―報恩講― | 内藤知康 |
| 仏智に遇う | 内藤昭文 | |||
| 共生(ともいき)と共生(きょうせい)と共生(ぐうしょう) | 長谷川岳史 | |||
| つちにふみつつ ものをこそおもへ | 嵩満也 | |||
| 不揃いの木を組む | 小川三夫 | |||
| 人我兼利 | 龍口明生 | |||
| 人はなぜ 親鸞聖人に惹かれるのか | 新井俊一 | |||
| 119 | 2009 | あなたと私 | はじめに ―導きと訪い― | 内藤知康 |
| あなたはあなたでいいの | 矢崎節夫 | |||
| 真実のこころ | 長野了法 | |||
| 恐れと悲しみと微笑み | 川添泰信 | |||
| 小慈小悲もなき身にて | 神子上惠群 | |||
| 仏教徒であること | 上山大峻 | |||
| 生老病死の現在 | 丸山德次 | |||
| 118 | 2008 | 昼の星 | はじめに ―恥づべし傷むべし― | 内藤知康 |
| 胸中成竹 | 糸井通浩 | |||
| どうして人を殺してはいけないのですか | 淺田正博 | |||
| 日常語 もとをたどれば 仏教語 | 辻本敬順 | |||
| 内省へのうながし ―「建学の精神」第三条― | 松尾宣昭 | |||
| 117 | 2008 | 龍大の香り | はじめに ―やわらかな心― | 内藤知康 |
| 今、ここに、いのちいただき | 北畠晃融 | |||
| 仏教を聞くことの意味 | 深川宣暢 | |||
| 龍大の香り ―顕真館で聞いたチョットいい話― | 小川信正 | |||
| 自灯明、法灯明 | 松尾宣昭 | |||
| 116 | 2007 | 仏法聞き難し | はじめに ―仏典の受け止め方― | 淺田正博 |
| 豊かに生きる | 北畠典生 | |||
| いのちのバトンタッチ | 青木新門 | |||
| 親鸞聖人の歩まれた道 | 林 智康 | |||
| いのちの天秤 | 能仁正顕 | |||
| 115 | 2007 | 仏法無価 | はじめに ―世間的理解と仏教的理解― | 淺田正博 |
| 夢を持つ人を青年と言う | 朝枝善照 | |||
| 死も亦我等なり | 松溪憲雄 | |||
| 仏教童話とわたし ―仏陀の精神を今に伝える― | 野呂 昶 | |||
| 修験道ルネッサンスと私 ―野に伏し山に伏す修験道の世界― | 田中利典 | |||
| 114 | 2007 | 真実に遇う | はじめに ―視点を変えてみよう― | 淺田正博 |
| 情報化時代の事実と真実 | 回陽博史 | |||
| 親鸞聖人の救済観 | 梯 實圓 | |||
| 世間虚仮 唯佛是真 | 中垣昌美 | |||
| ブッシュ大統領の苦悩 ―再生医療をめぐって― | 生駒孝彰 | |||
| 出遇いと目覚め | 三谷真澄 | |||
| 本物に出あう | 相馬一意 | |||
| 人間という不思議なもの | 太田信隆 | |||
| 113 | 2007 | ひかりといのち | はじめに ―仏法の正しい理解を― | 淺田正博 |
| いのちを大切に | 村永行善 | |||
| それぞれのいのち、それぞれの光 | 外松太恵子 | |||
| 人となること ―意味への気づき― | 宗 孝文 | |||
| 自分との出会い | 殿内 恒 | |||
| いのち・不老長寿考 | 碓井静照 | |||
| 浄土 | 普賢保之 | |||
| 112 | 2006 | 真実の力 | はじめに ―花の心を知る― | 淺田正博 |
| 物語の力 | 若原雄昭 | |||
| 真仮を知らず迷失す | 家郷隆文 | |||
| なぜ年老い、そして死んでいかなければならないのか | 松尾宣昭 | |||
| 暴力の支配を許さない | 坂井定雄 | |||
| 力の及ばざるところ | 回陽博史 | |||
| 111 | 2006 | 生かされて、生きる | はじめに ―旅と人生― | 淺田正博 |
| 宗教は何色? どんな形? | 高田信良 | |||
| 生きるということ | 大田利生 | |||
| “老い”を考える | 川添泰信 | |||
| 観音信仰発祥の聖山 南インド・タミル州にあるポディイル山について | 彦坂 周 | |||
| 生かされる“いのち”を見つめて | 淺田正博 | |||
| 110 | 2006 | 聞思のこころ | はじめに ―菩薩道に生きる― | 大田利生 |
| カウンセリングと宗教 | 友久久雄 | |||
| 抜苦与楽 | 大柳満之 | |||
| 教えに生きる | 涌水邦英 | |||
| 聞思のこころ | 浅井成海 | |||
| マックス・ミュラーに師事した明治の学徒たち | 長崎法潤 | |||
| 109 | 2005 | 連続無窮の精神 | はじめに ―自己を問う― | 大田利生 |
| 学びからの学び | 上杉孝實 | |||
| 親鸞聖人に学ぶ | 小田義久 | |||
| 物語の功徳 ―想像力・癒し・共生― | 北野昭彦 | |||
| 仏教は自殺、安楽死をどう見るか | 小池清廉 | |||
| 自分が見えますか | 山田明爾 | |||
| 娘に伝えた母の想い ―「恵信尼消息」から― | 寺川幽芳 | |||
| 「連続無窮」の精神 | 長谷川岳史 | |||
| 108特 | 2005 | 顕真館建立20周年記念真実を求めて | 式辞 ―顕真館建立20周年記念式典― | 神子上惠群 |
| お言葉 ―顕真館建立20周年記念式典― | 大谷光真 | |||
| 顕真館二十年の回顧と展望 | 千葉乘隆 | |||
| 月を見る 月も見ている | 浅井成海 | |||
| 今世紀の危機を救う親鸞の国土観 | 松田正典 | |||
| これからの浄土真宗 | 石田慶和 | |||
| いま、仏教徒は何ができるか ―顕真館20周年記念シンポジウム― | 阿満利麿 | |||
| いま、仏教徒は何ができるか ―顕真館20周年記念シンポジウム― | 上田紀行 | |||
| いま、仏教徒は何ができるか ―顕真館20周年記念シンポジウム― | 故選一法 | |||
| いま、仏教徒は何ができるか ―顕真館20周年記念シンポジウム― | 高遠菜穂子 | |||
| いま、仏教徒は何ができるか ―顕真館20周年記念シンポジウム― | 宮崎幸枝 | |||
| あとがき | 大田利生 | |||
| 107特 | 2005 | 顕真館建立20周年記念顕真館の跫音 | 巻頭言 | 神子上惠群 |
| 『歎異抄』の世界 | 伊東慧明 | |||
| 放光顕真館 | 朝枝善照 | |||
| 龍大精神の開顕と降誕会 | 佐藤哲英 | |||
| どう生きるか―龍谷大学と私― | 松林慧雲 | |||
| 仏教の本義 | 山崎慶輝 | |||
| 憶昔の心―報恩講に思うこと― | 武邑尚邦 | |||
| 如来の願い | 大谷光真 | |||
| 現代における宗教家の役割 | 加藤智見 | |||
| 編輯後記 | 大田利生 | |||
| 106 | 2004 | 共生きのこころ | はじめに ―闇と光― | 大田利生 |
| 共生きのこころ | 大柳満之 | |||
| 西洋と東洋の生命観について | 山田行雄 | |||
| 心の眼をひらく | 中山正晃 | |||
| 手を合わす心、お念仏 | 高田信良 | |||
| 105 | 2004 | 人びとのあいだ | はじめに ―よき友を求めて― | 大田利生 |
| 人材と人間 | 真城義麿 | |||
| 魔性の文明 | 入澤 崇 | |||
| 世の中安穏なれ、仏法ひろまれ | 林 智康 | |||
| 失われたことば | 戸上宗賢 | |||
| 自己を省みる | 龍口明生 | |||
| 104特 | 2004 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに ―成人式を迎えて― | 龍口明生 |
| 生命の科学は幸福をもたらすだろうか | 板坂 修 | |||
| 親鸞聖人「六角堂の夢告」について ―平安・鎌倉時代の社会から考える― | 今井雅晴 | |||
| 大谷光瑞師と西域探検隊について | 小田義久 | |||
| 明如上人と龍谷大学 | 千葉乘隆 | |||
| 仏教と話芸 ―落語的人生学 噺家の大往生― | 関山和夫 | |||
| 今生かされて生きる歓び | 河内美舟 | |||
| 103 | 2003 | かなしみのすがた | はじめに ―仏恩の深遠なるを信知して― | 龍口明生 |
| 慈悲と他力の信心 | 神子上惠群 | |||
| 本願を聞く | 内藤知康 | |||
| 悲しみのすがた | 楠 淳證 | |||
| "生きる"ということと"生かされる"ということ | 淺田正博 | |||
| 環境ソリューション工学科の目指すもの | 竺 文彦 | |||
| 102 | 2003 | 幸せを求めて | はじめに ―降誕会によせて― | 龍口明生 |
| 大慈悲をば成就せり | 浅井成海 | |||
| 前に生れんものは後を導き、後に生まれんものは前を訪へ | 林 智康 | |||
| 生きることと死ぬこと | 岡 亮二 | |||
| 科学的に見る死後の世界 | 回陽博史 | |||
| 幸せを求めて | 生駒孝彰 | |||
| 101 | 2003 | 流れつゝ澄む | はじめに ―龍谷大学での学び― | 龍口明生 |
| 菩薩のこころ、凡夫のこころ | 大田利生 | |||
| 流れつゝ澄む | 朝枝善照 | |||
| 川は海に向かって | 寺川幽芳 | |||
| 世のいのりにこころにいれて | 嵩 満也 | |||
| 病む人 | 谷本光男 | |||
| 自ら倒れた大仏 | 川添泰信 | |||
| 100特 | 2003 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに | 龍口明生 |
| 仏教の新しい潮風 ―エンゲージド・ブッディズム― | 阿満利麿 | |||
| 親鸞聖人と夢 | 寺川幽芳 | |||
| 自分の花を ―父、相田みつをの書と言葉― | 相田一人 | |||
| 九條武子さんの慈愛と信仰 | 籠谷眞智子 | |||
| 99特 | 2002 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに ―「報恩講」によせて― | 龍口明生 |
| 私の故郷チベット | バイマーヤンジン | |||
| 蓮如役者の"歎異抄" ―語りと朗読― | 嵐 圭史 | |||
| 生きる道しるべ | 森重一成 | |||
| いのちを考える ―医療・宗教・福祉のはざまで― | 篁 俊男 | |||
| 98 | 2002 | 愚にかえる | はじめに ―親鸞聖人と書物― | 龍口明生 |
| 親鸞聖人晩年の著作活動 | 相馬一意 | |||
| 君たちは自分が自分で信じられるか | 高 史明 | |||
| み仏の微笑 | 鍋島直樹 | |||
| 親鸞聖人に学ぶ ―愚にかえる― | 瓜生津隆真 | |||
| 97 | 2002 | 出遇いの人生 | はじめに ―み教えの鏡に照らされる― | 浅井成海 |
| 言葉、真実、そして人生 | 大石正晴 | |||
| 現代文明の影を透して問う ―求め生きる真実とは― | 田北亮介 | |||
| 名僧たちの視座 | 藤丸 要 | |||
| 人生は旅、人生は出遇い | 新井俊一 | |||
| 第26回龍谷大学懸賞論文 「しあわせ」について ―建学の精神をふまえて― | 張 英 | |||
| 第26回龍谷大学懸賞論文 「世界情勢の中の宗教」 | 高尾賢一郎 | |||
| 96 | 2002 | 何のために生きるのか | はじめに ―成人式を迎えるみなさんへ― | 浅井成海 |
| 恩師を偲ぶ | 内藤知康 | |||
| 精神と身体の障害のはざまを生きて | 高橋哲郎 | |||
| 知恩報徳と常行大悲 | 林 知康 | |||
| 私の非僧非俗 ―ある龍谷大学卒業生のモノローグ― | 得能聖学 | |||
| 名ばかりの僧 | 岡 亮二 | |||
| 何のために生きるのか | 大峰 顕 | |||
| 95 | 2001 | 人間の素顔 | はじめに ―報恩のこころ― | 浅井成海 |
| 拝むとは | 濱島義博 | |||
| 人間の素顔 | 普賢晃壽 | |||
| 法に出会い、師に出会って | 佐々木恵精 | |||
| 物事は考えようで変わる | 井上清実 | |||
| 悲智を円満せよ | 田中教照 | |||
| 94 | 2001 | 仏教と国際関係 | はじめに ―あらゆる命に支えられて― | 浅井成海 |
| チベット・ブータンの日常生活と仏教 | 今枝由郎 | |||
| 染光人 | 口羽益生 | |||
| アメリカ仏教 ―なぜ今伸びているのか― | ケネス・田中 | |||
| 希薄化、ミレニアムそして宗教 | 古賀和則 | |||
| チベットにて | 芳村博実 | |||
| アメリカ浄土真宗の一風景 ―見たまま、聞いたまま、感じたまま― | 川添泰信 | |||
| 仏教と植物 | 坂本寧男 | |||
| 93特 | 2001 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに ―優しさと謙虚さ― | 浅井成海 |
| 浄土信仰と仏性 | 高崎直道 | |||
| 歎異抄と私、そして中国の今 | 毛 丹青 | |||
| 無知と差別 ―水俣が映す世界― | 原田正純 | |||
| 東洋の天女 | 君島久子 | |||
| 21世紀のまなざし ―金子みすゞこころの宇宙― | 矢崎節夫 | |||
| 第25回龍谷大学懸賞論文 「二十一世紀の生き方と親鸞」 | 熊元真衣子 | |||
| 第25回龍谷大学懸賞論文 「宗教への問い ―もっと開かれた仏教をめざせないか―」 | 中村秩祥子 | |||
| 92 | 2001 | 祈りと願い | はじめに ―自己を問う― | 浅井成海 |
| 祈りと願い ―イエスの勧め、釈尊の勧め― | 高田信良 | |||
| 他力とは如来の本願力なり | 浅井成海 | |||
| 大学で学ぶ意義 | 岡地勝二 | |||
| 摂取不捨 | 千葉乘隆 | |||
| 自然の風光 | 徳永道雄 | |||
| 91 | 2000 | いのちを看取る | はじめに ―慈悲とは― | 山田行雄 |
| いのちを看取る | 龍溪章雄 | |||
| 人と成るということ | 木村清孝 | |||
| 日本的経営について考える | 林 昭 | |||
| 香りを聞き、光に遇う | 大田利生 | |||
| 「出会い」ということ | 井ノ口泰淳 | |||
| ことばのすくい | 野村伸夫 | |||
| 90 | 2000 | 仏教が運んだ技術と文化 | はじめに ―バックミラーを持つ人生― | 山田行雄 |
| 人間模様 | 山田徹念 | |||
| 仏教が運んだ技術と文化 | 江南和幸 | |||
| 出家の動機について | 小田義久 | |||
| 念仏に遊ぶ | 岡 亮二 | |||
| 地球の死をみつめて | ルビン・アビト | |||
| 第24回龍谷大学懸賞論文 「私の親鸞」 | 森下知美 | |||
| 89 | 2000 | わが心を育てる | はじめに | 山田行雄 |
| わが心を育てる | 信楽峻麿 | |||
| 一切衆生悉有仏性 | 淺田正博 | |||
| 龍谷大学に学んで | 松林宗恵 | |||
| 88特 | 2000 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに ―バックミラーを持つ人生― | 山田行雄 |
| ラフカディオ・ハーンと仏教 | 前田惠學 | |||
| 真の仏弟子と現代 | 五十嵐明宝 | |||
| 名号の真理 | 大峯 顕 | |||
| 人生の課題 | 石塚朋子 | |||
| 87 | 1999 | 失念の人生 | はじめに ―報恩講に遇う― | 山田行雄 |
| 小林一先生を偲んで | 若原道昭 | |||
| 流沙はるかに ―大谷光瑞師の五十回忌に思う― | 百濟康義 | |||
| 「失念」の人生 | 楠 淳證 | |||
| 86特 | 1999 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに ―いのちのたすき― | 山田行雄 |
| 凡夫デモクラシー | 阿満利麿 | |||
| 求道のいとぐち | 坂東性純 | |||
| わがふるさと浄土 | ひろさちや | |||
| 良寛の真実 ―『法華讃』の世界― | 竹村牧男 | |||
| 舎衛城、祇園精舎の発掘 | 網干善教 | |||
| 85 | 1999 | そらごとたわごと | はじめに ―私は何かを問う― | 浅井成海 |
| 自己の世界 | トーマス・ライト | |||
| 真実の尺度 | 内藤知康 | |||
| そらごとたわごと | 霊山勝海 | |||
| 衆水、海に入りて一味なる ―生と死のパラダイム・シフト― | 武田龍精 | |||
| 第23回 龍谷大学懸賞論文 「親鸞聖人の求道精神に学ぶ」 | 中村秩祥子 | |||
| 84 | 1999 | ゼロで生きるよろこび | はじめに ―人と成る― | 浅井成海 |
| 何もしないことに全力を尽くす | 佐々木久子 | |||
| ばらばらでいっしょ ―いのちとつながり― | 嵩 満也 | |||
| 医と私と親鸞 | 駒沢 勝 | |||
| 83 | 1998 | 現代に生きる | はじめに ―報恩のこころ― | 浅井成海 |
| 聖徳太子と親鸞聖人 | 林 智康 | |||
| 平等思想と企業法 | 武久征治 | |||
| 現代社会と新宗教 | 生駒孝彰 | |||
| 82 | 1998 | 生命よりも大切なもの | はじめに ―自己を見つめる― | 浅井成海 |
| 日本的精神の変化と信仰心 | 竺 文彦 | |||
| 錯覚の中で | 大田利生 | |||
| 生命よりも大切なもの | 神子上惠群 | |||
| 81 | 1998 | 理解あるふれあい | はじめに ―有ること難し― | 浅井成海 |
| 理解あるふれあい | 中垣昌美 | |||
| 宗教的真実と科学的真実 | 奈良康明 | |||
| 親鸞聖人の結婚 | 寺川幽芳 | |||
| 第22回懸賞論文特選作 「二十一世紀と宗教」 | 奥田美紀 | |||
| 80特 | 1998 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに ―原点をたづねて― | 浅井成海 |
| 平等の慈悲 ―脳死・臓器移植をめぐって― | 小川一乗 | |||
| 信じることの本当の意味 | 加藤智見 | |||
| カルト宗教と若者たち ―現代の宗教状況を考える― | 浅見定雄 | |||
| 真宗とデス・エデュケーション | 田代俊孝 | |||
| 宗教と科学 | 村上陽一郎 | |||
| 79 | 1997 | 社会と宗教 | はじめに ―平和を願う心― | 浅井成海 |
| 「ヒト」と「ココロ」に回帰する現代経営学 | 片岡信之 | |||
| 寛容について | 谷本光男 | |||
| 善人は罪人である | 田中教照 | |||
| 私とは何か? | 山口昌哉 | |||
| 78特 | 1997 | 真実を学ぶ龍谷大学本館改修竣工記念号 | はじめに(―頭を下げる―) | 浅井成海 |
| 仏像に魅せられて | 淺田正博 | |||
| 生活における仏教 ―親鸞聖人の生き方に学ぶ― | 坂東性純 | |||
| 仏教の神秘性と真実性 | 稲垣久雄 | |||
| ひかりといのち ―納棺夫日記を著して― | 青木新門 | |||
| 現代社会と脳 | 養老孟司 | |||
| 生まれることの喜び ―降誕会に思う― | 井上信一 | |||
| 聖人を偲んで ―人間抽象化への批判― | 武邑尚邦 | |||
| 77特 | 1997 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに | 上山大峻 |
| 大いなる慈しみと悲しみ | 石上善應 | |||
| 死の体験 ―現実と希望― | カール・ベッカー | |||
| 仏教と他教 | 前田惠學 | |||
| 第21回懸賞論文特選作 「NGOにみる現代社会と宗教の在り方」 | 原尻淳一 | |||
| 76 | 1997 | やわらかな心 | はじめに | 上山大峻 |
| 山頭火のこころ ―水の音― | 朝枝善照 | |||
| 花さまざまに | 寺川幽芳 | |||
| 親鸞聖人と蓮如聖人 | 池田勇諦 | |||
| 生きることの意味 | 石田慶和 | |||
| やわらかな心 | 浅井成海 | |||
| 75 | 1996 | 建学の精神と私たち | はじめに | 上山大峻 |
| 金属疲労とアラヤシキ | 中村 宏 | |||
| 建学の精神と私たち | 岡 亮二 | |||
| 日本文学と仏教 | 秋元守英 | |||
| 74 | 1996 | 真実を求める心 | はじめに | 上山大峻 |
| 親鸞聖人の生命観 | 梯 實圓 | |||
| 今、ヨーロッパで何が起こっているのか | 西堀文隆 | |||
| 自然との共生 | 竺 文彦 | |||
| 「企業社会」と人権、そして・・・・・・ | 萬井隆令 | |||
| 73 | 1996 | いのちへの問いかけ | はじめに | 上山大峻 |
| 現代における宗教家の役割 | 加藤智見 | |||
| 美しい人生 | 早島鏡正 | |||
| いのち | 水谷幸正 | |||
| 第20回懸賞論文入選作 「国際化社会と宗教」 | 伊藤 諭 | |||
| 第20回懸賞論文入選作 「親鸞に学ぶ ―仏教伝道のあり方と可能性」 | 田中美知子 | |||
| 72 | 1996 | 静寂の生 | はじめに | 上山大俊 |
| 悲願 | 楠 淳證 | |||
| 願力無窮にましませば | 浅井成海 | |||
| 21世紀と親鸞聖人 | 中西智海 | |||
| 仏教東漸攷 | 小田義久 | |||
| 静寂の生 | 寺川俊昭 | |||
| 71 | 1995 | 出遇いとつながり | はじめに | 上山大俊 |
| 新時代の医療と仏教 | 奈倉道隆 | |||
| みんなどこかでネットワーク | 鍋島直樹 | |||
| いま宗教について思うこと ―仏教は年寄りくさいか― | 松溪憲雄 | |||
| 現代社会とこころの時代 | 中川法城 | |||
| 逆説の宗教 | 川﨑惠璋 | |||
| 教育の場から学んだこと | 三宮義信 | |||
| 出遇いをよろこぶ | 海谷則之 | |||
| 70 | 1995 | 時は過ぎゆく | はじめに | 上山大俊 |
| 釈迦の仏教と親鸞の仏教 | 西光義敞 | |||
| 時は過ぎゆく | 遊亀教授 | |||
| よき人に遇う | 市川良哉 | |||
| 人間にとって仏教とは何か | 二葉憲香 | |||
| 69 | 1995 | 教えに導かれて | はじめに | 岡 亮二 |
| 偶然と必然 | 山口昌哉 | |||
| 愛とめざめ ―ある青春の物語― | 小玉大圓 | |||
| 幸せへの価値観 | 法雲俊邑 | |||
| 「仏典童話」の世界 ―花岡大学先生の思い出― | 朝枝善照 | |||
| 第19回懸賞論文入選作「親鸞に何を学ぶか」 | 遠藤 彰 | |||
| 第19回懸賞論文入選作「現代社会と宗教―現代人の生命観と仏教のいのち観―」 | 柄崎佳之 | |||
| 68特 | 1995 | 顕真館創立十周年記念講演集「親鸞思想と現代」 | はじめに | 岡 亮二 |
| 黒闇のどん底に立つ | 高 史明 | |||
| 親鸞の人間像 | 山折哲雄 | |||
| 科学時代を親鸞と歩む | 児玉浩憲 | |||
| 如来の願い | 大谷光真 | |||
| 宗教と私 | 津本 陽 | |||
| 現代社会と親鸞の思想 | 信楽峻麿 | |||
| 歎異鈔と私 | 真継信彦 | |||
| 67 | 1995 | 知識から智慧へ | はじめに | 岡 亮二 |
| まことのこころ ―不断煩悩得涅槃― | 武田龍精 | |||
| 憶昔の心 ―報恩講に思うこと― | 武邑尚邦 | |||
| 転換期に立つ科学と仏道 | 奈倉道隆 | |||
| 仏意測りがたし | 内藤知康 | |||
| 人間の実相 | 普賢晃壽 | |||
| 66特 | 1994 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに | 岡 亮二 |
| 仏教と芸能 ―壬生狂言を中心として― | 松浦俊海 | |||
| 本願の世界 | 徳永道雄 | |||
| 比叡山仏教の特色 | 小松隆彰 | |||
| 私一人のための教え ―祖聖の信心を聞く― | 霊山勝海 | |||
| 縁を求める | 夛川俊映 | |||
| 65 | 1994 | 見えないものの大切さ | はじめに | 岡 亮二 |
| 見えるものと見えないもの | 福原亮嚴 | |||
| 親鸞聖人の思想 | 高田信良 | |||
| ものとこころ | 山田徹念 | |||
| 暮らしの中の仏教語 | 辻本敬順 | |||
| 64 | 1994 | 遇ひがたくして、今 | はじめに | 岡 亮二 |
| 根をもつこと | 龍溪章雄 | |||
| 「遇う」ということ | 石田慶和 | |||
| 死と沈黙と永遠 | 鍋島直樹 | |||
| 社会の質と宗教の質 | 高石史人 | |||
| 第18回懸賞論文入選作 「科学と宗教」 | 二宮裕史 | |||
| 63 | 1994 | 時空の流れの中で | はじめに | 岡 亮二 |
| 福祉の心 | 中垣昌美 | |||
| 仏像の微笑 | 寺川幽芳 | |||
| 21世紀における新しい人間像 | 小田義彦 | |||
| 時空の流れの中で | 池田重良 | |||
| 62特 | 1993 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに | 岡 亮二 |
| 私の“華厳”体験 | 鍵主良敬 | |||
| 二十一世紀への浄土真宗の伝道の諸問題 | 井上博厚 | |||
| 仏の願い | 福原隆善 | |||
| 縁をいかす | 安田暎胤 | |||
| 60 | 1993 | 今、求められるもの | はじめに | 渡邊隆生 |
| 見る世界・聞く世界 | 大田利生 | |||
| 大悲の流れ | 神子上惠群 | |||
| 菅見「宗教と医療」 | 品川信良 | |||
| 第17回懸賞論文入選作 「親鸞に何を学ぶか」 | 葛野洋明 | |||
| 第17回懸賞論文入選作 「宗教と現在」 | 北村将彰 | |||
| 第17回懸賞論文入選作 「生命と環境」 | 砂田陽子 | |||
| 59 | 1993 | 道 ここにあり | はじめに | 渡邊隆生 |
| 最近思うこと | 芳村博実 | |||
| 亡き人々に導かれて | 淺田正博 | |||
| 生命の尊さ | 浅野教信 | |||
| 道ここにあり | 中西智海 | |||
| 58特 | 1992 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに | 渡邊隆生 |
| 生命倫理と現代 | 中川米造 | |||
| 名号の所与性と除疑性 | 豊島学由 | |||
| いのい尊し | 久堀弘義 | |||
| 真実を見る | 古田和弘 | |||
| ガリレオの宗教観 | 豊田利幸 | |||
| 57 | 1992 | いのちの海 | はじめに | 渡邊隆生 |
| 環境問題と少欲知足の心 | 中川法城 | |||
| 生活指針としての宗教を | 法雲俊邑 | |||
| 海を近くに | 篁 幸子 | |||
| 心不?倒 | 千葉乘隆 | |||
| 56 | 1992 | 照らし合う世界 | はじめに | 渡邊隆生 |
| 真宗と近代的思考 | 朝倉惠俊 | |||
| 海のうちとのへだてなく | 高田信良 | |||
| 数学と人生 | 山口昌哉 | |||
| 中国の高僧たち | 小田義久 | |||
| 第16回懸賞論文優秀作 「生命倫理における脳死問題」 | 小川泰子 | |||
| 55 | 1992 | 智慧の眼 | はじめに | 渡邊隆生 |
| 教育と人間 | 若原道昭 | |||
| 迷いの生活 | 楠 淳證 | |||
| 今を生きる | 海谷則之 | |||
| 声なき声をきく | 遊亀教授 | |||
| 54特 | 1991 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに | 渡邊隆生 |
| いのちを考える -放送の現場からー | 中川真昭 | |||
| テレビドラマ -その心ー | 大原 誠 | |||
| 人生の意義 | 花山勝友 | |||
| 何故「浄土真宗」なのか | 清胤徹昭 | |||
| 宗教の力 | 阿満利麿 | |||
| 53 | 1991 | 迷いを超える世界 | はじめに | 渡邊隆生 |
| 天にも地にも我ひとり尊し | 西光義敞 | |||
| こころと身体のマッサージ ―インドを旅する― | 小玉大圓 | |||
| 顕真と自然科学 | 大柳満之 | |||
| 地獄におちたりとも | 神子上惠群 | |||
| 降誕会と建学の精神 | 武内紹晃 | |||
| 52 | 1991 | 時代をよむ | はじめに | 普賢晃壽 |
| 技術の進歩と生活 | 竺 文彦 | |||
| 法灯の基盤 | 口羽益生 | |||
| かなしきかなや道俗 | 武田龍精 | |||
| 第15回懸賞論文優秀作品 情報化社会における宗教の意義 | 楠 昭英 | |||
| 51 | 1991 | 自然の世界 | はじめに | 普賢晃壽 |
| なぜ今浄土か | 岡 亮二 | |||
| 自然に生きる | 回陽博史 | |||
| 遊びについて | 源 重浩 | |||
| 若者たち・・・・・・へ | 佐藤 勝 | |||
| 50特 | 1990 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに | 普賢晃壽 |
| 動静非己 -生かされて生きるー | 高橋隆信 | |||
| 華厳の世紀 -七、八世紀東アジアの仏教交流ー | 鎌田茂雄 | |||
| 大乗菩薩道と浄土思想 | 瓜生津隆真 | |||
| 本願にあひたてまつりてこそ げにほこられさふらへ -近代主義の超克ー | 松尾博仁 | |||
| 宗教で行きよう | 山田恵諦 | |||
| 49 | 1990 | 足許を見つめる眼 | はじめに | 普賢晃壽 |
| 無畏施ということ | 百濟康義 | |||
| おほそらごとのかたちなり | 浅井成海 | |||
| 青春は朝の六時 | 朝枝善照 | |||
| 自己を見つめて | 普賢晃壽 | |||
| 48 | 1990 | 大いなる願い | はじめに | 普賢晃壽 |
| 〈豊かさの中の貧しさ〉ということ | 高石史人 | |||
| ジュリアス・シーザーについて | 由本 新 | |||
| 愚身の信心 | 雲藤義道 | |||
| 聖人の足跡 | 利井興弘 | |||
| 第14回懸賞論文特集 優秀作 親鸞聖人と私 | 三浦嘉郎 | |||
| 第14回懸賞論文特集 優秀作 私における生と死 | 佐々木里佳 | |||
| 47 | 1990 | 情報社会と仏教 | はじめに | 普賢晃壽 |
| コミュニケーションの話 | 回陽博史 | |||
| 他力の目覚めと現代病の克服 | 奈倉道隆 | |||
| 仏教の本義 | 山崎慶輝 | |||
| 人と成るふしぎ | 岡部伊都子 | |||
| 46特 | 1989 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに | 普賢晃壽 |
| 世相のなかに見る真実 | 太田信隆 | |||
| 遇いがたくして遇う | 寺澤 忍 | |||
| 人間と言葉 | 大峯 顯 | |||
| 親鸞聖人の仏道観 | 早島鏡正 | |||
| 45 | 1989 | 真実の言葉 | はじめに | 普賢晃壽 |
| 宗教詩人の心 | 梯 實圓 | |||
| 無題という題 -仏教の核心との関連でー | 光川豊藝 | |||
| 沈黙と言葉と行為 -想いと振る舞いの間でー | 加藤西郷 | |||
| 三昧 | 山田徹念 | |||
| 44特 | 1989 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに | 北畠典生 |
| 『教行信証』化身土巻に聞く | 久堀弘義 | |||
| 人生と経営 | 越後正一 | |||
| 浄土は恋しからす候 | 浅野文彰 | |||
| 人生一路 | 三宮義信 | |||
| 43 | 1989 | 「かぎりなきいのち」 | はじめに | 北畠典生 |
| たとえいのちはみじかくても | 滝本誠海 | |||
| 慈悲と智慧 | 神子上惠生 | |||
| 親鸞聖人の東国伝道 | 福間光超 | |||
| 第13回懸賞論文特集 懸賞論文審査報告 | 北畠典生 | |||
| 第13回懸賞論文特集 入選 「親鸞聖人と私」 | 村上貴道 | |||
| 42 | 1988 | 人生の眼 | はしがき | 北畠典生 |
| どう生きるか -龍谷大学と私ー | 松林宗恵 | |||
| 第三の眼 | 山田明爾 | |||
| 退亦佳矣 ー心と物の調和を求めてー | 阿部大佳 | |||
| 念仏者は無碍の一道なり | 林 智康 | |||
| 41 | 1988 | 人間の真実 | はじめに | 浅野教信 |
| 信仰と信心 -特に他力の信心の性格を中心としてー | 稲城選惠 | |||
| 人間らしく | 岩田アサオ | |||
| 十方と西方 | 小田義久 | |||
| 当然と見なす有難さ | 龍口明生 | |||
| 40特 | 1988 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに | 浅野教信 |
| めざめへの機縁 | 藤井敏哉 | |||
| 念仏の領域 | 深川倫雄 | |||
| 仏かねてしろしめして | 清胤徹昭 | |||
| 医者と坊さん | 早川一光 | |||
| いのちを考える | 藤澤量正 | |||
| 39 | 1988 | まことにであう | はじめに | 浅野教信 |
| 無情と無常 | 中垣昌美 | |||
| 本願まことにおはしまさば | 神子上惠群 | |||
| 値遇に賜わる人生 | 龍溪章雄 | |||
| 第12回懸賞論文特集 懸賞論文審査報告 | 浅野教信 | |||
| 第12回懸賞論文特集 入選 「「古都税問題を考える」を読んで」 | 福間真也 | |||
| 第12回懸賞論文特集 入選 「「女と男の関係」を読んで」 | 古賀克彦 | |||
| 38 | 1987 | 信の伝承とその意味 | はじめに | 浅野教信 |
| 親鸞聖人の太子鑽仰 | 山崎慶輝 | |||
| 冥見 | 佐藤三千雄 | |||
| 仏法東漸について | 戸上宗賢 | |||
| 歴史のなかの普遍なる精神 | 赤松徹真 | |||
| 37 | 1987 | 迷いと救い | はじめに | 浅野教信 |
| 降誕会に思う | 武邑尚邦 | |||
| ダンマバダとの出会い | 高島學司 | |||
| 迷いの中に生きる | 中川法城 | |||
| 女と男の関係 | 中村尚司 | |||
| 36 | 1987 | 教えと願い | はじめに | 浅野教信 |
| 名白極楽 | 武内紹晃 | |||
| 龍谷大学に望む | 太田信隆 | |||
| 古都税問題を考える | 長尾憲彰 | |||
| 宗教部ガイド | 浅野教信 | |||
| 35 | 1987 | 宝の山に入って | はじめに | 浅野教信 |
| 宝の山に入って | 村上速水 | |||
| 青色青光 | 嬰木義彦 | |||
| いのちとの出会い | 海谷則之 | |||
| 第11回懸賞論文特集 懸賞論文審査報告 | 浅野教信 | |||
| 第11回懸賞論文特集 特選 「「ほんとのしあわせ」を読んで」 | 福間真也 | |||
| 第11回懸賞論文特集 入選 「「現代の生と死」を読んで」 | 古賀克彦 | |||
| 第11回懸賞論文特集 入選 「「現代の生と死」を読んで ―安楽死と死生学―」 | 田村敏紀 | |||
| 34 | 1986 | 流れをよむ | はじめに | 浅野教信 |
| 切捨ての時代に想う | 佐々木久子 | |||
| うなずく世界 | 平田厚志 | |||
| 流れの中で | 百濟康義 | |||
| “神秘大好き時代”を考える | 横山真佳 | |||
| 33 | 1986 | 現代の生と死 | はじめに | 浅野教信 |
| 現代の生と死 ―臨床仏教学の提言― | 西来武治 | |||
| 親鸞聖人と海 | 普賢晃壽 | |||
| 今遇うことを得たり | 渡辺隆生 | |||
| 32 | 1986 | 真実を見る | はじめに | 浅野教信 |
| 真実を見、真実に生きた親鸞 | 福原亮厳 | |||
| ほんとのしあわせ -キリスト教から浄土真宗へー | 河村とし子 | |||
| 31特 | 1986 | 顕真館公開講演会講演集 | はじめに | 浅野教信 |
| 生命科学と宗教 | 竺 文彦 | |||
| 極限へのチャレンジ ー南極越冬生活の経験からー | 蜂須賀弘久 | |||
| 人それぞれに花あり -21世紀に向けて仏教は何ができるかー | 無着成恭 | |||
| 師にゆく人々に学ぶ | 蓮寺諦成 | |||
| 念仏勝負 | 寺内大吉 | |||
| 31 | 1986 | わが心の底なる心 | はじめに | 浅野教信 |
| わが心の底なる心 | 信楽峻麿 | |||
| 愚の自覚 | 北畠典生 | |||
| 念仏者の人生 | 吉村實練 | |||
| 第10回懸賞論文特集 懸賞論文審査報告 | 浅野教信 | |||
| 第10回懸賞論文特集 入選 「「いのち」を読んで」 | 村上孝弘 | |||
| 第10回懸賞論文特集 入選 「「若者と宗教」を読んで」 | 古賀克彦 | |||
| 30 | 1985 | めざめ | はじめに | 浅野教信 |
| めざめ | 祖父江省念 | |||
| 阿弥陀経 | 浅野教信 | |||
| シルクロードの彼方にあるもの | 源 重浩 | |||
| 29 | 1985 | あることかたき | はじめに | 浅野教信 |
| あることかたき | 大谷嬉子 | |||
| 仏教と精神医学 | 岸本鎌一 | |||
| 騰々任運 | 井ノ口泰淳 | |||
| 遠く宿縁を慶べ | 浅野教信 | |||
| 28 | 1985 | 顕真館竣工記念講演集 | 序言 | 千葉乗隆 |
| 二十一世紀と仏教 | 大谷光照 | |||
| 龍大精神の開顕と降誕会 | 佐藤哲英 | |||
| 水平社創立の頃 | 米田 富 | |||
| 現代と親鸞聖人 | 井上信一 | |||
| 仏教をどう学ぶか | ひろさちや | |||
| あとがき | 浅野教信 | |||
| 27 | 1985 | 宗教の意味 | はじめに | 浅野教信 |
| 人生の眼と足 | 山本仏骨 | |||
| 意味の問題 | 口羽益生 | |||
| 宗教のめざめ | 杉本一義 | |||
| 仏典の譬喩におもう | 大田利生 | |||
| RYUKOKU RELIGIOUS GUIDE | 宗教部 | |||
| はじめに | 浅野教信 | |||
| 1.顕真館(深草学舎)と本館講堂(大宮学舎) | ||||
| 2.宗教部ガイド | ||||
| 3.参拝のこころえ | ||||
| 4.龍大チャイム、法輪、仏旗について | ||||
| 26 | 1985 | 花それぞれ | はじめに | 浅野教信 |
| 花 それぞれ | 上山大峻 | |||
| 若者と宗教 | 藤田徹文 | |||
| 第9回懸賞論文 審査報告 | 浅野教信 | |||
| 第9回懸賞論文 「私と親鸞聖人との出会い」 | 藤原知哉 | |||
| 第9回懸賞論文 「私の人生観」 | 三浦圭子 | |||
| 25 | 1984 | 親鸞の宿業観 | はじめに | 浅野教信 |
| 放光顕真館 | 朝枝善照 | |||
| 親鸞の宿業観 | 岡 亮二 | |||
| 罪をけしうしなわず善になす | 浅井成海 | |||
| 宗教に学ぶ | 高田信良 | |||
| 24 | 1984 | 人生作法 | はじめに | 浅野教信 |
| 人生作法 | 浅野教信 | |||
| 心すでにつねに浄土に居る | 武田龍精 | |||
| 親鸞入門 | 村上速水 | |||
| 23 | 1984 | 生命の不思議について | はじめに | 浅野教信 |
| 生命の不思議について | 平澤 興 | |||
| 自力から他力の道へ | 淺田正博 | |||
| 法然上人と親鸞聖人 | 福間光超 | |||
| これだけはしっておきたい | 宗教部 | |||
| 22 | 1984 | 自然 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 自然 | 佐藤三千雄 | |||
| 念仏のこころ | 稲垣久雄 | |||
| 響きを聞く | 西光義敞 | |||
| 21 | 1983 | 念仏のこころ | はじめに | 山崎慶輝 |
| 念仏のこころ | 桐渓順忍 | |||
| 昨日まで・今日から | 山田明爾 | |||
| 現代と宗教 | 小田義久 | |||
| まなざしの譜 | 大村英昭 | |||
| 『歎異抄』の世界 | 伊藤慧明 | |||
| 20 | 1983 | 生死出づべき道 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 生死出づべき道 | 武邑尚邦 | |||
| 真宗の安心について | 桐渓順忍 | |||
| 彼岸への道 | 中垣昌美 | |||
| 19 | 1983 | 出会いと人生 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 出会いと人生 | 鰺坂二夫 | |||
| 本願の救い | 普賢晃壽 | |||
| 私の歩んだ道 | 関 法善 | |||
| 18 | 1983 | 親鸞聖人に何を学ぶか | はじめに | 山崎慶輝 |
| 親鸞聖人に何を学ぶか | 井上善右衛門 | |||
| 親鸞との対話 | 川端愛義 | |||
| 第7回宗教懸賞論文 審査報告 | 山崎慶輝 | |||
| 第7回宗教懸賞論文 「私の中の親鸞」 | 打本 靖 | |||
| 第7回宗教懸賞論文 「私の中の親鸞」 | 森田孝宏 | |||
| 17 | 1982 | 親鸞聖人の道 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 親鸞聖人の道 | 瓜生津隆真 | |||
| 生に死し死に生きる | 渡辺隆生 | |||
| 此岸に生きる | 神子上惠群 | |||
| 人間の悩みと仏教の救い | 原田双栄 | |||
| 16 | 1982 | いのちをみつめて | はじめに | 山崎慶輝 |
| いのち | 山崎昭見 | |||
| 「いのち」と「こころ」 | 武内紹晃 | |||
| 仏教と真宗 | 瓜生津隆真 | |||
| 15 | 1982 | 現代に生きる親鸞 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 凡夫直入 | 利井興弘 | |||
| 生きる | 中西智海 | |||
| 聞きならう | 浅井成海 | |||
| 14 | 1982 | 宗教と科学文明 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 「知進守退」の心と科学文明 | 東 昇 | |||
| 善悪の宿業と科学的なものの考え方 | 山田 宰 | |||
| 「いのち」の世界 | 水谷幸正 | |||
| 13 | 1981 | ひかりといのち | はじめに | 山崎慶輝 |
| ひかりといのち | 遊亀教授 | |||
| 親鸞聖人の歩まれた道 | 石田慶和 | |||
| 宗教の有用性と真実性 | 豊島学由 | |||
| 12 | 1981 | 「やさしい心」の生き方 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 「やさしい心」の生き方 | 花岡大学 | |||
| 『父母恩重経』を語る | 高田好胤 | |||
| 現代人に欠けているもの | 杉本一義 | |||
| 11 | 1981 | 龍大生としてこれだけはしっておきたい | はじめに | 山崎慶輝 |
| なぜ宗教が必要なのか | 宗教部 | |||
| 科学が進めば宗教はいらないか | 宗教部 | |||
| お釈迦様に聞く PART Ⅰ | 宗教部 | |||
| お釈迦様に聞く PART Ⅱ | 宗教部 | |||
| 親鸞聖人とは? | 宗教部 | |||
| 本願他力 ―他力本願とは― | 宗教部 | |||
| 悪人成仏 ―悪人正機とは― | 宗教部 | |||
| 念仏とは | 宗教部 | |||
| 宗教部とは | 宗教部 | |||
| 懸賞論文に応募しよう | 宗教部 | |||
| 10 | 1981 | 現代と真宗の救い | はじめに | 山崎慶輝 |
| 現代と真宗の救い | 藤澤量正 | |||
| 仏様の願いと教育 | 東井義雄 | |||
| 9 | 1980 | 親鸞聖人の人間観 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 親鸞聖人の人間観 | 福原亮厳 | |||
| 親鸞聖人と現代 -ひとつの「こだわり」をめぐって- | 信楽峻麿 | |||
| 「人生ノート」について | 増永啓一 | |||
| 『歎異抄』と『資本論』と『聖書』と | 北村貞夫 | |||
| 8 | 1980 | 親鸞聖人に聞く | はじめに | 山崎慶輝 |
| 親鸞聖人に聞く | 山崎慶輝 | |||
| 親鸞精神を理解するために | 浅野教信 | |||
| 『信心正因』について | 福間光超 | |||
| JOURNEY THROUGH THE SEARCHING YEARS | Yasuo Fujinaga | |||
| 7 | 1980 | 親鸞聖人の世界 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 親鸞聖人の世界 | 二葉憲香 | |||
| 恩の思想 | 桐渓順忍 | |||
| 日本の宗教と文化 | 祖田 修 | |||
| 第4回宗教懸賞論文 審査報告 | 山崎慶輝 | |||
| 第4回宗教懸賞論文 宗教と私 | 音瀬 光 | |||
| 6 | 1979 | 親鸞教義の中核 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 親鸞教義の中核 | 大江淳誠 | |||
| 親鸞聖人と私 | 神子上恵龍 | |||
| 源信から親鸞へ | 石田瑞麿 | |||
| 雄大なるロマンをもて | 松林宗恵 | |||
| 私と宗教 | 三品広美 | |||
| 5 | 1979 | 歎異抄に学ぶ | はじめに | 山崎慶輝 |
| 『歎異抄』に学ぶ | 村上速水 | |||
| 生きる | 髙 史明 | |||
| 私の人生観 | 松宮保夫 | |||
| 「私たちだけがどうしてなの」の解説によせて | 藤永安雄 | |||
| Why only us ? | Laura Takata | |||
| 4 | 1979 | 親鸞聖人のあゆまれた道 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 親鸞聖人のあゆまれた道 | 千葉乗隆 | |||
| 人身受け難し | 北畠典生 | |||
| 私にとっての宗教 | 雑賀正晃 | |||
| 3 | 1979 | わたくしと宗教 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 人生の眼と足 | 山本仏骨 | |||
| わたくしごと | 中川浩文 | |||
| 私の精神遍歴 | 藤井広潤 | |||
| 第3回宗教懸賞論文 審査報告 | 山崎慶輝 | |||
| 第3回宗教懸賞論文 入選 「科学と宗教」 | 関原寛子 | |||
| 第3回宗教懸賞論文 準入選 「科学と宗教」 | 大槻陽一 | |||
| 2 | 1978 | 現代の危機と親鸞精神 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 現代の危機と親鸞精神 | 井上智勇 | |||
| 大無量寿経の眼目 | 松原祐善 | |||
| 現代文明と七宝の獄 | 森 龍吉 | |||
| 宗教・仏壇・わたくし | 繁田實造 | |||
| 1 | 1978 | 親鸞聖人誕生の意義 | はじめに | 山崎慶輝 |
| 親鸞聖人誕生の意義 | 武邑尚邦 | |||
| 言葉と宗教 | 佐藤三千雄 | |||
| 人生と宗教 | 渓間秀典 |