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宗教部 建学の精神

人権コラム

重い障がいのある人との共生に向けてのメッセージ
― 津久井やまゆり園事件を学生とともに問い続ける ―

龍谷大学人権問題研究委員会
委員長 加藤 博史
2016年11月18日

神奈川県相模原市の障がい者施設「津久井やまゆり園」において、19人が殺され、27人が傷害されるという痛ましい事件から4ヶ月が過ぎようとしている。この事件は、予告的・計画的であり、対象選別的なものであったと発表されている。そして衝撃的だったのは、加害者が当該施設の元介護職員であったたこと、および、「重い知的障がいのある人は無意味な存在であり、国にとって損失になる存在」との信念が加害者にあったことである。

人間は、「経済や国家の手段」でも「商品」でもない。かけがえのない意味を持った人格であり、優れた生命、劣った生命があるわけではない。一人ひとりがそれぞれの生命を実現して生きていこうとしている。しかし一方で、「これは建前であって現実は違う」と感じている人も多いのではないだろうか。私たちは「建前」を突き破る論理を持たねばならない。

この事件から、私たちは人権に関して、一人ひとりの命の尊厳を「建前」に終わらせないために、四つのことを胸に刻みたい。

一つは想像力と共感力の涵養に努めることである。世界中で飢餓や戦争で殺されていく人がいる。その人たちの死に同情はしても心が揺さぶられたことのなかった、あるアメリカ人が、9.11に繰り返し泣いたと言う。私たちは、重い知的障がいを持つ人たちの無念の死を、他人事ではなく、自分の身に連なる人のこととして当事者性を持てるようでありたい。そして心を痛める想像力は、世界に広がるものでありたい。

二つ目は、協働力、交互力を意識的に高めていくことである。社会的重荷を負わされている人と心を開いて接する機会を持ちたい。一緒に笑い喜ぶ過程で、重い知的障がいを持って生きることの意味や、自分に課せられている使命について、問いを深めることができる。そして、地域や職場における共同参画の場所を創り、共に成長を実践したい。

三つ目は責任力を高めていくことである。高等教育機関である大学で教育に関わる者は、人権侵害に苦しんでいる人に真摯に向き合い、等しく人として接する責任がある。また、学生が、社会に対して責任ある生き方が出来るように支え導く務めを有している。匿名で加害者の思想を賞賛したり揶揄することは、卑怯なことである。同様に、この事件に際して大学人が「建前論」に終始し、問いを深化させようとしないことは、教育者として傲慢な姿であるといえる。

四つ目は状況批判力を高めることである。殺人事件で被害者の名前が報道されなかったことは特異な出来事である。家族が名前の公表を避けるよう要請したのかもしれないが、遺家族に名前の公表をためらわせる「力」こそ、重い障がいのある人に対する差別の本体と言える。その「力」には、私たちの日々の態度や思考が加担している。つまり、加害者が持っていた優生思想と一体のものが私たちの内に巣くい、社会構造に組み込まれているのである。そこを徹見し、批判し、克服する運動を組み立てていきたい。

また、殺された人たちと私との間には、生活の質の面で大きな格差がある。社会活動への主体的な参画、自由な時間、多様な人との出会い、個性的な表現活動、文化的環境など、人としてふさわしい生活の質が保障されていたか、客観的な査定と改善が必要である。憲法25条にも掲げられた「文化的生活の権利」を、重い知的障がいのある人にも保障されているか検証し認識を共有化したい。

また、加害者を異常な人とのレッテルから捉え、異常な人への監視・管理の強化を進める施策動向こそ、加害者本人が志向した優生劣死の思想を、むしろ浸透させるものと言えないだろうか。加害者は内なる私であり、境遇が違えば私だったかもしれないし、息子だったかもしれない。

さらに、今日の日本の文化を変えていくことに留意したい。障害者権利条約には、「障がいのある人たちは、ヒューマンな社会をつくることに役立っている」としている。そして、弱さと共に生きる社会を求めたい。弱さは、いのちのインテグリティ(すこやかさ)に有用な働きをしているから、弱さが活かされ大切にされる社会を目指したいものである。それは、多元・多様なアイデンティティと生き方を活かす社会でもあろう。

龍谷大学は、社会学部や短期大学部を中心に、障がい者施設をはじめとして、福祉に関わる多くの人を育成し送り出してきた。浄土真宗の精神を建学の精神とする本学は、人権に関する基本方針の中で、「教育、研究など、あらゆる機会において人権保障にかかる諸課題を明らかにし、諸活動や成果の発信を通して、人権を尊重する文化と差別のない社会づくりに貢献する」ことを明らかにしている。私たちはこの事件を忘れることなく、人権を問う道標のひとつにするために、その問いを深め、社会的実践に努め、研究・教育活動とのフィードバックにさらに取り組む決意をこめて、このメッセージを発信する。