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Vol.04 March 2024
言葉の地位を問い直す。 研究者が伝えたい「方言」の力と重要性

全国的な「共通語(標準語)」に対して、各地域の「方言」はインフォーマルなものと見なされる傾向が根強いなかで、方言がもつ力、そして言葉とアイデンティティのつながりに着目し「方言権」の必要性を訴える。

Overview

「公的」な場で使われる全国的な「共通語(標準語)」に対して、「私的」な場で使われる地域的な「方言」は、マイナーでインフォーマルな言葉だとみなされがちだ。慣れ親しんだ言葉を「なまり」として恥じる傾向も根強く残る。しかし、龍谷大学文学部・札埜和男准教授(国語科教育・方言学・法教育)は、方言が秘める強力な発信力や経済効果に着目。さらに「方言」は弱い立場にある人の声を拾い上げるためのツールとなり、方言をより自由に使う権利「方言権」の浸透が必要だと提言する。

⾔葉と⾃⼰アイデンティティは切っても切れない関係。誰もが「⾃分の⾔葉」である⽅⾔で話す権利

Opinions

監修 札埜 和男 / 龍谷大学 文学部准教授

「⾔語」と「⽅⾔」の境界線

そもそも「方言」と「言語」の違いはどこにあるのだろう。『法廷における方言』(和泉書院)、『大阪弁「ほんまもん」講座』(新潮社)などを著した札埜和男准教授によると、「文化的・歴史的に独立した言葉が言語、その下位の変種が方言だといわれます」。

ただ、ある言葉が「独立した」ものかどうかは、時代の政治状況や人々の願望によって左右され、絶対的な定義は存在しない。「たとえば京都の人は、自分たちの言葉を、京都弁ではなく京ことばと言ったりしますよね。1200年の都としての誇りが表れていると感じます」。

言葉のアイデンティティに関する象徴的な事件のひとつが、1972年の「ウチナーグチ裁判」。沖縄が日本に復帰する直前、3名の沖縄の青年が1971年国会(衆議院本会議場)で「沖縄返還協定粉砕」を叫び、爆竹を鳴らしビラをまいて逮捕された。被告人となった彼らが法廷で沖縄の言葉であるウチナーグチで話したところ、裁判官から「日本語で話しなさい」と命じられ、若者たちは「ウチナヤ、二ホンヤガヤ(沖縄は日本ではないのか)」と反論。その後もウチナーグチを使い続けたことで退廷を命じられた。「なにをもって言語と方言を区別するのか、言葉と政治の関係について、問いを投げかけた事例です」。

1980年代以降、⽅⾔は⼈気者になった

「方言の扱われ方は、1980年代に大きく変化しました」と札埜准教授。「かつての学習指導要領では、方言は矯正の対象でした。しかし、今では方言の価値を肯定する内容に変わっています。拙著『大阪弁看板考』(葉文館出版)でも書きましたが、看板や店名に『まいど』といった関西弁がよく使われるようになったのも80年代からです」。

やがて首都圏の学生が笑いをとりたい時に関西弁を使うなど「方言のコスプレ化」が進む。コンプレックスの対象だった方言が、1990年代以降はキャラ付けや親しみ演出のためのツールとして、ポジティブに見られるようになっていくのである(※1)。

「変化の端緒となる1980年代は、人々の価値観が大きく転換した時代だったと思われます。首都圏から地方へ、成長から安定へ、ハードからソフトへ。そのような流れのなかで、地域アイデンティティの見直しが、方言の地位向上の背景にあると考えられます」。

※1 田中ゆかり『方言コスプレの時代 ニセ関西弁から龍馬語まで』岩波書店(2011)

関⻄弁は、⽇本有数の「売れる⽅⾔

日本で大きな存在感を誇る方言のひとつが関西弁だ。札埜准教授いわく、関西弁、中でも母語である大阪弁は「相手との関係を平等にする平和(主義)的な言葉です」。その理由は3つ。ひとつめは「相手との距離を縮める言葉だからです。語尾に“ねん”をつけて自分の気持を打ち明ける姿勢を示したり(※2)、相手に対して一人称で『自分』と呼びかけたりと、相手を内輪に引き込むのがうまいんです。

ふたつめは「笑い」。「大阪の洒落言葉で『夏のハマグリ』というのがあるのですが、これは『見るだけで買わない客』のこと。『実腐って(見くさって)、貝腐らん(買いくさらん)』という洒落です。もう死語化していますが(笑)。『八月の槍』で「ぼんやり(盆の槍)」などたくさん伝わっています。悪口や文句でも、笑いを入れるんです。

最後が「喧嘩防止の機能」。「聞きたくない場合は耳を押さえて『今日耳日曜(きょうみみにっちょ)』。『掃除せんかい!』ではなく『掃除せんかいな』と『な』をつけるだけで柔らかく伝えられます。ある商売人が言うてはりました。商品がない場合でも、『ありません』と断定せずに『おまへんなァ』と柔らかく言います。お客さんを怒らせたら負けでっさかいに、と…」(※3)。

相手を自然と自分のフィールドに引き込む力は、大阪が「商売の街」であることも関連しているかもしれない。方言の力を利用して大成功を収めたのが、大阪府枚方市にある遊園地「ひらかたパーク」である。「ひらパーでおま!」という、敢えて今は誰も使わないような大阪弁を人気俳優にしゃべらせる戦略を取り、これが当たった。この「おま!」を使った方言戦略が全国に知名度を広げ、年間パスポート会員の数が100万人を越える効果をもたらしたのだそう。「関西弁の『売る力』を証明するような話ですよね」(※4)。

人を動かす力は経済以外の領域でも発揮されている。たとえば、大阪府警の採用ポスター。パトカーを背景に大きく「あんたのこと迎えにきたで。」、泣いている子どもの姿に「ごめんですんだら警察いらんわ!」。この関西弁の使いこなしぶりには「お堅い警察のイメージとのギャップが、求心力につながる。上手いですよねえ」(※5)と 札埜准教授も感心する。

※2 尾上圭介『大阪ことば学』創元社(1999) ※3 札埜和男「商談と関西弁」(『関西弁事典』真田信治監修、ひつじ書房) ※4 札埜和男「『おま!』―人気俳優と方言―」 (『地域語の経済と社会 ―方言みやげ・グッズとその周辺』第339回 言語経済学研究会 (The Society for Econolinguistics)、 三省堂 ことばのコラム2015年10月17日 (sanseido-publ.co.jp) ※5 札埜和男「大阪府警における笑いの研究―言語景観(ポスター)に焦点を当ててー」日本笑い学会第29回大会研究発表資料(2022)

⽅⾔は使い⽅を誤ると⼼を壊す道具にも

しかし、心に深く訴える力は、ときに凶器となる。龍谷大学の犯罪学研究センターに所属し、方言と冤罪に関する研究にも力を入れる札埜准教授が特に警鐘を鳴らすのが「取り調べ」における関西弁の使用。人を自白へと追い込む危険があると指摘するのだ。事件発生から25年間の闘いの末、無罪判決を勝ち取った甲山事件(1974~1999年)。冤罪被害者の山田悦子さんは札埜准教授に「取調べの言葉は最初はよそいき、親しくなると関西弁。それはやがて人を追い詰める暴力的な言葉と化す。それに被告人の方も言葉を合わせようとします。落とす時は関西弁。虚偽自白、冤罪は方言のやりとりから生まれる」と話し、取り調べの場において、関西弁が虚偽自白の引き金になったことを打ち明けた。「真実を突き止めるべき場で、求める答えを強引に引き出す手段として関西弁が使われてしまった。方言は使い方によって良くも悪くもはたらく『諸刃の剣』です」。

アイデンティティを守るための⽅⾔権

言葉と心、言葉とアイデンティティは密接に結びついている。

「方言話者に標準語を強制するのは、左利きの人に右利き用のはさみを使えと言うようなもの。方言の中には、それでしか表現できない自分の気持ちや感覚があるわけですよね。たとえばゾッとした時の肌感覚を、大阪人の僕は『さぶいぼ』って言う。『鳥肌』ではこの感覚は表現できない。『ウチナーグチ裁判』で、裁判官は『みんなにわかる言葉を使え』という意味の命令をしました。しかし東京の言葉が『みんなにわかる』標準語とされたのは、言ってしまえばたまたま、政治の拠点となった土地で使われていたからで、言葉自体に本質的な優劣があるわけではない。私もかつて、恩師の真田信治先生(大阪大学名誉教授)から「標準はひとつとは限らない。いくつあっても良い」と教わりました。この言葉は今も心に刻まれています。方言を使ってでしか喋れない人や、方言でしか語れないことが存在する以上、公の空間であっても、個人が方言で話す、誰からも妨げられない権利つまり方言権があると僕は考えます(※6)」。

「誰でもわかる言葉で話すべきだというのはもっともらしい論理に見えますが、本当にその論理は普遍的なのか」。札埜准教授は疑問を呈している。

「権力に対して命や暮らし、個人の生き方(life)を対置する意味において、方言という自分のことばで語る意味は大きいと考えます。ハンセン病国家賠償訴訟を担われた徳田靖之弁護士から、長い年月の間差別と偏見に晒され続けた被害を語っていくにあたり、被害者の方が標準語で答えようとすると被害を全然伝えられないが、普段使用している関西弁で喋ると言葉がとても豊富に出てきて、聴くほうの胸を打った、というお話を窺いました(※7)。方言は自分自身の大事なアイデンティティを守るよりどころになる、人権を守るとりでとしての言葉でもある。そんなふうに思います」。

※6 札埜和男『法廷における方言』和泉書院、「刑事司法へ『ことば・教育』にまつわる要求」(『刑事司法への問い』指宿信他編、岩波書店 2017) ※7 札埜和男「司法・行政における方言の課題」(『実践方言学第3巻』小林隆他編、くろしお出版)

Another View 言葉とコミュニケーションの研究を通して、言葉の扱い方を考える

龍谷大学では「言葉」をテーマに学部・専門領域を越えた共同研究がおこなわれている。共同研究者である政策学部の村田和代教授からはグローバルな視点で「言葉とコミュニケーション」について話を聞いた。札埜准教授と村田教授は2024~2025年度の国際社会文化研究所の研究プロジェクトとして採択された「『国際共修型』文学模擬裁判メソッドの開発 ―市民性を醸成する対話教育を目指して」の共同研究をはじめ、学生が龍谷大学内で使うことばを手掛かりに「キャンパス用語辞典」や「キャンパス方言カルタ」の制作を計画している。

グローカル化する社会で、違いを尊重しながらわかりあうために

村田 和代 / 龍谷大学 政策学部教授

ニュージーランド国立ヴィクトリア大学大学院言語学科Ph.D. (言語学博士)。専門は社会言語学。 2001年龍谷大学法学部着任。 2023年政策学部学部長就任。2017年から2020年まで龍谷大学グローバル教育推進センター長。

日本で暮らしていると「ひとつの国にはひとつの言語」という感覚をもつかもしれませんが、じつはこのような国家は少数派。さらに日本も厳密には「単一言語」の国ではありません。ユネスコの「消滅危機言語(※1)」のリストには、アイヌ語や沖縄語を含む8つの言語が登録されています。さらに方言も含めれば、日本には実にさまざまな言葉が存在していると言えるでしょう。海外に目を向ければ、いま世界に存在している言語の数は6,000〜8,000語。グローカルの時代と言われるように、母語が異なる人同士が話す機会は、今後ますます増えていくでしょう。

言葉による格差を無くすためには歩み寄りが不可欠です。言語学の世界では「アコモデーション理論」で説明できますが、非母語話者に向けて語りかける際は、ゆっくり話す、文法を簡略化するなどの話し方の工夫を行うこと。非母語話者にも伝わりやすい言葉の手引きとして、英語だと「Plain English(※2)」という考え方が存在していて、日本語でも、文化庁によって「やさしい日本語」のガイドライン(※3)が提示されています。災害時の緊急ニュースで「津波が来ますので避難してください」ではなく「つなみ にげて」と表示されているのを見たことはありませんか?非母語話者の方々にも届くよう、「やさしい日本語」が用いられているのです。

話すだけでなく聞くこともコミュニケーションの一要素ですよね。違う言葉を話す相手の言葉をどのように聞くか。紋切り型の表現かもしれませんが、結局は「わかりあいたい」という気持ちがあるかどうかだと思っています。わたしが受け持つ「国際共修」の授業では、日本語話者の学生と留学生が入り混じってひとつのプロジェクトに取り組むのですが、話す言葉は違っても、スマートフォンの翻訳アプリを介したり、ジェスチャーを使ったりといった歩み寄りの工夫によってコミュニケーションが成立している場面を多く見てきました。

大切なのは、言葉が消えるということは、その言葉で表現されていた概念も同時に消えるということ。ひとつの言葉の消滅は、ひとつの文化の消滅とも言えます。言葉は遺跡などと違って目に見えないからでしょうか、まだまだ保護や尊重の考え方が十分に浸透していないと感じます。相手の言葉に対するリスペクト、それはつまり相手のバックグラウンドやアイデンティティへのリスペクトです。誰もが自分自身の言葉を大切にすると同時に、多様な言語や方言を尊重し合える社会になるよう、今後も言葉の重要性を伝えていきたいと思います。

※1 消滅の危機にある言語・方言 | 文化庁 ※2 プレインイングリッシュとは - JAPL 一般社団法人 日本プレインランゲージ協会(Japan Association of Plain Language) ※3 在留支援のためのやさしい日本語ガイドラインほか | 文化庁
村田 和代 / 龍谷大学 政策学部教授

ニュージーランド国立ヴィクトリア大学大学院言語学科Ph.D. (言語学博士)。専門は社会言語学。 2001年龍谷大学法学部着任。 2023年政策学部学部長就任。2017年から2020年まで龍谷大学グローバル教育推進センター長。

Learn More 「言葉」をさらに知るための副読本

関西方言やコミュニケーションにおける言語使用について、もっと具体事例を知りたい、もっと理解を深めたいと考える人に。
広大な「言葉の海」に漕ぎ出すための、札埜准教授と村田教授の著書10冊を紹介。

総合監修

札埜 和男(ふだの・かずお)
/ 龍谷大学 文学部准教授

高校野球の監督したでっけど夏の大会いっこも勝てへんかったです。勝負師向かんヮと方向転換しまして。けど気ィ多て卒論修論博論全部ちゃうテーマです。笑い学会いう学会も入ってま。もう笑うしかおまへんな。

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BEiNG

社会と自己の在り方を問うメディア

急速に変化するイマを見つめ、社会課題の本質にフォーカス。
多角的な視点で一つひとつの事象を掘り下げ、現代における自己の在り方(=being)を問う新しいメディアです。

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