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Vol.10 April 2025
時代を越えて「わからない」に立ち向かう。 歴史学者が語る学問のススメ

Overview

「コスパ」「タイパ」という流行の言葉に象徴されるように、効率や合理性、わかりやすい価値への還元が求められがちな現代社会。「何の役に立つのか」ありきで、そこにどれだけのリソースを投下し、いかにリターンを最大化するかが常に物事の判断基準になっている。そんな風潮のなかで、学問、特に人文学分野の学びや研究活動は、ある意味、“肩身の狭い”存在だ。
歴史学者の岩尾一史教授は「人文学、ひいては学問は、なんの役に立つのか」という問いに対し、「よりよく生きるため」と答える。なぜなら、学問には世界の謎や怖いものに立ち向かえる可能性があるからだ。この「学問」の意義は、古今東西、時代を越えて受け継がれる。その積み重ねの先に、混迷する世の中をよくするカギもあるはずだ。いま学問に取り組んでいる人、そしてこれから学問を志す、すべての人の背中を押す、現代版「学問のススメ」をお届けする。

Opinions

監修 岩尾 一史 / 龍谷大学 文学部・教授 / 博士(文学)

よりよく生きるために学ぶ

「『歴史学って/学問って、何の役に立つんですか?』と問われたら、『絶対に役に立つ』と答えます」と、岩尾一史教授。ただし学問は、すぐに具体的な何かに役に立つものではない。岩尾教授が取り組む歴史学は、人間が書いた文章をもとに過去を理解する学問だ。我々は未来を知ることはできないが、現在の視点から過去を見直すことはできる。そして、それは未来への視座を拓くことにもつながる。環境問題が問題となると、環境破壊の歴史が注目され、環境史が誕生した。ナチスドイツの台頭やアメリカ同時多発テロの発生により、過去の人間の感情に注目が集まり、感情史というジャンルができた。
岩尾教授の研究する古代チベットの史料には、中央アジアに派遣されたチベットの兵士たちの生活が現地雇いの料理人たちが逃げ出すほど過酷だったことが記され、辺境を守る苦労が偲ばれる。また、敦煌莫高窟の壁に残された各時代の巡礼者の書き付けは、民族や言葉、時代が違っても同じ信仰心が共有されていたことを教えてくれる。

人文学は、気づかないほど自然に「役立って」いる

人生はわからないことや理解できないことだらけ。学問、研究は、生きてゆく上で感じる「わからない」という怖さ、生きづらさを乗り越えることに役立ってきた。わからないことの正体を知ることができれば、対処の方法もわかる。学問の力で世界を理解することは、生そのものをよりよいものにできる。
人文学はさらに深く、「わからないことが何か」ということをわかろうとする、つまり、自分の身の回りはどうなっているのか、社会の構造や不条理のシステムを理解しようとする。それを学ぶことで、不条理や不安、不満からくる「もやもや」の正体を言語化することができる。これは日常や社会のなかで、どれも役に立つ。むしろ、すでに「役に立ちすぎて」、それに気づいていないものかもしれない。「人はパンのみにて生くるものにあらず」という言葉は、豊かな精神活動、そして学問のことも指している。

社会のなかで学問に触れる機会は、意外に多い。

学問の世界に対して、一種浮世離れした、一般社会から隔絶したもの、というイメージを抱く人は少なくない。しかし、学者の側も、積極的に社会との接続を意識し、普及に意識を向けたアクションをしている。たとえば一般の人が手に取り、学問の世界に親しめるきっかけとなるコンパクトな書籍「新書」を著する学者が多いのは、その一例だろう。日本は世界と比較しても新書の出版が多い。
大学もリカレント教育(社会人の学び直し)に力を入れている。学問は誰にでも開かれている。社会に溶け込んでいるのだ。海外では、学問のバックグラウンドを持った人が政治家になることも多い。学問と実業、政治双方のさらなる歩み寄りも、社会を豊かにしてゆくのではないだろうか。

時代を越える協働。研究は未来へつなぐバトン

学問には地道で、成果がすぐに出ない側面もある。岩尾教授の文献研究も、長い時間の「孤独」な作業の積み重ね。大英図書館でひとり、大判の般若経を閲覧しながら「これが何の役に立つのか」と自問したこともある。周囲の理解を得られず、モチベーションが揺らいだ経験は、多くの研究者がもつものだろう。
「あらゆる学問は『人類全体でバトンを渡してゆく』というロングスパンな視点に立つべきもの」と岩尾教授。自身の古代チベット研究も、多くの国の研究者が時代と地域を越えて発展させてきた成果をつなぎながら、新しい研究を進めることができている。「時空を越えた研究者たちと協働がおこなわれていると考えれば、研究は決して孤独なものではない。自分の研究が100年後、未来に役立つかもしれない」。
近年、SNSの普及により歴史のコンテキストを表面的に乱用する人が目立つようになり、その影響も大きくなってきている。歴史を正確に読み解き、次世代につないでいくことの重要性は、今後ますます高まっていくだろう。

Suggestion

学問の扉をひらく読書案内

岩尾教授推薦。「もやもや」に対処したり、世界の新しい見方を獲得したりするための書籍を、新書を中心に紹介。

『タテ社会の人間関係』(中根千枝)講談社

岩尾教授コメント:この本は社会人類学の手法を使って日本社会の特質を分析・解説しています。1967年の出版当時、ベストセラーになりました。それから60年近く経ちますが、今でも読むべき内容です。
日本で学歴や属する会社、地域が重要視される理由、日本とインドとの集団の構造の違い、先輩後輩関係が徹底的に意識される構造が明快に説明されています。集団の空気に馴染めず常に疎外感を覚えていた私は、この本を読んでとても救われました。社会構造の原理を理解することによってそれなりに対処法をとったり、また理不尽な目にあっても、そういうものだなとある程度納得できるようになりました。

『増補新版 漢帝国と辺境社会:長城の風景』(籾山明)志学社

岩尾教授コメント:漢の時代に作られた木簡を元に、辺境地帯に送られた兵士たちの日常生活を活き活きと描いた書です。2009年に中公新書として出版されましたが、2021年に志学社から増補新版が出ました。今の中国甘粛省から出土した漢代の木簡から、当時の制度・生活・文化が具体的かつ鮮やかに解き明かされます。
初めてこの書を読んだのは大学院生のころでしたが、木簡1本だけでは断片的かつわずかな情報しか得ることができないのに、たくさん集めてきて分類し内容を分析することによって、当時の世界が復元されていくことに、本当に興奮しました。木簡それぞれは一見無味乾燥な記録の連続なのですが、実はその奥に古代の人々の生活や想いが広がっているのです。文献学や古文書学の醍醐味ですね。
この本の最終章では、ローマ帝国の辺境における兵士たちが残した木簡が紹介され、古代帝国におけるフロンティアの形が相対化されます。私自身は古代チベット帝国の木簡をみているので、時代や地域は異なるものの、それぞれの辺境の姿を重ね合わせ、辺境防備を任せられた人々の生活に想いを馳せてしまいます。飛鳥・平安時代の防人も類似の例かもしれません。そういえば少し前に話題になったブッツァーティ『タタール人の砂漠』(脇功訳、岩波文庫、2013年)も辺境の守りの話でした。

『栽培食物と農耕の起源』(中尾佐助)岩波新書

岩尾教授コメント:植物学の泰斗である中尾先生による人類の栽培食物に関する新書です。1966年に出版されました。我々が普段食べているコムギやコメなどの主食は、全て栽培された食物ですが、これらは元々野生だったのです。
これら栽培食物とは、つまり人類が時間をかけて改良発展してきた「文化財」なのである、と著者は述べます。栽培文化には根菜農耕文化(バナナ、イモ)、地中海農耕文化(ムギなど)、サバンナ農耕文化(ササゲやシコクビエなど)、新大陸農耕文化(ジャガイモやトーモロコシなど)の4つがあること、そして人類がどのように農耕を始めたか、が気持ち良いくらいに明快かつ具体的に語られます。
人類の歴史とは、結局何を食べてきたかの歴史でもあることに気付かされます。初めて読んだ時に、我々が食べているものの中にまさしく歴史が詰まっているんだなあと実感しました。また、島泰三『魚食の人類史』(NHK出版、2020)も併せておすすめします。

『人とミルクの1万年』(平田昌弘)岩波ジュニア新書

岩尾教授コメント:人間が哺乳類のミルクをどのように利用してきたのか、というテーマに絞って書かれた本です。今から1万年前、氷河期が終わった時代にはじまった牧畜は、搾乳とミルク保存の技術を生み出し、それは世界中に広がっていきました。著者の平田先生はミルク加工の実態を求めて世界を駆け回って調査されています。
このジュニア(!)新書には、平田先生のこの執拗ともいえる研究結果が、まるで熟成されたチーズのようにギュッと詰まっています。それにしても、人類が生み出したミルク加工技術は目がくらむほどの多様性に満ちています。ミルク加工という一点から見直すことにより、我々人類社会の新たな姿が立ち上ってくるかのようです。

『〔増補〕お砂糖とスパイスと爆発的な何か』(北村紗衣)ちくま文庫

岩尾教授コメント:シェイクスピア研究やフェミニスト批評を専門とする筆者が、数々の映画や小説を解説する本です。学術的理論と膨大な鑑賞経験に基づき、「演劇フェミニスト批評」という視点から書かれています。
エッセイなのでとても読みやすく、すでに観た/読んだ作品でも新しくビビッドに感じられる視点を教えてくれて、もう一度鑑賞したくなります。特に、カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』の批評に衝撃を受けました。イシグロ作品のなかでも好んで何度か読み返していた作品だったのですが、自分は何を読んでいたのだろう、と呆然としました。異なる視点は世界の見方を変えてくれます。これこそ学問の力だと思います。

総合監修

岩尾 一史(いわお・かずし)
/ 龍谷大学 文学部・教授 / 博士(文学)

仏教が本格的に浸透する前の古代チベットの歴史を研究している。大学生の頃にはじめて読んだ専門書はあまりにも難解で、逆にチベット史に取り憑かれてしまった。写本の一語の解釈を巡って呻吟し、現地石碑の消えかけた文字を心眼で読む楽しい日々を過ごしている。

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BEiNG

社会と自己の在り方を問うメディア

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BEiNG=在り方、存在が由来。
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