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The Founding Spirit

宗教部 建学の精神

そのままがいとおしい「いのち」

一般に「平等」というと、かたよりや違いがなく、すべてのものが等しく一様であることだと考えがちですが、「建学の精神」でいうところの「平等」は、真理を悟られたブッダ(仏)のまなこから見た平等です。
ブッダ(釈尊)の説かれた経典に、次のような一段があります。

……さとりの国の池にはとても立派な蓮の華が咲いている。青色の蓮華れんげは青い光、黄色の蓮華は黄色い光、赤色の蓮華は赤い光、白色の蓮華は白い色の光を放っている。一輪一輪ちがっており、それらはどれもそのまま香り高く何とも美しく素晴らしい。さとりの国はそのような徳の高い、言葉を超えた素晴らしさで満ちあふれている。

(『阿弥陀経』より意訳)

仏の光に照らされたすべての「いのち」は各々おのおのの特徴を持ったままに光り輝いていると、ブッダ(釈尊)は教えてくださっています。ブッダ(仏)には、すべての違いを認めいつくしむまなこがあります。私たちもまた、そのまなこをいただいてみた時、各々の「いのち」がそれぞれの特徴を持ったままに光り輝いている世界が見えてきます。それこそが、本当の意味での「平等」なのです。
童謡詩人で大正末期から昭和初期に活躍した金子みすゞさん(1903~1930)の詩に次のような代表作があります。

私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、お空はちつとも飛べないが、飛べる小鳥は私のやうに、
地面ぢべたはやくは走れない。
私がからだをゆすつても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

(『金子みすゞ全集 Ⅲ』JULA出版局 1984)

誰もが「平等」という言葉を使いますが、しかしいつも自分だけを特別扱いしていませんか。この詩には、自己中心的な狭い見方を離れた、すべての「いのち」をありのままにいとおしむ豊かな心が見られます。違いがないことが平等なのではなく、それぞれの良さを認め尊重することが大切なのです。このことを伝えるのが本学の「建学の精神」です。
龍谷大学に学ぶことをきっかけとして、本当の意味での「平等」について考えてみませんか。