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Vol.12 November 2025
ステレオタイプを克服し、共生社会を実現するために。 「人間」としての移民の実像

Overview

「移民」と聞いて、私たちはどのような人々を思い浮かべるだろうか。コンビニエンスストアや建設現場などで働く姿をまず想像するかもしれないが、そのイメージは実態のごく一部を捉えたものだ。「移民」という言葉は日常的に使われる一方で、その定義は曖昧なままで、多くの誤解やステレオタイプを生んでいる現状がある。本記事では、スロバキア出身で移民研究を専門とするデブナール・ミロシュ准教授へのインタビューを通して、移民の多様な実像を捉え、これからの多文化共生社会のあり方を考える。

Opinions

監修 デブナール・ミロシュ / 龍谷大学国際学部・准教授

1.移民」とは誰のことなのか

移民にまつわる議論が近年活発化するなか、「そもそも『移民』とは誰を指すのか、そこに含まれる人々の実態を正しく捉えられていないケースが多い」とデブナール准教授は指摘する。国連の定義によると、移民とは「約1年以上、自国とは別の国に住んでいる人」。そこには、大学で学ぶ留学生や専門スキルを持つ「高度人材」も含めた、多様な価値観やバックグラウンドを持つ人々が存在する。また、ここでの定義において、滞在予定期間、また在留資格上の滞在期間制限については触れられていない。定住するつもりはある、または期限なく滞在を認めるビザを持っている人のみを指して「移民」と呼ぶ場面がしばしばあるが、実際には滞在期間もさまざまだ。こうした多様な実像が見過ごされ、彼らを画一的なイメージで捉えてしまうことから生まれるステレオタイプは多い。そのひとつが「移民が文化を壊す」という誤解だ。それどころか、移民が日本の文化や産業の継承者になる事例もあると言う。

「たとえばドイツ人の住職のお坊さんもいれば、京都ではフィンランド出身の方が人力車を引いている。刀を作る仕事をしていたり、陶芸を研究していたり。人手不足で存続が難しい産業の継承者になっていることもあります」。

スイスの作家であるマックス・フリッシュは戦後の西ドイツが受け入れた移民について「私たちは労働力を呼んだが、来たのは人間だった」と名言を残した。私たちと同じように家族や生活、ニーズや文化、そして夢をもつ一人の「人間」として移民を捉え、その多様な実像を認識すること。それが、共生社会への第一歩となる。

2.門戸を開けば人が来る」時代の終わりか

世界中の国々が優秀な人材を惹きつけようと競い合う中で、様々な人材にとって何が「日本の魅力」と感じてもらえるのか、真剣に検討する必要がある。特に欧米等の先進国出身者にとって、長年インフレと賃金上昇がなかった日本は「安い国」に映っているのが現状だ。「これまでは、門戸を開けば人が来るだろうという前提だった。しかし、それではもう成り立たない時代になりつつあると考えるべきです」とデブナール准教授は警鐘を鳴らす。

それでも日本に来る人々の動機はどこにあるのか。人によって様々かつ複合的なものではあるが、よく聞かれる理由のひとつが「文化的な魅力」。ポップカルチャーがきっかけになることもあるが、デブナール准教授が取り組む在日ヨーロッパ人を対象にした研究によれば、定住の理由としてより多く挙げられるのは、武道、仏教、陶芸といった、その土地でしか実践できない伝統文化の魅力だという。また、「他国ほど過度ではない競争環境や、『安全な国』というイメージも、日本が選ばれる理由のひとつです」とデブナール准教授。

「私の『大学教授』という職業もそうですね。欧米の大学の『Publish or perish(出版か死か)』と言われるような厳しい環境と比べ、じっくり研究に取り組める良さがあります」。

経済的な合理性だけでは測れない価値を、彼らは日本に見出している。しかし、それも安泰ではない。「選ばれる国」であるためには、私たち自身がそうした魅力を認識したうえで、より包括的な社会をつくっていく努力が不可欠である。

3. 差別撤廃を実現するのは「善意」ではなく「仕組み

異なる背景を持つ人々が共に暮らす上で、摩擦が生じるのはある意味で自然なこと。だからこそ、それを「排除」の理由とせず、関係を築くためのルール作りが必要となる。しかし、日本社会にはその土台となる仕組みに、大きな課題が横たわっている。

「日本には反差別法がありません。この点は長期にわたり、国連の機関からも指摘されています」。

法律が無いことで「何が差別に当たるか」という社会的な共通認識が育ちにくい弊害もある。デブナール准教授は、あるオーストラリア国籍の研究者が面接で受けた質問を例に挙げる。彼が中東に多い名前だったことから、面接官は「本当はどこから来たんですか?」と執拗に尋ねたという。

「学生にこの話をすると、『単純に関心があったから聞いただけで、何が悪いのか』という反応が返ってくることがあります。しかし、重要なのは、面接官に悪意があったかどうかではありません。仕事に関係ないことを聞くことで、無意識の偏見が判断に影響を与えることがある。それを防ぐ『仕組み』がないことが問題なのです」。

個人の「善意」や「努力」に頼るだけでは差別は無くならない。誰もが対等な立場でいられるための最低限のルールとして、実効性のある法制度を整えることが、共生社会の前提条件となる。

4. 分断を越える「社会的想像力」の養い方

法や制度を社会の骨格だとするならば、そこに血を通わせるためには「教育」が重要な役割を担う。アメリカの心理学者ゴードン・オールポートが提唱した「接触仮説」という理論があるが、そこでは異なる背景を持つ人々が対等な立場で協働する「有意義な接触」が偏見を軽減する上で有効だとされている。

慶應大学の塩原教授は、社会の分断を越えて対話をするためには、他者の理解につながる想像力の必要性を論じている。「ここで重要なのは、相手に対する『共感』です。これは『同情』とは違います。彼らの実際の状況を正しく捉えるための想像力です」とデブナール准教授。

ここで挙げられる「想像力」のひとつ目は、SNSの情報などを鵜呑みにせず「本当にそうなのか」と問い直す「批判的想像力」。ふたつ目は、その人(または自分)がなぜ今ここにいるのか、その歴史的背景を理解する「歴史的想像力」。そして三つ目が、他者の日常や困難を具体的に想像する「社会的想像力」だ。

「たとえば、朝何時に起きて、どんな仕事をして暮らしているとか。病気になったら、病院でどうやって自分の症状を伝えているのかとか。そういうことを想像する力です」。

大学も含め、多様な背景を持つ人々が集い、対話を通じて想像力を育む場所を増やしていきたいと語るデブナール准教授。これまで「移民」という一つの言葉で括っていた人々に、個々の「人間」として出会い直すこと。それが分断を乗り越える最初の一歩となる。

総合監修

デブナール・ミロシュ(Miloš DEBNÁR)
/ 龍谷大学国際学部・准教授

スロバキア出身、社会学が専門。学部時代にブラジルで日系人と出会い、「移民」という現象に関心を持ち、日本留学中にその研究を始める。2007年から大学院に進学するために再び渡日し、社会学を学びながら移民研究をし続けてきた。

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