ブラウザからレイアウト自由自在
Layout Module
ここにメッセージを入れることができます。
ただいまページを準備しております。もうしばらくお待ちください。
黒川 雅代子(くろかわ かよこ)
本学短期大学部 社会福祉学科教授、犯罪学研究センター 副センター長・「司法福祉」ユニットメンバー
<プロフィール>
社会福祉学を研究。研究テーマは遺族支援のための実践モデル開発。『救急医療における遺族支援のあり方』などの論文を執筆したほか、遺族会「ミトラ」*の発起人としても活動中。
*遺族会「ミトラ」 http://www.human.ryukoku.ac.jp/~kurokawa/
「子ども食堂」が果たす社会的な機能を調査
犯罪学研究センターでは、私の専門である社会福祉学の側面から関わることで、センター全体の研究活動の一助になりたいと思います。社会福祉学とは、人が人らしく生きていくということはどういうことなのか、そのために必要な援助の方法や技術、行政政策、福祉などの社会的な基盤とはどういったものなのか、ということについて考える学問です。
とりわけ子どもや障がい者、高齢者などに代表される社会的弱者に対する支援には多くの課題があります。そこで、現在私は「子ども食堂」*の研究を進めています。今は子どもの7人に1人が貧困に陥っているとされる時代です。これは単に子ども自身の貧困の問題ではなく、子どもを取り巻く社会の問題だと思います。データから見ても、貧困家庭に育った子どもの進学率は低い傾向にあるのです。その進学率の低さが就職にも不利益があるとするならば、貧困は将来的にも連鎖していくことになります。子どもは生まれる環境を自ら選ぶことができません。親が一生懸命働いているにも関わらず貧困ゆえに将来の夢や希望を描けない子どもがいるならば、子どもの居場所作りや健全育成の観点から「子ども食堂」にはどのような役割を果たせるのか。これが研究を始めたきっかけです。
「子ども食堂」は行政が主導して運営していたり、ボランティアの人たちが担っていたりと、実際の活動状況は地域によりさまざまです。加えて、財源や人材確保などの問題も山積しています。そのため、研究のスタート段階では文献研究に主眼を置きますが、ゆくゆくは現地にも足を運んで調査を行う予定です。
*「子ども食堂」:子どもやその親、および地域の人々に対し、無料または安価で栄養のある食事や温かな団らんを提供するための日本の社会活動。日本各地で同様の運動が急増している。
「子ども食堂」から社会のあり方を考える
「子ども食堂」という形で孤食や貧困家庭の子どもに食事を提供する試みが始まったのは、近年のことです。しかし、お寺に集まってごはんを食べたり、近所づきあいのなかで「うちに食べにおいで」と誘い入れたりすることは、日本各地で昔からあったのではないでしょうか。では、わざわざ「子ども食堂」という形で行なわなければならなくなってきた理由は何なのか。また、ただ料理を提供するだけではなく、子どもの居場所として機能することで非行や犯罪の予防にはならないのか、さらに子どもだけでなく地域の高齢者や障がい者などみんなが訪れる場所になりえないのか、など様々なポイントから研究を進めていきたいと考えています。
社会にある様々な「喪失」とケアについて考える
私は長年遺族ケアについても研究を行っています。遺族は、死別によって大切な人を喪失したわけですが、「子ども食堂」が必要とされる社会も、様々なものを喪失しているといえます。例えば、コミュニティの喪失や安心できる家庭環境の喪失、ともに食事をする人の喪失等々です。人には、自分を必要としてくれるところ、居場所が必要です。居場所の喪失は、自己肯定感や自尊心の喪失にもつながります。それが非行や犯罪に影響を及ぼす可能性も否定できません。当センターが掲げる “人にやさしい犯罪学”について、社会福祉学的観点から、特に「喪失」という切り口で検討していきたいと考えます。
2018年9月18日、龍谷大学 犯罪学研究センターは、
『「肯定的犯罪学:犯罪学と被害者学に関する研究の新たなパースペクティヴ」
〜ポジティヴ犯罪学と12ステップのスピリチュアリティーを学びたい人のために〜』を
テーマにした講演会を本学深草学舎 至心館1階で開催し、約20名が参加しました。
【イベント概要>>】
今回の講演会は、イスラエルよりナッティ・ローネル教授(バル=イラン大学・犯罪学)をお迎えし、前半にイスラエルにおける犯罪学について、後半にローネル教授が提唱する「ポジティブな視点から犯罪学・被害者学をとらえなおすこと」について、講演していただきました。
ナッティ・ローネル教授(バル=イラン大学・犯罪学)
今回の企画・進行役は、石塚 伸一 本学法学部教授・犯罪学研究センター長が務めました。
1.イスラエルとバル=イラン大学について
ローネル教授はまず、イスラエルという国、そして教鞭をとっているバル=イラン大学についての説明をされました。
イスラエルにおいて、バル=イラン大学は、学生規模でいうと3番目の大学であり、生徒数は約17000人。医学部や法学部、ナノテクノロジー系の学部等様々な学部を設けており、その中の一つが犯罪学部です。犯罪学部としてはイスラエルの中で最大のものであり、犯罪学部をイスラエルで初めて創設したのもバル=イラン大学です。
ローネル教授は『犯罪学は高度な専門性があり犯罪学者は専門職である』、『専門職であると自認するからこそ我々の助けを必要とする人たちと一緒に仕事をすることができる』と主張します。
バル=イラン大学の犯罪学部は、「リハビリテーション」に特に関心を払っており、医学部のように、実習に重きをおいています。学生を刑務所やリハビリセンター等に訪問させ、そこで働くことによって実践の中から学んでもらう機会を提供しています。
また、「臨床犯罪学者」という職種がイスラエルにはあり(教授自身が知る限り世界的に見てもイスラエル独自)、教授自身も臨床犯罪学者として、国から免許を取得しています。ライセンスを取得した犯罪学者は、刑務所の矯正処遇のプログラム作成のレベルから関わったり、時には犯罪被害者のケアにもあたったりします。
2.「Positive Criminology and Victimology」:ポジティブな犯罪学と被害者学
なぜ「Positive Criminology」なのか?
Positive Criminology は、心理学の一つの領域(positive psychology)にルーツがあるとローネル教授は説明をはじめました。
『犯罪学というものはネガティブな要素で満ち満ちていた。それは実際の犯罪であったり、それを分析する論文であったりと。ネガティブな経験からネガティブな考察、ネガティブな結論へといたる。このような現状を変えることが出来ないか? … 重要なのは、人と人との出会い、包摂や受け入れるという関係性であり、それを我々が対象とする人たちにポジティブに体験してもらうということである。そうすることで犯罪の予防、リハビリテーション・回復へとつなげていきたい。最後の回復というキーワードが一番重要視していることである … 我々が犯罪者に微笑みかければ犯罪者も微笑み返すかというとそういうことは必ずしもないが、【罪を犯した人たちの回復】に注目したいと考えた』
とローネル教授はポジティブ犯罪学のコンセプトを述べます。
『犯罪者を塀の中に閉じ込めるだけのではなく、私たちは治療的な立場から、ポジティブに犯罪者に向き合うのが理想ではないか。もっと言えば、リハビリテーションやコミュニケーションを通じて、ポジティブな経験を犯罪者にも積んでもらうむことを重視している』
ここでいうポジティブな経験というものは、欲しいものがあれば人から盗んで良いと許容したり、犯罪者の望むもの、薬物や女性を与えるなど欲望を叶えるということを意味するわけではないと、ローネル教授は補足します。
Positive Criminologyの英訳版書籍(※1)は、世界的にも好意的に受け入れられましたが、教授は「犯罪学」だけでなく、常にネガティブに語られる「被害者学」もポジティブに捉えられないか?たとえば、被害者への支援などにポジティブな視点を提供することによって捉え直すことはできないか?そのような関心から「Positive」という概念について更なる研究を進めています。
※1.Natti Ronel & Dana Segev (2016). Positive Criminology. Routledge; 1 ed.
「Positive Victimology」とは?
ローネル教授は、Positive Victimologyについて、抽象的な概念である次の3要素から説明します。
①ポジティブな反応、②治療(ヒーリング)、③統合(一貫性のある経験)
これらの要素のうちでも特に③にある「経験」を重要視します。つまりヒーリング(治癒)の観点から「その人を縛り付けている何らかの行動を辞める」事を探っていくことが重要となります。
『被害にあった時、被害者は自分が加害者からモノ扱いされたと感じている。被害者は人と人との別れ(分離)の経験により、世界と自己とか分断されたような状況に陥っている。被害者の孤立化をいかに克服し、被害者と世界との繋がりを回復していくか。そのプロセスをどのように築くかが問題である』
つづいて、『セラピーとリカバリーは違う概念である』そのように注意をうながします。
セラピー:回復のプロセスを開始するステップ。専門家が介入するものであるが、限定的なもので、修復の過程を築くもの。
リカバリー:人生をかけてのライフプロセス。継続な視点で見た個々の人生における回復の過程。
『セラピーはリカバリーの前提条件ではなく、セラピーを受けなくてもリカバリーするということはあり得る。』
『リカバリーは継続性が大事であり、立ち止まってしまうとまた被害者は孤立化してしまう。』
ローネル教授は、上記の点をふまえ、リカバリーを3段階のレベルに分類します。
①人間関係のレベル:被害化は人間と人間の間の分離によって引き起こされるものであるので、その回復も人と人との間で行われなければならない。
↓
②被害者個人の中で起こす回復
↓
③スピリチュアル:被害化をより高い視点から捉えなおす、人間の力を超えたところにある回復
『被害者とは非常に主観的なものである』
ローネル教授は、被害化とは自己(個人)の経験であり、単なる事実・出来事ではないことに着目します。
『人は主観的なものの見方に基づいて行動するものである。だからこそ、被害化した事象に関して、個々人のどのような認識(や一部恣意的な選択)によって形成されていったかを見極める必要がある。 … 「害悪」は被害者に強いられているものであるが、「被害」は被害者自身が内罰的に捉えるものである。 … 害悪のある行動というのは、自己(個人)の中で増幅されて被害者に無力感をもたらしていく』
被害者が感じた「無力感」は、さらに「なぜこのような害悪を防ぐことができなかったのか?」という自己否定を伴う一次的な無力感と、内的な連鎖によって「私は被害者である」という自己が形成される二次的な無力感とに分類されます。二次的な無力感が発生する要因として「対人関係」、「個々人の内部での葛藤」、「そして希望、生きがい、将来的な展望のないスピリチュアルの面において」があげられます。
二次的な無力感は、被害者自身の心のうちに増幅を繰り返してしまい、その後の人生に大きく影響を及ぼしかねないため、「セラピーやリカバリーの現場においては、一次時的な無力感であるのか、それとも二次的な無力感であるのかを見極める必要がある」とローネル教授は指摘します。
教授の分析によれば、サバイバー(回復に向かう人)の中には、この一次的な無力感を受容せず、二次的な無力感にさいなまされ続けている人がいます。この二次的な無力感こそ自己を傷つけている要因であり、被害者は「抵抗することが出来なかった」・「予防することができなかった」と、他の可能性や選択を否定し続け、自己の作り上げたイメージ的な無力感の中に閉じこもってしまうおそれがあるのです。
Gracewayの12ステップ
どうすれば人は二次的な無力感から解放され、回復へと歩みはじめることができるのか?
そこでローネル教授が考案したものが「Gracewayの12ステップ」です。
これは、AA(Alcoholics Anonymous)の方法に倣って回復に向けた12ステップを示したものであり、イスラエルにおいて刑務所などでの処遇や被害者のケアを実践している専門家に向けて作成されたモデルです。
(『海外で発表するのは今回が初めてであるが、我々の実践をまとめたものを出版したブライ語書籍を英語に翻訳して発刊する予定である』とのこと)。
人が日々の生活を送る中で感じることができる、または、大切にしなければならない「スピリチュアリティ」を、色々な人のリカバリーを通じた生き方を分析することによって、ローネル教授たちが、経験に基づいた回復へと向かう生き方の指針としてあらわしたものです。
ローネル教授は、自身がイスラエルにおいて取り組んでいる様々な実践事例を交えて講演してくださいました。
残念ながら限られた時間ということもありGracewayの12ステップについての詳細については最後までお聞きすることができませんでしたが、予定ローネル教授には、時間を大幅に超過して熱心に講演していただき、また質問応答のさいにも真摯に受け答えいただき、非常に実りある講演会でした。
改めてナッティ・ローネル教授に感謝の意を表明いたします。
本講演では禹貴美子さんに通訳を務めていただきました。事前の資料確認から打合せ、講演中の用語解説に至るまで細やかに対応いただき、参加者の理解度を高めるための心強いサポートとなりました。この場を借りて感謝申し上げます。
質疑応答から一部を紹介
Q:ポジティブ犯罪学がポジティブ被害者学のベースになっているが、共通する点とは?
A:いずれの対象においてもまずはリカバリーが大切。リカバリーを成し遂げてこそ、当事者の人生が成り立つと考えている。
Q. ヒーリングとリカバリーの概念の違いは?
ヒーリング:私たちが人生において成し遂げたい目標
リカバリー:そこへ向かうためのプロセス
Q. 何を持って回復とみるのか?
A:行動をやめるだけでは回復と言えない。
国際CBLプログラム6日日サンフランシスコフィールドスタディでの学生レポートをご紹介します。
■澤田悠里(政策学部3年生)
出発の段階から色々とトラブルがありましたが、なんとか10日間のポートランドCBLを無事に終えることができよかったです。事前学習からポートランドについて様々な文献をプロジェクト生全員で輪読し、ポートランドについての予備知識を深めましたが、やはり実際に現地に赴いて自分たちの目で見たり、自分たちの足で街を歩いたりすることが大切だなと、このプログラムを通して改めて感じることができました。特に、ポートランドは「住みやすい街」を市のテーマとして掲げ、市民が活躍できる場やコミュニティでの活動などを意欲的に行っている市であり、私自身も実際にポートランドで5日間過ごしていて、なぜポートランドが今人気なのか、住みやすい街とはどういうことなのか、少しですが理解することができたように思います。
ポートランドに住む人は本当にみなさん親切で、色々な話を相手から話かけて聞かせてくださったりしました。また、市民が自発的に市のために活動しているという点でも、市の規模はコンパクトながらも非常に魅力のある街でした。実際に現地に足を運び、5日間という短いながらも充実した時間を過ごせたことを有り難く思います。
--------------------------
■ 田中優輝(政策学部3年生)
ポートランドCBLプログラム、サンフランシスコでの滞在も含めて全日程が無事終了しました。台風の影響もあり、トラブルもありましたが17名が全員無事に帰国しました。プログラム全日程を終え、感じることが2点あります。
1つは英語が苦手でも思い切って話すことです。自分自身英語が苦手で話すことに当初戸惑っていましたが、話してみると案外通じるものです。できないできないとモジモジしてしまうことが一番だめなことだと改めて気づかされました。
2つめは日本との違いです。電動キックボードが交通移動手段として使われていたり、路面電車と自転車のみしか通ることができない橋があったり日本では考えられないようなまちの仕組みがあり、大変興味深かったです。町の違いのほかにも支払いの方法やチップシステムなど日本との違いを随所に感じることができました。政策学部生として日本のまちづくりや景観に対しての取り組みだけでなく、海外のよい事例を見られたことは自分にとっての財産だと感じています。本当に参加してよかったです。ありがとうございました。
------------------------
■ 鍋師海(政策学部2年生)
自分は以前から夏休みアメリカに行きたいと考えていたので、ポートランドCBLプログラムに行くことを決めましたが、行く前は不安しかありませんでした。しかし、実際に行くととても充実した毎日を送ることができました。ポートランド州立大学では向こうの先生方が考えてくださったプログラムを5日間行いました。班で話し合ったり、市内に出て町歩きをしたり、農業をしたり、様々なことを体験しました。その中でも自分が一番印象に残っていることは農業体験です。
アメリカは日本よりも国土が広く農場の規模も日本とは比べ物にならない程広く印象的でした。京都の街中に住んでいると、日常生活で農業と関わる機会が無いので、アメリカの広大な農場でトマトやキュウリを収穫するのはとても新鮮で忘れられない思い出になりました。5日間の充実したプログラムを考えて下さったポートランド州立大学の先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。アメリカの大学では、日本よりも積極的な発言が求められ文化の違いを感じました。自分は日本でも発言するのが苦手で消極的な性格なので、それを英語で発言するとなると更に消極的になってしまったので、まずは日本で思ったことを発言できるように努力しようと思いました。10日間ありがとうございました。
--------------------------
■リンク
サンフランシスコフィールドワーク 国際CBLプログラム6日目-1 記事