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Vol.14 May 2026
「エビデンス」過信は危険。 環境保護における「市民感覚」の重要性

Overview

現代の社会課題解決において、私たちは無意識のうちに専門家が示す客観的な数値、いわゆる「エビデンス」に唯一の正解を求め、意思決定を委ねがちである。複雑な事象を分かりやすく可視化してくれる数字は、効率的な判断を下すための強力なツールだ。しかし、龍谷大学で会計学の視点から自然破壊や原発事故のコストを研究する金森絵里教授は、こうしたエビデンスを過度に信仰し、専門家に任せきりにする社会の風潮に強い危機感を抱いている。複雑に絡み合う環境問題においては、専門家がはじき出す数値が事象のすべてを捉えきれているわけではなく、計算の前提から抜け落ちてしまう「見えないリスク」が確実に存在している。本記事では、会計学の知見を通じてエビデンスの限界を解き明かし、専門家の論理に対峙するために私たちが取り戻すべき「市民感覚」と、その先にある「環境哲学」の重要性を金森教授の研究と実践から紐解いていく。

Opinions

監修 金森 絵里 / 龍谷大学環境サステナビリティ学部※・教授(就任予定)
※2027年4月、新設予定(2026年4月、文部科学省に設置届出書類提出。設置計画は予定であり、内容に変更が生じる可能性があります。)

1. 計算できないものは「ゼロ」になる。会計学が示す「エビデンスの限界

国のエネルギー政策などを左右する根拠となる数値は、専門家によって算出される。しかし、その数字の作られ方自体に構造的な限界があると金森教授は指摘する。象徴的な例が、原子力発電のコスト計算だ。「国はエネルギー政策を決める際、さまざまな発電方法のコストを見積もって比較します。しかし、原子力のコストだけは見積もりが非常に難しい。使用済み核燃料などの廃棄物が無害化されるまでに10万年かかると言われているからです」。では、専門家はどう対応しているのか。「ルール上、合理的に見積もれないものは計算から外されてしまいます。結果として、数字上は原子力発電のコストが安く算出されるというパラドックスが起きています」。合理的に計算不能であることによってコストがゼロとされている状況は、リスクが存在しないことを意味するわけではない。人間の想像が及ばない不確実性が、計算の枠組みから除外されている状態だ。「専門家が算出した数字だから正しい」という前提を疑い、数値化の限界を認識する必要がある。

2. 科学技術の限界と「専門家任せ」の危うさ

日本社会には、専門家に任せておけば安心だという認識が定着している。しかし、すべてを専門家に委ねることに対し、金森教授は警鐘を鳴らす。「算出した数値に限界があるだけでなく、それを扱う人間自身の限界もあります。不都合なデータを軽視してしまう正常性バイアスに陥ることもあれば、特定の利害関係や政治的圧力によって判断が影響を受けることも現実として起こり得ます」。専門的な知見に基づいて社会の制度を構築していくことは重要だ。だからこそ、その土台となるエビデンスが意図的に操作されたり、不確実性を隠したまま提示されたりすることは社会にとって大きなリスクとなる。「限界のある専門知識に市民が過度に依存し、自ら考えることを放棄すれば、社会の意思決定は密室化し、不透明になってしまいます」。必要なのは、提示されたエビデンスを鵜呑みにしないことだ。市民自身が健全な懐疑心を持ち、政策やエビデンスに対して監視の目を持つ土壌を育むことが求められている。

3. 「素朴な違和感」の声を聞く。社会を動かす市民感覚と当事者意識

金森教授は、私たちが直感的に抱く「なにかおかしいのではないか」という素朴な違和感こそが、時に事物の本質を突く武器になると語る。「海外の事例を見ると、環境汚染による健康被害に直面した市民たちが、自ら医学や学術論文を学び、行政や企業に解決を迫ったケースがいくつもあります。彼らは当事者として立ち上がり、専門家と対等に議論して社会を動かしました」。身の回りの事象に対して当事者意識を持ち、市民としての感覚を表明することが重要になる。「社会を動かす根拠となる専門知識は、必要になったときに後から勉強して身につけることも十分に可能です」と教授は強調する。最初から国境を越えるような大きな問題に立ち向かう必要はない。まずは地域のコミュニティや自身の身の回りの環境など、自分ごととして捉えられる範囲の活動から経験を積むことが第一歩となる。違和感を見過ごさず、当事者として声を上げる経験の積み重ねが、社会を動かす力へと変わっていく。

4. 相対化で育む循環への想像力

社会の意思決定において、コスト計算による合理化は避けられない。一方で、命や環境保護の領域には「誰一人取り残さない」という、数値では測りきれない価値観が存在する。「たとえば、自動車事故の死者数をゼロにするためには、自動車そのものを禁止するしかありません。現実の社会は、ある程度のリスクを許容して回っています。しかし本来、命は『コスト計算』ができないもの。その前提を忘れて『合理的な判断』だけを許容するのは非常に危険です」と金森教授。数値化できないものを守るためには、誰が計算しても同じ結果になる普遍的な専門知識の対極にあるもの、つまり個人の直感や生き様に根ざした哲学が必要になる。エビデンスに基づくマクロな政策議論と、個人の哲学に基づくミクロな感情や信念の表明は、相反する性質を持つがゆえに、完全に交わることはない。だからこそ、両者の限界と性質を相対化して理解することが求められる。専門家の論理だけに社会を委ねるのではなく、誰もが社会の当事者として、「自分自身はどう生きたいか」「何を大切に守りたいか」を問い続けることが、持続可能な未来を実現する。

総合監修

金森 絵里(かなもり えり)
/ 龍谷大学環境サステナビリティ学部※・教授(就任予定)
※2027年4月、新設予定(設置届出中。設置計画は予定であり、内容に変更が生じる可能性があります。)

会計学・環境社会システムが専門。2011年の事故を機に原発会計の研究を始める。会計専門知が原発コストを過小評価し、原子力政策に根拠を与えることに注目し、専門知が市民感覚に優先される社会のあり方について研究を続けてきた。

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