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 SSCI(Social Science Citation Index)認定ジャーナル″Democratization″に、本学法学部 法律学科 濱中新吾 教授が、“The role of digital media in the 2011 Egyptian revolution”(2011年のエジプト革命におけるデジタルメディアの役割)と題した論文が採択されました。

 

 SSCIとは、社会科学領域の主要な国際学術誌の論文をデータベース化したもので、この検索対象に含まれることは、学術誌として一定の水準を満たしていることの証左でもあります。その中でも″Democratization″はSSCIの中でもQ2カテゴリー(四分位の第二層)に属しており、インパクトの高い学術誌であることを意味します。

 

 さて、これまでの研究では、2011年1月のエジプト蜂起(1月25日革命)は、ソーシャルメディアが介在した世界初の成功した革命だと主張されていましたが、ソーシャルメディアと反体制デモへの参加の関係は、議論の余地があり不透明なままでした。濱中先生の研究では、情報拡散理論と社会運動理論の双方から仮説を導出し、独自の世論調査データで検証しました。

 

 濱中先生は、論文の中で、デモの先導者は、デモの後発参加者よりも、FacebookやTwitterで活発であり、活動的なブロガーはムバーラク政権に対するデモに参加する傾向が認められることを明らかにしました。

 

 この結果は、ソーシャルメディアの効果が限定的で、衛星放送や口コミ情報が決定的であると結論づけた従来の結論とは異なっており、ソーシャルメディアが反政府抗議行動における集合行為問題の軽減に有効だと主張しています。また、政治的機会構造の概念を計量分析モデルに組み込み、これが革命運動に有効だったことも実証的に示しています。

 

 当該論文はSouthern Political Science Associationで2018年の1月に発表したものに多数の加筆修正を試みています。

 

【論文掲載情報】

●雑 誌 名:

Democratization (インパクトファクター:1.745)

 

●論 文 名:

The role of digital media in the 2011 Egyptian revolution

(2011年のエジプト革命におけるデジタルメディアの役割)

 

●著 者 名:

 龍谷大学法学部 法律学科 濱中新吾 教授





 2020年9月17日(木)に、「2020(令和2)年度 卒業証書・学位記授与式」が、深草キャンパス顕真館にて挙行され、28名の文学部生が卒業されました。
 また、7名の文学研究科博士課程生の学位記授与がなされました。

 卒業生・修了生は、卒業証書・学位記を受け取り、友人や恩師と喜びを分かち合いました。

 今年度は、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、安全対策を講じての実施となりました。

 大学に来られなかった人や保護者向けにライブ配信がなされました。ライブ配信がされたことで、遠方からでも参加できるようになり、喜びの声をいただけました。

  卒業生・修了生の皆さん、ご卒業、ご修了まことにおめでとうございます。

  文学部教職員一同、心よりお祝い申しあげます。








●漫画de法語 2020年9月15日~

他人の欠点は誰にでも見える
しかし自分の欠点が見える人は少ない
自分の欠点が見えるだけでなく
それに挑み改めていける人となると
さらに少ない


東井義雄 『一日一言』(到知出版社/東井義雄著)より


●この漫画で伝えたかったこと

 自らを省みることの難しさが知らされる言葉です。
 大変厳しい言葉ですが、漫画ではできるだけ読みやすくなるように心がけました。
 この漫画で伝えたいことは
「鏡があるからこそ自分を見つめることができる」
ということです。

 私たちの目は外側を見るように出来ています。
 自分の肉眼だけで直接見ることができるのは、手・足・胴体くらいのもので、後ろ姿を見ることは決してできません。自分の顔ですら肉眼のみで見ることはできないのです。
 自分を見るには鏡が必要です。
 自分の外見を見るには鏡を使えばいい。しかし、自分の内面はどうやって見つめれば良いのでしょうか?
 自分の内面を見つめる鏡は、親しい人や、社会、でしょう。親しい人が、自分では気付けなかった自分のすがたを教えてくれる時があります。また、社会生活の中で、自分一人では決して気付けない自分が見えてくることがあります。
 自分の内面を見るためには他者が必要なのです。
 しかし、その他者も移り変わり一定ではありません。人の見方には個性があり、社会もまた場所や時代によって変わっていきます。
 変化し続ける他者から知らされる私のすがたは、波打つ水面に映し出された顔のようなものです。
 何があっても変わらない真っすぐで歪みのない鏡でなければ、私のすがたをあるがままには映してくれません。
 本当の私のすがたを見つめさせてくれるものとは何でしょうか?
 実は、それが真実の教えであり、仏教なのです。
 仏教を聞くとは、変わらない真実に映し出された自らのすがたを聞くということです。

(参考)
『蓮如上人御一代記聞書』
「人のわろき事は、能く能くみゆるなり。
わがみのわろき事は、おぼえざるものなり。
わがみにしられてわろきことあらば、能く能くわろければこそ、身にしられ候うと思いて、心中を改むべし。
ただ、人の云う事をば、よく信用すべし。
わがわろき事は、おぼえざるものなる。」

(現代語意訳)
他人の悪いところはよく目につくものです。
しかし、自分の悪いところとには、なかなか気づかないものです。
もし、自分でさえ悪いと気づくようなら、それはよほど悪いことだからこそ、自分でも気がついたのだと思って、心をあらためるべきでしょう。
他人が自分の悪いところを教えてくれたなら良く聞きましょう。
自分自身ではわからないことですから。

(漫画作成/解説・宗教部 保田正信)

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自分の欠点 東井義雄 (漫画de法語)


●深草学舎東門 No.002 2020年9月15日~

月かげの いたらぬさとは なけれども
ながむる人の こゝろにぞすむ


法然聖人


●孤独とは?

「孤独」って何なのでしょうか?
辞書で「孤独」という言葉を調べると
「仲間のいないこと。ひとりぼっち。」『広辞苑』
「精神的なよりどころとなる人やものがなく、ひとりぼっちであるさま。」『詳解国語辞典』
とあります。
一般的には「周りに人が居なくて、一人でいること」を「孤独」と言うようです。

しかし、周りに沢山の人が居たとしても孤独を感じることってありませんか?

通学ですれ違う沢山の人たち、
毎日立ち寄るコンビニの店員さん、
同じ授業をとっている人、
あらためて思うと、自分の周りには沢山の人が居ます。
しかし、その多くは、なんとなく顔を知っているだけでお互いを特別な人として認識しているわけではなく、毎日顔を見ていても、人生においてすれ違う「その他大勢」の中の一人なのではないでしょうか。

沢山の人が居ても、孤独を感じることって、あるような気がします。


また、「お互いを特別な人として認識している」ような人、友達、仲間たちと過ごしていても、そこですら孤独を感じることってありませんか?

みんなが話している話題を一人だけ知らなかった時、
仲間たちとのちょっとした考え方の違いに気づいた時、
これからの人生での進む方向の違いを感じた時、
いつか来る別れを思った時…

仲間同士で集まっていても、そこにだって孤独を感じることがあります。
むしろ、仲間の中で感じる孤独は、一人でいる時に感じる孤独よりも辛いものであることだって多いかも知れません。

では、この厄介な「孤独」というものを、私たちは解消することができるのでしょうか?


『仏説無量寿経』というお経の中には
「独生独死 独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい)」
という言葉があります。

「人は結局は、独りで生まれ、独りで死んでいかねばならない」というような意味の言葉です。
人生において様々な人や物と連れ添ったとしても、この人生を生きる私のいのちは、結局のところ、根本的には孤独なのだと仏さまは教えてくださっています。

この言葉の後には
「誰も代わることができない」
ということが書かれています。

実は、私たちは誰もがみんな孤独で、誰も代わることができないのちを生きているのだそうです。

感じるか感じないかによらず、全ての人が、孤独をかかえる「ひとりぼっち」。
その「ひとりぼっち」同士が、身を寄せ合いながら生きているのが私たちなのではないでしょうか。


●気づきと癒し

しかし、そんな孤独な私を想ってくれている人がいると、フと気づかされることがあります。
言葉に出さずとも、私のことを心配し、気づかい、認めてくれる人が居る。
そんな気持ちが知らされた時、孤独なままに、孤独な心が癒されていくような気がします。

孤独って、自分が誰かを探している時には、なかなか癒されないのだけれど、自分を想ってくれている誰かの心に気づいたとき、孤独は孤独のままに癒されるのではないでしょうか。

辛かった孤独が、たった一人のまなざしで癒される。
そんなことだって、きっとあるのです。
たとえ今、そのまなざし気づくことができなかったとしても…


●阿弥陀さまのまなざし

親鸞聖人のご師匠の法然聖人は
「月かげの いたらぬさとは なけれども
ながむる人の こゝろにぞすむ」
と歌われたと云います

「月かげ」とは、月の柔らかな光のこと。
世界中のどんな所でもその優しい光で照らしているのが、月の光です。
法然聖人は、この月の光によって、阿弥陀さまが私を思ってくださっている慈悲の心をあらわしてくださいました。

ひょっとしたら、人生は夜道を独り歩いているようなものなのかも知れません。
この先に何があるのかわからず、不安な夜道です。

でも、その暗い道を月明りが照らすように、私の人生を仏さまはその慈悲の光で照らし、いつでもどこでも寄り添ってくださっています。
仏さまは決して私を見捨てることがありません。

そのお慈悲を知って生きる人の心には、いつでもどこでも仏さまのお慈悲がやどってくださっています。


●私も誰かの月のひかりに

誰かが私を想ってくれるように、
仏さまが私をお慈悲で照らしてくださるように、
想われ照らされている私もまた、誰かにとっての月のひかりになれたなら良いのに、と思います。


●一人で悩まないで

学内外に相談できるところは沢山あります。
一人で悩まず、相談してください。

龍谷大学 宗教部 オフィスアワー ~お坊さんと話してみませんか?~
龍谷大学 こころの相談室
厚生労働省 こころもメンテしよう ~若者を支えるメンタルヘルスサイト~


(イラスト作成/解説・宗教部 保田正信)

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