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1876 近代化に向けて 学林から大教校へ

 

1872年に角坊本堂を学林講堂として使い、初めて洋学を開講。「独乙語」が科目に上がった。そして1876年に学制の近代化を図るべく大改革を断行した。学林は大教校と改称、これを頂点に全国7か所に中教校、各県に小教校が設置され、総合的な教育システムが整った。それは明治政府の学制改革よりも早く、改革が実現できたのは本願寺第21代宗主・明如上人の仏教復興への思いの強さによるところが極めて大きい。


1879 大宮学舎、落成

 

明如上人は、学林の大改革に着手すべく、島地黙雷や赤松連城らをヨーロッパに派遣し、現地の教育制度を視察させ、上述の学制改革に至った。そして、1879年に擬洋風建築による大教校の校舎(現在の大宮キャンパス本館)と学生寮(現在の南黌・北黌)が落成した。翌1880年には明治天皇が行幸された。


1885 総合大学への第一歩普通教校を付設

 


大教校に伝統の仏教研究だけではなく、一般の学問(普通学)を専攻する「普通教校」が付設された(現在の東黌の場所)。普通教校の学生有志が当時の風紀の乱れを憂慮して結成したのが「反省会」で、メンバーたちは自己を律することで社会改善を目指した。反省会の中心メンバーの1人が高楠順次郎で、後に世界的な仏教学者として知られ、武蔵野女子学院(現在の武蔵野大学)の創立者にもなった。


1886  社会課題に向き合う学生の有志が反省会結成 翌年には後の中央公論となる反省会雑誌を刊行

 

学生有志で結成された「反省会」の機関誌として誕生した「反省会雑誌」は、のちに「中央公論」へと発展していく。当時の学生がどのような社会課題と向き合ったか、学生の意識と志を知るうえで貴重な資料であり、わが国の総合雑誌の歴史を語るうえでも評価は高い。


1887 日本の大学祭の草分け「降誕会」はじまる

親鸞聖人のお誕生を祝う「降誕会」は学生たちの発案により始まった。現在の大学祭に劣らない多彩な催しで市民3万人を集め、京都の街に活気をもたらした。


1888 さらなる教育改革へ二院一寮制がスタート

考究院・内学院および文学寮(普通教校を改称統合)の二院一寮制となる。のちに「カルピス」を創始することになる三島海雲は1893年に文学寮に入学している。

 


1892 写字台文庫の蔵書が寄付される

約3万冊の歴代の宗主の蔵書が、本願寺第21代宗主明如上人から寄付された。


1900 本学の名称が変更に 「仏教大学」となる

 

学制改革により、本願寺派の学校は仏教大学、仏教高等中学、仏教中学の3種となる。

1902 仏教大学を仏教専門大学(京都)と高輪仏教大学(東京)に分立

高輪仏教大学は仏教以外の一般的学問(普通学)の高度化を目指したが、わずか2年で再統合となる。

 


1902 日本初の学術調査隊「大谷探検隊」発足

インドから日本への仏教伝来の道を明らかにすべく組織された学術調査隊が「大谷探検隊」。隊長は当時は新門(後に本願寺の代表になる人のこと)だった大谷光瑞(本願寺第22代宗主)。第一次調査隊のメンバーは文学寮(後の普通教校)の元教授と元学生から編成されていた。インドで仏教の拡大に大きく貢献したアショーカ王(紀元前3世紀)の事跡をわが国で最初に本格調査したのは大谷探検隊である。

 



2026年3月12日(木)、龍谷大学で交換留学生として学んでいるベトナムのハノイ大学生(2名)、アメリカの南ミズーリ州立大学生(1名)、カナダのクワントレン・ポリテクニック大学生(1名)の計4名が、滋賀県の草津第二小学校を訪問し、3年生の児童たちと交流しました。「国際教育と国際理解」 をテーマに、留学生たちは2つのグループに分かれ、児童たちが準備した質問に答えたり、自国を紹介するスライドショーを披露しました。

北米チームの学生たちは、地元の祝日や故郷の風景、スクールバスや典型的な学校給食、さらには自宅の写真など、自分たちの子ども時代の写真を用いることで、母国の「リアルな日常の風景」を紹介しました。裏庭のプールや、夏の日に犬と一緒にプールでくつろぐ留学生の写真を見て、小学生は大興奮。ベトナムの学生たちも、地元料理を紹介するスライドに対する、小学生の大きな反応があったことをとても嬉しく感じていました。多くの子どもたちがすでにフォーやバインミー、生春巻きを食べたことがあると聞き、驚きもあったようです。発表後、留学生たちは、児童たちが給食を準備し、配膳する様子を見て感動し、その後、実際に給食を試食する機会も得ました。そして昼食後、子どもたちが教室や廊下を掃除しているのを見て、自分たちの小学生時代を振り返りました。

参加者の声:

「以前は、映画やアニメ、そしてさまざまなメディアを通して、日本の小学校について知りました。日本の小学校では、子どもたちがさまざまな体験活動を通して自立する力を身につけることを大切にしている、というイメージを持っていました。実際に自分で体験してみると、本当にその通りだと感じました。例えば、子どもたちが自分たちで給食を準備したり、食べ終わった後に自分たちで片付けたりする活動を通して、責任感や協力する力を育てているのだと実感しました。特に印象的だったのは、子どもたちの積極的な姿です。3年生の児童なのに、みんな自信を持って発表したり、手を挙げて質問したりしていました。外国人の私に対しても積極的に話しかけてくれて、とても素晴らしいことだと思いました。」

「この体験を通して日本や日本の人々への理解が深まったと感じます。実際に学校を訪れるおかげで、日本の子どもたちがとても元気で積極的で、外国から来た人にもとても親切に接しました。とてもいい経験になったと思います。」

「この体験は本当にかけがえのない経験で、もしかしたら自分の価値観を変えるきっかけになるかもしれません。実際に参加してみると、とても楽しく、子どもたちもとても親切で可愛く、そして親しみやすいです。これから参加する皆さんが少しうらやましいと思うほど、とても特別な体験だと思います。人生の中でも、このような経験ができる機会はあまり多くないと思います。」

この日参加したすべての人々にとって、非常に有意義な一日 となりました。草津第二小学校の皆さまには、留学生たちが地域社会の人々とより深く関わり、貢献できる貴重な機会をいただき、心より感謝申し上げます。




後日に小学生から頂いたプレセント


 この度、羽渕有稀氏(龍谷大学大学院法学研究科)の論文が、学術誌『アジア経済』(JETRO・アジア経済研究所 発行)に掲載されました。
 同誌は、アジア・中東・アフリカ地域の政治・経済・社会を対象とする、日本を代表する査読付き学術誌です。

 本研究は、濱中新吾教授の指導のもと、羽渕氏が龍谷大学法学部在学中に執筆・投稿した卒業論文をもとにしたものであり、学部生による研究成果が査読付き学術誌に掲載されました。
 イスラエルで進行する司法制度改革を題材に、民主主義の基本原則に対する市民の支持態度を実証的に分析しています。特に、政治的分極化と政治指導者への支持が民主主義への支持に与える影響を明らかにしています。

研究のポイント
・イスラエル社会では、ネタニヤフ首相への支持・不支持を軸とした政治的分極化が進行している。
・コンジョイント実験を用いた分析により、ネタニヤフ首相の支持者ほど「司法の独立」という民主主義の基本原則への支持が低い傾向が確認された。
・一方で、最高裁判所への信頼については単純な低下は見られず、民主主義原則への支持と統治機構への評価が異なるメカニズムで形成されている可能性が示された。

 
研究の意義

 本研究は、民主主義国家においても政治的分極化や特定の政治指導者への支持が強まることで、民主主義の基本原則への支持が低下し得ることを示した点に重要な意義があります。
 従来、民主主義体制の安定には市民による価値観レベルでの支持が不可欠と考えられてきましたが、本研究はその前提に再検討を迫るものです。特に、政治の「個人化」が進む状況においては、制度や原則よりも政治指導者への態度が優先される可能性を、実験的手法によって明らかにしました。
 また、中東地域を対象にコンジョイント実験を用いて民主主義意識を分析した研究は限られており、本研究は比較政治学および地域研究に新たな実証的知見を提供するものです。

論文掲載情報
 雑誌名: アジア経済(JETRO・アジア経済研究所)
 タイトル:コンジョイント実験を通じた「民主主義原則への支持」の検証 ―イスラエルにおける司法制度改革の事例より―
 著者:羽渕 有稀(龍谷大学 大学院法学研究科)
 DOI:https://doi.org/10.24765/ajiakeizai.67.1_2
 オンライン掲載:第67巻第1号(2026年3月)

 
研究資金

・科研費・基盤研究(A)「中東諸国民の政策選好と統治の正統性」(研究代表者 濱中新吾)22H00055

※カバー画像は、世界最古の都市の一つイスラエル・エルサレムの参考イメージ。
エルサレムには議会や首相府、中央省庁などがあり、イスラエルの政治と文化の中心とされる。


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