学生や教職員、その他多くのみなさまに、龍谷大学の建学の精神に触れ、学び、実践していただく、その第一歩を踏み出すための冊子『龍大はじめの一歩 -龍谷大学「建学の精神」-』を発行しました。はじめて仏教に触れる方にも読みやすく、また、もう少し詳しく学びたいという人のご要望にもお応えできる構成となっています。
「仏教の思想」の授業で副読本として使用するとともに、みなさまに自由に手にとって見ていただけるよう、深草学舎の顕真館、大宮学舎の本館、瀬田学舎の樹心館でも配付を予定していますので、是非ご覧ください。
父 「いよいよ龍谷大学に入学したんだね。おめでとう!」
娘 「ありがとう。なんかすごい人の数だったし、宗教的な感じの式だったね。あれは仏教式?」
一般に「平等」というと、かたよりや違いがなく、すべてのものが等しく一様であることだと考えがちですが、「建学の精神」でいうところの「平等」は、真理を悟られたブッダ(仏)の
ブッダ(釈尊)の説かれた経典に、次のような一段があります。
「自立」-それは決して自分一人の力だけで生きることではありません。さまざまな問題に悩み、孤独を抱え、生と死との間で揺れ動く不安定な心を持った私たち。そんな私たちであるからこそ、「大きな依りどころ」が必要であると「建学の精神」は教えてくれています。
これまでに出遇った人。これから出遇う人・・・。多くの人と、多くの言葉を交わして下さい。時には立ち止まり、ふり返りながら、少しずつ前をむけば良いと思います。わが身をかえりみる、内省することを通して、初めて人は成長できるのです。
私たちを愛おしむ豊かな光に照らされ、“当たり前”が“当たり前ではなかった”と知らされていくことで、「生かされていることへの『感謝』の心」が育まれていくのです。
立場も考え方も違う者、ましてや敵対する者が自己主張を繰り返すだけでは、相手に理解されることはありません。他者を慈しむ心を自ら育んでいく行為によって怨みを超えて平和を実現していく道が開かれます。
「欲」の「力」をどのように扱い、どの「方向」に向けるべきか、いかにコントロールすべきかということが問題になってきます。その時、いったい何が本当で、真実であるのかということを問い、私たちがどのように考え、いかに向かうべき方向を定めるべきかという指針を持っていることは、大きな意義を発揮してくるものと思われます。そしてそこに、「浄土真宗の精神」として龍谷大学の「建学の精神」が定められていることの意味があります。
本学は、真実(浄土真宗)の教えにふれることによって、自己を深く見つめ、真摯に生きることのできる人間を育成しようとして建てられた大学です。